「批判することで、いったい何が生まれるのか考えてみた」を読んで考える批判と非難と

批判することで、いったい何が生まれるのか考えてみた。/【精神疾患への逆襲】鬱と闘うIT系僕のブログ
http://tomohiko-yoshimizu.hatenablog.com/entry/2013/04/06/151724
読んだ。
「批判する事に否定的だって?!」
なんて批判は書きません(笑)
当たり前ですが。
確かに批判しても結果は不毛ですよね。
でもウチでも批判的ととられる事が多いんですよ。
だから自己言及的に「批判する事」についてブレストしてみる。


そもそも批判ってなんだろうか。

1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

http://kotobank.jp/word/%E6%89%B9%E5%88%A4


よくやってるなーw

でもウチの場合
「AってCだからBじゃ間違ってるぞ!」
って訳じゃ無くて
「読んでみてAってCだって思ったけど...」
って書く事が多い。
気持ちはどうあれ行為は「批判」って語彙には含まれてしまってるだろう。

批判って一概に言っても
能動的な「批判するつもりで批判する」
結果的な「批判するつもりが無くても批判になってしまった」
攻撃したいだけの「批判じゃなくて非難」
こんな感じに別れると思う。

前にも別の記事で書いたけどそもそも批判するつもりで誰かの記事を読む事って無い。
まず中立な目線で読む。
で、その中で「お、これいいね!」って事に対して書く。
あるいは「なんか違うなー」って事に対して書く。
それが一時ソースのニュース記事に対して書くのか、一次ソースを受けて書かれた記事に対して書くのかでもかなり違うと思う。一次ソースに対して書くのであればそれは「見解」だったり「感想」「意見」「批評」になったりもする*1
しかし一次ソースを受けて書かれた記事に対して「あいつはAって書いてるけどBだよね」って書くのは批判もしくは非難になる。


発表された作品に対して論拠を示し批判する事は「批評」になる。

私は自分の仕事が批評され、自分はどの点で間違っていたり正しかったりしたのかを知ることを強く必要としています。でもその場合、そのことの証拠が示される必要があります。
私は自分ひとりで自分の映画を裁かなければならなくなることを恐れているわけです。
私は批評されることを、ただし明白な証拠をもちいて批評されることを必要としているのです。
かりに私が犯罪をおかしたとされるとすれば、私はあなたに、私にその犯罪をおかす理由があったかどうかを証明する証拠を示すよう求めるはずなのです。あなたが私の最新作について書いた批評は読みました。でも私には、あなたがあの映画を気に入ったかどうかはどうでもいいことです。
私がほしいのは証拠なのです。

ゴダール全評論・全発言Ⅱ


でもゴダールでも無根拠な「非難」は受けたくない。
そこに批判の根拠になる証拠が存在する「批評」なら受け入れると言ってる。
そりゃそうだろう。


でも意見とか見解に完全なものなんて無いんですよね。
とくにウェブにあがるような素人の意見は*2
批判を受けやすい。
揚げ足取りになっちゃう。
そしてそういう批判したい人って大体文脈も読めない事が多いですねー。
「誤読を恐れるな!」
なんて大声で言われても非常に困る。
どこか一部分をピックアップして、全体の文脈無視して「ここのこれが間違ってる」そしてそれに依って「だから意見は間違ってる」というアクロバットを決め込む。
それに関しては書きましたけどね...。
関連記事:「誤読を恐れるな」という勘違いに関する経験談と寸劇


でもね。
ブログの書き手って何か言いたいから書いちゃうんですよね。
それは当然ながら批判になる事もある。
確かに批判って不毛ですよ。
批判、批評、論戦。
でも意味性は全部違うんですよね。

何か作品があり、それに対してなら批評。
何かの意見に対して対立論があり、その論拠を示して書くなら批判。
その批判に対抗してやりとりが発生すれば論戦。
そして論拠も無くただ単に相手の文章をピックアップして攻撃するだけなら非難になる。

