愛好家たるもの

・アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130410/p1
シロクマ先生んとこのエントリーが面白かった。

「愛好家たるもの、自分自身の「好き/嫌い」の次元と「こいつは凄い/凄くない」の次元をきちんと区別できなきゃいけない。」

確かにおっしゃる通り。




「愛好家たるもの」
ってところもポイントだと思う。
一般の、特に何のこだわりも無くボケーッと消費するだけマジョリティな方々に関しては「好き/嫌い」の評価軸でも構わない。
先入観、偏見、一般通念。
そういったありものの価値観で判断してしまっていいんだろうと思う。
「ん?なんかあれってヲタクっぽいから嫌い」
ももクロとかマジで聴いてんの?ダサっ」
「は?あんな作画監督のヲナニーを見てて楽しい訳ねーだろ、ダボッ!」

それこそ自分の趣味を「クソムシが!」と罵られても構わないし仕方が無い。
理解を得ようなどとはおこがましい。
判らない人には生涯判らない。
マジョリティの理解なんてその程度。
そういう方々は作品の深淵や凄さ、見方や楽しみ方を知る事無くゴミの様におっ死んで行くのでそれはそれでいい。
塵は塵に灰は灰に。

「愛好家たるもの」
愛好するとはそういう事だろう。
誰かに理解されたいと望むのではなく己を深め、真に正しい理解を得ようと求める。
それでも理解されたいと言葉を尽くし、しかし理解されず語られた言葉は泡と消える。
愛好家とはただ生まれただ生きるのではなく、
人生において有意無為な事象に相対し知的な思索と深淵の探訪にその意味を追求する。
それが真に「愛好家」と呼ばれるに相応しい生き様だろう。


「趣味や道楽」
定型句のように二つ連なって使われる。
ヘンゼルとグレーテル、グリとグラ、サンダとガイラ。
趣味とは「おもむき(情趣)を味わう」から趣味で、
道楽とは「道を解して自ら楽しむ」から道楽なのだと。
「趣味や道楽」に重きを置く愛好家は、道を解し趣を愛でそれを愛で好まなければ「愛好家」足りえないだろう。


限られた人生をアニメを消費し、理解することに費やし、出来るだけ高画質で鑑賞するべく私財を散財し、リマスターや特典映像が付いた円盤が出ればさらに追加購入する。
地方のコンサートに参加すべくチケット代と交通費に日々の稼ぎは消え失せ、
推しメン色に染めた自作の法被を羽織り、アイドルのブログに「ねちゃ」と音を立てそうなコメントを書きこむ。
新譜が出れば朝一でフラゲし、ヘビーローテーションでかけまくり。
バイトは休み、コールの練習とTwitterで悪口を言うヤツを見つけて晒し上げる。
ブログには自分の感想と解説を延々と書き殴り、それでアクセスが一桁でも、そんな事はどうでもいい。
書きなぐり、そこに理解をし著しているその事実こそがその作品・対象への愛の実態として昇華し、どこかのサーバーのメモリーの一つとして残り続ける。



だから、「凄い/凄くない」をできるだけ見極めるように努めながらも、好きな作風の作品はちゃんと愛でるようなアニメライフのほうが、遠回りのようで正解なんじゃないかと私は思う。アニメを観るときの心構えとして「昆虫のように観察し、豚のように萌えろ」を座右の銘にしているのも、そのためだ。

偉大なる師*1はかくの如くおっしゃられた、
「恐れるな!誤読せよ!さらば与えられん」と。
無知蒙昧なる者どもに愛好家の愛好家たる言質をもって、鉄槌を打ち付けるごとくブログに刻み込むのだ。
真理の前には炎上など恐れる事も無い、その大脳皮質から絞り出した神代の時代より受け継がれし偉大なる言葉を以って世の真理を求むべく、セル画やCG画の裏で流されたアニメーターの血も汗も汲み取らんばかりに、予算とスケジュールのやりくりに失敗した作画が荒い回すらも愛で褒め、愛好家は言質を尽くし語り尽くさねばならない。ただ四季を迎える度に無償で与えられるコンテンツを無為に消費するのでは無く、シナプスが引き千切れんばかりに思索を深め、徹底的に、徹底した、徹頭徹尾に徹底的な読み込みを行わねばならない。
読解を。
真理を。
深淵に見出さねばならない。
そして嘲け笑うのだ。
理解無き世の無知蒙昧なる自称クラスタを。
深淵を理解せず、表面的な事しか読み取れず、己の愚かさも理解せずに語ろうとするクソムシを。
感情論や主観論などと言った表層のみ取り繕った笑止千万で浅薄なものではない、
真の、神の理解を。
「恐れるな!誤読せよ!」
それこそが真理。


※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません

*1:ihaya○o