「ももクロ秋の二大祭り」BDを観ながら思う

ももクロを語るのもブームを過ぎているし、今更感が強いのは解ってる。
今夜はワインを飲んで「悲痛伝」を読むのを中止してこれを書いてる。
※以下、乱筆乱文すみません。


根っからのドルヲタでも無いので、ウチのiTunesには洋楽1万数千曲とももクロ99曲が入ってる。
他にアイドルと言えば解散したTomato n' Pineくらい。
今やMassive AttackとJames Blakeとももクロは欠かせない。

どちらかと言えば根っからのモノノフ方からは
「サブカルから入ったニワカかよ」
と揶揄されてしまうかも知れない。
そう言われればその通り、別に否定もしない。
大槻ケンヂ、The Go TeamとかNARASAKIの名前を聞いて反応したのも入り口の一つ。


先日、男祭と女祭のBDボックスが届いた。

相変わらずパフォーマンスは良い。
ライヴならではのアレンジやハプニングもあって面白い。
毎度お馴染みのグダグダの演出もあったり、有安は相変わらず泣いてるし。

今は、女祭を観ながらこれを書いている。


西武ドームの時の水着はヒドかった。

スクール水着にゼッケン、水泳帽の周りにフリル。
学校の授業でも着やしないような格好をしてた。
あんなにドキドキしない水着も珍しい。
だが、あれが正しい。


AKBがグラビアにセクシーショットを投下する中、ももクロスクール水着
夏のばか騒ぎの煽りVTRでもTシャツに短パンでプールサイドで水鉄砲で水の掛け合い。
自称“セクシー担当”あーりんもセクシーを謳いながら、やってみせるのは加藤茶の「ちょっとだけよ」。
女祭では「セクシーなももクロが見たい?」と煽ってウサギの耳を付けた衣装で登場。
タイツにガーターベルトが唯一「セクシー」と言える部分だろうか。

曲に関しても無印時代こそ露骨な恋とか愛とかが多かったが、どんどんそういう曲の割合が減る。
あえて「性」であったり「恋愛」であったり、そういう部分を不可視にしている、と言うか薄めて見せる。
等身大の恋愛。
アイドルに必須のそう言う曲が少ない。


ももクロを評する時「頑張っている」という形容詞が付く事が多い。
アイドルであれ何であれ「頑張っている」のは当たり前の話。
AKBだって頑張ってるし、世の中頑張っている人が応援されるべきならももクロ以外にもいる。
「頑張っている」と「性」の相性は非常に悪い。


kwkmマネの企みや佐々木敦規の演出の指向は、徹底してももクロから「性」をはぎ取ったアイドルにしようとしているように見える。
無垢性を高めるアイドルのパッケージ。
甲子園を目指す高校球児の汗を流してひたすら練習に打ち込み努力している姿は人の心を打つ。
だがそこに
「エースは何人も女を作ってやりまくってるらしい」
ってうわさ話だけで努力している姿が曇る。
「性」のノイズはとても簡単に「努力」や「無垢」を失墜させる。

敢えてのグダグダの小芝居シークエンスに関しても、歯切れよく決まった演出をそもそもももクロに求めていない。
キレイに決まったショータイム、そこにももクロの無垢性を高める効果はない。
ステージの上のよく出来た文化祭、それがももクロの無垢性を高める。


アイドルは「性」の臭いがする必要が無い。
竹内義和翁みたいな熟練工は、そんな中にも逆説的なセクシーさを見いだしたりもするが、純血で純粋な方が信仰する対象に向いている。

ももクロは今のところコンパに参加した話もない、虎刈りにするようなお泊まり話もない。
もしスキャンダルが出たとしたら、その後のステージの上の無垢性の演出は張り子の虎になってしまう。

とはいえアイドルも人間。
お父さんが娘にお嫁に行って欲しく無いと思っていても、娘はどっかの男とくっ付いて子供作って家を出て行くのは必然。
解っていても今の「無垢」を愛でるのが正しいアイドルの見方かも知れない。
期間限定パッケージされた「無垢」と「努力」を。


さて、ももクロくらぶxoxoが始まった。
今日はこの辺りで。