「Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人ばかりではない」らしいのでもう一度読み返した

月末激務の中、現実逃避をしておりますocelot2ndです。

Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人ばかりではない/表参道で働くシニアのブログ
http://mohritaroh.hateblo.jp/entry/2013/02/27/002825

こちらがなかなか熱かった。
ウチとしての見解(というか群盲で象を撫で回しまくった自白)は示したので、今さら二番煎じも二番出汁もあれなんだが、こういう「記事題を肴に持論を展開する」というざっくりしたエントリーもなかなか面白いな、と。
ウチはFacebookは廃墟なので(大事な事なので二度言いました)あまり語れないが、こちらのエントリーはFacebook辺りを中心に語っておられるらしい。

自分みたいにTwitterメインとしてみた場合、@acoさんの元記事はかなり「...?」だったので、Facebookだけを抜き出すとどんな感じになるか再構築してみたい。


解体と再構築

あらかじめまとめておくと、Facebookは「社会人」、Twitterは「仲間」、mixiは「学校」という、サービス内の雰囲気をこのような代名詞に置き換えられると考えます。
こう置き換えると、インタレストグラフと呼ばれるものがTwitterで一番機能しやすいのがすっきりはっきりするかと。
インタレストグラフへの適応はFacebook>Twiterであると。
つまり趣味や興味ベースでのエッジが多いTwitterの方がインタレストグラフを形成しやすい、と言う主張がまずある。


Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」。
自分がどう感じたか、どう思ったか、という感情はさておき、社会人がスーツをぴしっと着るように、女性が化粧をしてお気に入りの服を着るように、人の目を気にしたコンテンツがウケる。そう感じています。
もう一度、あえて雑に言うと、自分が本心でどう感じたかなんてどうだっていいのです。
「全うな人間として着飾れるもの」が何を指すか微妙ですが、二行目以下がそれに相当すると考える。
Facebookには「人目を気にしたものを投下する」という事ですね。
自分が本心で「さすがにあざといだろ」と思っても「どうかしら?」みたいな、高校の同窓会にめかしこんで参加するような信条と言ったところか。
余所行きの感想を投下している、と。
「そう感じています」の一文が上記の引用部を私見だと示してる。


みんなが見て、美しいか。みんなが見て、幸せな光景か。
みんなが見て、面白いものか。
重要なのはそこです。そんなことないよ!自分の意思だよ!という方は大勢いるかと思いますが、無意識的に前者のようなものを軸にコメントしたり「いいね!」したりしたことが、無いということは無いと思います。
ちなみにこの場合の「みんな」は、自分が繋がっているか、自分の友人そのまた友人あたりまでが繋がっているか、まあそのあたりの比較的近しい人を意味します。
「ここまでは私見だけれども、みんな同じような感覚ってあるよね?」って言う問いかけ。
とはいえ個人的には、この辺りの感覚ってやはり「女性的」なんだろうと思う。
ジェンダーを語るつもりはないけれども、男の皮膚感覚的にそういう風に思ってしまう。
男性脳的にはこの辺りの感覚はあまり共感出来ないかも知れない。
(※男女で思考がハッキリ別れるんだ!という主張では無いです。あくまで私見)
うなずく人、そうでない人に別れる一文。

そしてここで「みんな」の定義がされる。
私見なので比較的近しい繋がりの「身内」に限定される主張という事か。


なぜそのような現象が起きるかというと、Facebookには明確な数字が出ます。
コメント数や「いいね!」数。
そして、コメントはつけばつくほど再度人の目に晒されます。
数字と言葉が、繰り返し人の目に晒される頻度が多い。
仕事というものを軸に動く社会の構造と近しい位置にある環境だと思います。
さらに、タイムライン化によってこの特性は強くなりましたが、Facebookはストック性が高い。
これも繰り返し晒される原因です。
だからこそどんどん無意識的に、感情が二の次になっていく。
そうなりやすい構造が元々あるのです。
Twitter⇒フロー、Facebook→ストックと言う比較。
「明確な数字」が出るのはTwitterでも変わらないんだけれどどれだけバズったかは書き手の感覚であって読み手には関係ない話。どれだけふぁぼられたか、どれだけRTされたかはツイート主にはわかるけどTLに流れてきたツイートの影響度はあまり気にしない。
そしてフローとストックの差により数字も流れ去る。
他人がバズったツイートなんて興味持てませんな、確かに。
この辺りはそれぞれのUIの話になるか。


