小説は死ぬのか死なないのか?ノマドはどうでも良い

そういえばノマドだの社畜だの家畜だのうるせーなーと思ってたのに
ももクロですっかり忘れてた。
挨拶はちょっと書いたけど(どっかで見た事あるような記事を)。




ノマドが自由だとかどうでも良い


社畜と家畜は似てようが似て無かろうが、そんな事はどうでも良い。
社畜は社畜をやってる、望んでるか望んでないかは知らん。
人の仕事にケチ付ける暇あったら自分の文章何とかしろ(勿論、ブーメランはスルー)
職に貴賎無し。
どっちが偉いとかどっちが偉くないかなんてもんは無い。


とはいえ
ノマドが全滅しても一切困らんけど、バイト店員が全滅したら実に困る。
指向性の「ノマドだけ全員死滅ウイルス」なんて撒かれても何も困らない。
「アルバイト店員抹殺ウイルス」なんて大変。大混乱になる。
そういう視点で見れば、ノマドなんていらない。

スーパーのパートおばちゃんがいなくなったら買い物に行ってもレジが長蛇の列で困る。
だったらノマドなんていらない。

ゴミ収集車の人がゴミを回収してくれないと困る。
だからノマドはいらない。

家畜がいなくなったら困るけどノマドがいなくなっても困らない。
家畜の方がよほど社会的に意義がある。

社畜がいなくなっても健全な会社体制になるって事ならそれはそれでいい気がする。
じゃあ社畜もいらないな。


んじゃ結果、ノマドも社畜もいらない
生活に何の支障も出ない。


...とかね、他人の仕事なんてどうでも良いんだよ。
やりたい奴はやりたい仕事をすればいい。
社畜だって好き好んでやってる訳じゃないんだよ。
生きるため、食うために選択してんだよ。
ノマドだから自由をアピールして、他の仕事を見下して。
何が偉いんだか。
何が優れてるんだか。
生きたいように生きりゃあ良いさ。
それで勝手に死んどけ*1

だからさ黙っとけよ。
挨拶だの家畜だのつまんねー記事をホッテントリに入れんじゃないよ。



そんな事は、どうでも良い。
ここからが本題。
そして前半と後半は一切関連が無い。


活字は死ぬのか


エンタメ小説はもう終わってる言う日記を読んだ(ビジネスとして)。
主観が入って入るだろうが中の人の意見の一つだろう。


エンタメ小説が、これからどうなって行くかは判らない。
でも生活が少しづつ変わり、インターネットで文字を見る事が増えた。

アナログでローカルで、スタンドアロンな紙メディアに落とし込んだ文字情報を読んでいくって言う「読書」というスタイルが今後電子書籍にとって代わられるのか、このまましぶとく生き伸びるのか、棲み分けが行われるのかは判らない。
ただ一つ言えるのはプレーンな情報をみんなあまり欲していないって事だと感じる。

最近Gunosyのインタビューが連日載ってるが、あれにしてもVingowにしてもCrowsnestなんかのキュレーションメディアの台頭もそうだし、Google Readerが時代錯誤だなんてバカの発言を生むのもそういうキュレーション最良説みたいなバカな盲信を生んでしまっているのも、インフルエンサーだのアルファブロガーだの言われて情報発信してる人らもそうだが、読み手は誰かが何かしらの解釈や嗜好性を示した後のモノを求める。
情報が多すぎて処理しきれないからフィルターをかけた後のモノが欲しい。
自分で取捨選択するのではなく、どこかの誰かがオススメした、どこかの誰かがいいと思った、どこかの誰かが美味しいと思ったものを。
「僕が選ぶ神アプリベスト20」みたいな噛み続けたガムみたいに味もしないような定番記事が何度も何度も何度も何度も大量にブクマされホッテントリする。
そこに詳細なレビューは求めてない。
誰かが選んだリスト、それだけが欲しい。
経過はいらない、結果だけが欲しい。
誰かが選んだという価値観が見たい。


ビジネス書の斜め読みみたいな感覚で文学作品を処理されたり、解釈されたり。
中身を抜き書きした誰かが読んだ感想文を読み、読んだ気になる。
評論やレビューと呼ばれるものですら無く、ただの丸写しと薄っぺらなコピーで出来た駄文。
そんなものでもありがたがって何度もホッテントリする。
くだらない。
そんな文字の羅列を読むなら元の本を読めば良いのに。


ガイドライン


お笑い番組でテロップが出るのは当たり前になった。
かつて上岡竜太郎はあれを見て
「テロップに慣れると「ここで笑うんですよ」と示してあげないとお客さんは笑えなくなってしまう」
旨の発言をしてた。
ロンハーのプロデューサー加地倫三は自書の中でテロップの話を書いていたが、やはりそこにテクニックがある。
視聴者はバラエティを見てタレントの発言で笑ってるのか、テロップで笑ってるのか、笑わされているのか。
何を面白いと感じているのか。
テロップが無くても同じ箇所を面白いと理解し笑えるのか。


小説を読むのは力がいる。
気合と言うか。
一つの物語を読むのに何時間も、何日もかかる。
続き物なら何ヶ月、何年かかるかも知れない。
文字を目で追い、作者の描いた世界を脳内で再現する。
その作業には力がいる。

だから文語体の文章は読みにくい。
だから口語体の文章は読みやすい。

文語体は変換を必要とし、口語体はそのままで解釈が出来る。
エッセイを軽く感じるのはそのためだ。
軽妙で、面白おかしい話をまるで友だちが話すような文体で書かれたものを読むのに気合も力もいらない。
インターネットに文語体はあまり存在しない。

口語体で実体験や思想を語り手が語り、その持論と解釈を書きこむ。
それを読んで。
でも何かが変わる事は殆どない。

一日の終わり、今日読んだものを考えてみる。
何か人生を変えるものはあったか。
何か自分を成長させるものはあったか。
大抵何もない。
絶対にないとは言わない。
だが1年365日、膨大な文章を読んでそのうち幾つが自分の身になり糧になるのか。

膨大な文字を読んでいても、何もない。
米粒一つですら食べれば栄養になって自分の細胞を活性化させるのに。
ネットの膨大な文字は何を与えてくれるんだろう。


文学は瀕死かもしれない。
本は売れないし、電子書籍も頭打ちになるのかも知れない。
文章を読み、読み解く力を持つ人間は減るのかも知れない。
しかし文学が無くなってはならない。
エンターテイメントであろうと、純文学であろうとミステリーであろうと。
それは書かれ続けなければならないと思うし、願う。

どうかこれからも物語が紡がれ続きますようにと祈りたい。


そして優越感を語る勘違いなノマドはいなくなっても構わない*2

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*1:ただし全てのノマドがいなくなれなんて思ってるわけじゃあない

*2:全てのノマドがいなくなれなんて思っているわけじゃあない