西尾維新とラノベとミステリーと

こんにちはこんばんは@ocelot2ndです。
寒い週末,まったり過ごしてます。

Ryo Anna Blogの
表紙は詐欺、言葉の散弾、西尾維新『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』
エントリーを読んで感じた事を少し*1

長ったらしい前置き

自分の場合,ミステリにハマったのは小学校の図書館にあった江戸川乱歩全集で、そこから定番のホームズ→ポアロなんかを読んでそこからどっぷり海外ミステリ。新本格ミステリの隆盛以降に国内ミステリを読み始めた*2
推理小説界で社会派が台頭するのに伴い、「社会は推理小説を書こうとするなら、本格を思考する発想がなくてもよい」との考えが出てきている。
しかしこれは間違っている。
推理小説は本格の発想という石垣があってこそ、さまざまなスタイルで覇を競うことができる。

島田 荘司


80年代後半に綾辻行人我孫子武丸有栖川有栖法月綸太郎などの作家が次々と登場。
94年に京極夏彦が「姑獲鳥の夏」を上梓。


そしてメフィスト賞の第一回受賞者として森博嗣「すべてがFになる」がデビューする。
これが96年。
清涼院流水蘇部健一が受賞した事でメフィスト賞は一気に「ミステリの地雷原」のイロモノイメージが定着する。
舞城やゆやたんを輩出したり、今さら振り返ってみるとなかなか重要な賞だとも思うんだけれど、西尾維新が「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言使い」でデビューする頃にはミステリ自体のブームも落ち着いていたし、現在のような状況はイメージ出来なかった。
ちなみに同じ96年に乙一が「夏と花火と私の死体」辺境のジャンプ小説・ノンフィクション大賞でデビューする*3
※テレビでは新世紀エヴァンゲリオンが95-96年、実に濃い時代。


一方、ラノベ界に目を向けてみる。
菊地秀行夢枕獏朝日ソノラマから出版。
その頃はライトノベルじゃなくってジュブナイル小説とか呼ばれていたような記憶がある。
87年に角川スニーカー文庫コンプティークで連載していたリプレイ版「ロードス島戦記」が小説として出たのが88年。
富士見ファンタジア文庫から神坂一が「スレイヤーズ」を89年に上梓。
新本格ブームと時代が重なる。


ラノベとミステリの境目が曖昧として来たのは2004年の「このライトノベルがすごい!2005」前後からだろうか。
2005年は一位がハルヒ、二位に戯れ言シリーズ、十位に冲方丁カオスレギオンと言った名前が並ぶ。

「萌え」という言葉が広まったのは1990年前後であると推測されており[1][6]、その起源に関する主要な説も概ね1980年代末〜1990年代初頭頃に集約されている。一方で「萌え」の現代的用法の成立・普及については様々な説や主張があり、その起源や成立の過程は明らかではない

萌え/Wiki


その頃には萌え文化も確立していたし「ラノベ」と言うジャンルもすっかり確立され、ジュブナイルと言った言葉は衰退していたように思う。


極北としての西尾維新

西尾維新の文脈は、ミステリ読みからすれば「ミステリ番外地」「地雷原」と呼ばれるメフィスト賞受賞作らしい、新本格第一世代や第二世代がミステリ黄金期の諸作のコードを踏まえた上でそれを越えようとする意識が見える諸作とは違い、アニメや日本的なカルチャーが強い。
衒学的な部分は、小栗虫太郎「黒死舘殺人事件」竹本健治「匣の中の失楽」京極夏彦の諸作に繋がるミステリの臭いも少しするが重さは無く、「天才が集まる孤島」と言ったミステリのコードも清涼院流水が「コズミック」で行ったコード型ミステリへのテロ行為ともとれる破壊とは指向性が違う。
ミステリでありながら読み口が軽く、ミステリのトリックでは無くキャラクターで読ませるベクトル。
当時の印象はそう言った感じだろうか。
そして「化物語」を上梓する事で、西尾の「キャラクター小説」は確立する。
キャラクターを確立される為に、不要な要素を削り落として行けば当然台詞だけが残る。
小説と言う「言葉によって読者の脳内に成立させる物語セカイ」において登場人物の「セリフ」で世界を構築しキャラクターを成立させる。
キャラクター小説の極北、究極のミニマリズム


天才が集まる孤島で起きた殺人事件。言葉との戯れだけではなく、ユーモアと知性もあるミステリ。
ライトノベルが未体験な人は、アニメ調の表紙に引かず、思い切って読んでみて欲しい。
ジャンルの境界線なんてあってないようなもの。
表紙は詐欺、言葉の散弾、西尾維新

表紙は詐欺、言葉の散弾、西尾維新クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』


時代は変わった。
今やすっかりラノベ作家と認知されている西尾維新
当時のミステリ番外地「メフィスト賞」だったからこその『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』の表紙も、今や西尾維新と言えばこんな感じのアニメ調表紙と言ったイメージが定着しているだろう。
ジャンルは所詮、解りやすくする為のタグでしかない。
様々な要素を内包する「作品」を定義する為の「ラノベ」という曖昧模糊なジャンルを当てはめるのに西尾維新の諸作は丁度良い。


麻耶雄嵩山口雅也はミステリ作家としてデビューし、メタやアンチミステリを展開しながらもミステリを書き続けている。
そしてその後、同時期に清涼院流水舞城王太郎らと西尾がミステリと言うジャンルでメタ(あるいはアンチ)ミステリとしてデビューし、その後ミステリと言うジャンルを内包しながらジャンルレスな作品を発表し、それぞれラノベやブンガクなどのタグを付与されるような作品へ移行して行ったのは興味深い。


ラノベを読んでいる人も古くさいと引かずに本格、新本格ミステリも読んで欲しい。
T・S・ストリプリング「カリブ諸島の手がかり」に収められた「ベナレスへの道」でのミステリへの挑戦は「当時にこれだけのものが書けるのか」と驚かされるだろうし、バロネス・オルツィ「隅の老人の事件簿」の終わりにリドルストーリーの味わいを見るだろう。
氷菓が面白かったならバークリー「毒入りチョコレート事件」を読むのも良い。
日常系ミステリーが好きになっているなら北村薫「空飛ぶ馬」を読んでも良い。
同じ米澤穂信の「春期限定いちごタルト事件」から小市民シリーズを読み始めるのも楽しい。
竹本健治「匣の中の失楽」は世界の境界を曖昧にしてみせ、山口雅也「不在のお茶会」「探偵ドミノ倒し」はミステリのコードを弄び、麻耶雄嵩「夏と冬の奏鳴曲」で顕現させる光景にで唖然とさせられるかも知れない。


セカイに面白いミステリはまだまだある。
読み口の軽いラノベに飽きたらこちらも是非どうぞ。
深みにハマってこんなに面白いものは無いのだから。
こんな面白いものをまだ読んでいないなんて、実に羨ましい。



ps.
ihayato先生の「15分でエントリーは書かなきゃダメだよ」って言う教えを今日も守れませんでした。薄っぺらい「プロの文章」をこなすのは無理なようでして。
失礼しました。

*1:以下、あくまで私見

*2:以降、ジュブナイルやラノベと国内外ミステリを併読

*3:我孫子武丸と法月倫太郎が絶賛してなかったら当時読んでなかった筈