FacebookTwitterの違いとして、投稿できるコンテンツとそれらが表示される形の違いがあります。
Facebookで無意識的な反応が多くなるのは、視覚的コンテンツが流通しやすい環境であることが要因と言えると思います。
画像を投稿すると、大きく画像が、こう、ばーんと流れてきます。
それに対しTwitterは、どんなクライアント(tweetbotとかEchofonとかHootSuiteとか、引っ張ってきて表示するあれら)でもまず視界に入って来るのはテキストであることがほとんど。
もちろんFacebookでも「ウケる文章」はありますが、それも大体画像や動画とセットで流れてくるものの場合が多いです。
この辺りの比喩はTwitterFacebookよりも極論としてTumblr辺りを引き合いに出すのも良かったように思うけれども。
UIから見た各SNSにおける「ウケる」投稿の考察と言ったところ。


Facebookがいくら視覚的コンテンツベースでその人自身の思考や表現として機能しづらいといっても、繰り返し晒されるリスクが高くしかもストック性も高い故に、Facebookの方がいわば「リスキー」なわけです。
フロー・ストックでどちらがリスクが高いかの考察。
フロー型は流れ去る速度も速いからリスクは低い。
ただTwitterの場合脊髄反射で叩き拡散→炎上と言う事例も多い(リテラシー云々の話になってくるだろうが)ので一概には言えないだろうけれど。
Facebookでの炎上ケースが少ないのは(他のSNSで炎上→Facebookまで延焼はあるかもだが)実名制によるところが大きいだろうけれど。


まとめをまとめる

ここまでまとめると
Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」
Facebookは構造的に同じ投稿が人目に晒される機会が多いため、自分のコメントや「いいね!」の評価が無意識的にひっかかる
Facebookでは比較的近しい「みんな」にウケるであろうコンテンツがウケる。例として、美しいものや景色、人や動物の幸せな場面、みんなが面白いと言っているもの。
FacebookTwitterの違いはコンテンツの見え方。前者は視覚的(写真や動画)、後者はテキスト。テキストベースのTwitterの方が関係構築的に一見リスキーだが、両者のサービス構造を比較したときに、ストック性の高いFacebookの方が結果的にリスキーとなる
まとめると、
Facebookでウケるのは「自分が素直に思っている事より読まれる・見られる事を意識したよそ行きのもの」
■UIの構造的にウケた度合いが視認しやすいのでそれも評価に影響するかも
Instagramなんかと同じく自分どう感じたかよりも「オシャレっしょ?」「キレイっしょ?」「ステキやん」がウケる*1
Facebookとツイッターの比較。画と文字の差。Facebookは火元が流れ去らないので燃えたら燃え続ける。

こんな感じか。
ん? なんかこれって伝説の名著「バズるテク」を思い出させる。

んー、香ばしいw
見ればわかるように四項目目は前三項目と少し違う。
一~三項目が「バズるテク(via僕秩)」
四項目目がUIとフロー・ストックの差異をベースにした比較になるか。


だからこの記事って結局
「バズるテクと比較論、インタレストグラフを闇鍋に混ぜ合わせた私見」
であって、
Facebookってこうだぜ」
ではないんじゃないかなー。

だから
Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人ばかりではない」
と言われても
「はい、その通りです」
としか返せないんじゃなかろうか。

元記事って「私はこう思います」「私はこうです」だから。
だが混ぜ合わせてしまったせいで私見と言う部分や、本質だったりが見えづらい。
だから脊髄反射記事も出来上がりますわな(Twitter論と比較してFacebookの方が論旨を通して読めるし)

こんな感じで。

※引用部は
Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人/あころぐ
http://aco220.com/?p=242
より引用

*1:@aco様より違うとの指摘がありましたので訂正しておきます。個人的にはバズるテクの坂口綾優がイメージだったんですが