記事元の方が言ってるのはどれなんだろうか。
なんか文脈からすると非難に近い気がするけれど。
人格攻撃を含んだ反論。
あるいは論拠無しの人格攻撃。

批判って言うのは書き手への反論は含まないんですよね。
あくまで
「提示された論拠に対しての別視点の論拠提示」
それが批判。

ブログは論破されることに意味がある/長椅子と本棚

色んな人が居るなーw
「一億総ツッコミ時代」って本を以前に読みましたけどね。
そこにもあった。
批判するんじゃなく批判される人になろう、ってヤツ。
でも批判ってそんなに有用性無いのかな?
例えばどっかの誰かのツイートを一部だけ持って来て全く違う解釈で載っけてたり、
当然の様に勘違いした見解や自論を「〜だ!」って書いてたりね。
そー言うのは何か言いたくなってしまう。
スルー力が試されてるんだろうけれど。

バカが大声でバカな事を書きなぐっていても嫌なら読まなきゃ良い。
でも目に入って来る。
ウェブを見てれば流れて来る。
完全スルー出来たら大人だなー。


こっからは個人的見解ですけど。
ブロガーって書くじゃないですか。
色々と。
何かの感想だって意見だってそれは「批評」だったり「批判」と同意。
でもそれって「誰かに読まれるため」に書くんですよね。
その読まれる結果は批判だったり非難だったり同調だったりする。


「同調」だったら当然嬉しい。
同じ意見なんだし。

「非難」だったら受け入れない。
だって個人攻撃なんだから。
あるいは反論の論拠が薄過ぎたり。

でも「批判」だったら?
それは受け入れなきゃしょうがない。
だって自分と違う意見があったり、自分の論拠が間違ってるんだから。
同じ意見だったら嬉しいから受け入れる、でも反論だったら受け入れない。
読んでくれてありがとう。意見が伝わって嬉しいよ。
ボクが書いた通りにやってくれてる?それはとても嬉しい。是非おすすめなんですよ。
反論なんて下らないいらない。書いてる通りに受け取られない。誤読だ。
読んでるヤツが悪い。
好きなものだけ食べて嫌いなものは食べない。
それって違うなーって。

「書く」とか「発表する」事とかってそう言うリアクションをキチンと受け入れなきゃいけないんじゃないかなーって思うんですよね。勿論、批判や非難なんてねーって思うけれども。
何か書いて、読まれてその中身に100人が100人納得してくれるわけ無いじゃないですか。
書き手の意図通りとってもらえないし、自分だって書き手の意図通りはとらない事もあるし。
だから良い反応も悪い反応もしょーがないんすよ。
良い意見はオッケーだけど悪い意見はダメ、なんて書いてる側としては言えません。


「他人の批判なんてするな!」って意見はとても正しいと思う。
でもオレは無理かも知れない。
だって批評や批判を書かずにいるなら日記しか書けないじゃないですか(笑)
だって何かに対して意見を書いてそれが受け入れられなかったら批判になるんですよ。
意見なんて絶対的じゃないんだから。
だから書いてしまう。

でもこちらが受ける批判や非難に対して更に攻撃はしないですよ。
殴られたら殴られっ放し。
それ以上やっても不毛でしょう。
だって揚げ足取りが続くだけ。
それこそ一番無駄な行為。


だから自分がブログを書く上で決めてるのは
「批判はするけど非難はしない」
「批判されても非難されてもスルーする」

それは守って行きたいなーって思ってる(たまに忘れますけどw)
そんな感じです。

だから共感されて仲間が集まるとかそう言う事が無いんだろーなー(笑)
同調する意見を沢山待ちしております。
かしこ。

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*1:勿論、言葉が違うんだから中身によってわかれますよ

*2:プロって各その道の資料や論拠や知識をバックボーンにしたものを除くと言う意味で