「桐島、部活やめるってよ」を観た


今さらながら「桐島、部活やめるってよ」をiTunesレンタルで観た。

家族や友人たちと 並木道を歩くように 曲がり角を曲るように
僕らは何処へ行くのだろうかと 何度も口に出してみたり

ラブリー/小沢健二


エレファント


手法から連想するのは、やっぱりガス・ヴァン・サント『エレファント』
各登場人物の視点から同時間を繰り返し描く手法。
木更津キャッツアイでやってたような』とか言うと伝わりやすい。


『エレファント』の場合、各シーケンスでカメラ毎の焦点の合う/合わないによって人物の対象に対する興味・心情まで表現するっていう深すぎて伝わらんだろ、って手管まで使って、登場人物らに台詞を与えずに主要な流れだけがあって、監督の演出はカメラの撮り方に絞ってある。
伝えたい事はカメラワークに込められてるっていう構造があの映画の分かりづらさであり伝わりづらさであり、だから評判も別れる。
Youtubeみたいな勘違いコメントもつきやすい)
ロング、アップ、バストショット。カメラと被写体との距離が心理的な距離と比例するなんて撮り方はかなり実験的。


桐島


桐島の名前をわざわざ前半連呼してイメージつけて、でも一切劇中には出さない。
あの辺りの「噂のアイツ」手法がうまく転がってるかどうかは少し微妙なところだけど、一つの人物の存在を隠す事で、その周囲の人物の関係と行動を浮かび上がらせてるのはなかなか面白い(「ゴドーを待ちながら」だっけ。観た事ないから判らん)。
もし『桐島』が主体として血肉を持ったキャラクターとして登場し能動的に行動してしまうと、その桐島の行動に対する結果(リアクション)が必要になる。
しかし『桐島』の存在が空洞だから、登場人物たちは桐島へアクティブに何かを投げても帰ってくる事が無い。
そして「桐島に対する感情とそれに伴う行動」だけが浮かび上がる。
霧島に対する感情の発露は全て無為になる構造。


映画部


「イケてる」スクールカースト上位の運動部員たち(ジョックス)は空洞の『桐島』の周囲をグルグル回り、蚕の繭みたいに状況を構成する。
その中で『桐島』を軸に動かないのが神木龍之介演じる「前田涼也」の映画部(ナード)になる。

スクールカーストの下層を構成し、コミュニケーションが苦手。
映画部顧問の教師は「君よ拭け、僕の熱い涙を」なんていう一昔前の脚本を書く。
顧問が「自分の半径1m」をテーマに映画を撮れと言われても、周囲に恋愛の要素なんて無いんだから与えられた脚本の恋愛ものなんて撮れない。
前田が観に行く「鉄男」のドリル○ンポのシーンも前田のリビドーのメタファーとして機能してた。
欲求もあるし、渇望もあるけれどそれを表には出さない。


ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は60年代のベトナム戦争当時の「病んだアメリカ」から生み出された。
ゾンビ*1に襲われ右往左往するも、最終的に人間はゾンビに打ち勝ち残酷な仕打ちを行う。死体を吊し上げ燃やし、遊び半分で動き回る死体を破壊する。

屋上に「イケてない」映画部が作り出した仮想の世界に割って入る「イケてる」運動部員たち。
ゾンビが襲い喰う映像は、コミュ障「前田」が表には出さない・出せないイドにへばりつくリビドーによる妄想・空想。
自分に気があるかも、と少し思わせた橋本愛演じる「東原かすみ」が竜汰と付き合っていたことに失望して、独りで好きになって、独りでフラれて、その果てが破壊衝動としてゾンビに襲われ東原かすみが頸動脈を食われる映像に繋がる。
いっそ世界なんて壊れてしまえばいい。

OIT:屋上のシーンは、僕はちょっと泣いちゃったんですけど、あそこは泣くとこですよね?
YD:あそこは、僕もちょっとうるうるしながら編集したんですけど、高校生の多い試写だとあそこは大爆笑になることもあって。

OIT:あー、爆笑されちゃうんだ。
YD:拍手したりね。だから観客のノリもそれぞれ高校でどんなポジションにいたか、によるのかも。映画部に近い子だったらゾンビに気持ちをのせて泣けちゃったり、逆に運動部で活躍していたような子達は、なんか面白いあいつら、頑張ってるけど笑える、みたいな感じで楽しむみたいです

http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/yoshidadaihachi/04.html


しかし現実は何も起こらず、さっきと変わらぬ今、昨日と変わらぬ今日が続く。


菊池


菊池宏樹がカメラを回しながら前田に「映画監督ですか?」「アカデミー賞ですか?」と聞くのは、自分のような目標を持てずふらふらと立ち位置も危うく、夢を持ち切れずにいる自分と違う「夢に向かって進む無垢な姿」を見たからだろう。
しかし前田からの答えは違っていた。
現実を見た、シビアな答え。
だから被写体となって撮られた時、繊細な菊池は泣く。
野球部の主将はまるで松本大洋の「花男」みたいに夢を見続けてる。
それがバカバカしくても夢を見続ける。
前田は夢を見ながらも現実もとらえている。
しかし菊池にはそのどちらも出来ない。
見た目は良くて、(イマイチな)彼女もいて、スポーツも出来る。
それでも孤独を感じる。

野球部を遠くに見ながら、桐島に電話をしながら自分の見えない未来を思う。
どこからきてどこへ行くのか。
自分は何をすればいいのか、見えない。



イケてる高校生活、イケてない高校生活、やり場のないリビドー、コギトエルゴスム。
同じ空間が登場人物によってその色を変える。
複数のコミュニティが集まりスクールカーストを形成する。
みんな何かが満たされず、何かが足りなくて、でもそれを満たす手段が無い。
多分、プリズムみたいに観る人間によって角度が変わるんだろう。あれってオレだな、っていう感情移入対象が違ってくるから観客のイメージする風景も変わる。そして対象が違うから当然感想も変わるだろう。
この映画に出て来ないのは、いわゆる露骨な「不良」と呼ばれるキャラクター。
振り切ったリビドーの形態はここでは出て来ない。
「愛し愛され生きるのさ」な学生生活なんて送ってなかった自分はナ-ド視点に近しさを感じる。

なかなか語り易い映画かなーと思うので是非どうぞ。

ああ なんとなく僕たちは大人になるんだ
ああ やだな やだな
なんとなくいやな感じだ

学生時代の僕といったら
ベランダで一人たそがれていた
校庭ではしゃぎまわる女の子たち
教室でおしゃべりする女の子たち
誰もがみんな天使にみえた
誰もがみんな天使にみえた
ああ どうか どうかお願い
ずっとずっと笑っていておくれ

銀杏BOYZ/なんとなく僕たちは大人になるんだ



*1:不死者。細かく言えばきりがないけど、ここでは判り易い呼称にしておく