メタ視点とキャラクター

ニャル子面白いっすね。
さすがにドラクエの最終回処理(急に何十年も先の未来になって子供たちがその後の顛末を老人に話してもらう)展開は伝わらないだろw
と思ってツイ検索したらみんな解ってて、こんな視聴者層相手にマニアックな小ネタを仕込むのは大変だろう。
三身一体アタック(ヤマトのショックカノンみたいな)の時のBGMが破邪大星ダンガイオーみたいだったり...元ネタはなんだろうか?
ダンクーガとかゴッドバードじゃないし。
あとで元ネタ検証ブログ見とこう。

三身一体も何かあるのかな?。三身一体ってパタリロの御先祖と合体しての三身一体ぶっちぎりタイムワープくらいしか思いつかない。
サイヤ人大猿は分かり易かったですけど。

※この記事には以下作品の大小ネタバレが含まれます。ご注意ください
積木鏡介『歪んだ創世記』

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積木 鏡介

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山口雅也『不在のお茶会』

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山口 雅也

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小森健太朗『ローウェル城の密室』

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竹本健治『匣の中の失楽』

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竹本健治

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ゲゲゲの鬼太郎『言霊使いの罠』




そう言えば複線だの打ち切りエンディングだの、あぁいうメタ視点の小ネタって自然に受け入れてるけど本来はかなり異種な筈。
例えばシリアスな話を読んでる(観てる)途中に登場人物が
『こんなの伏線無かった〜』
とか
『しまった...死亡フラグ立ててた...がくっ』
みたいな事を言い出すと読者(視聴者)が?となる。
パロディ色強いとあれですけど。銀魂とか。


積木鏡介氏『歪んだ創世記』は、孤島での連続殺人ミステリが刊行の際に原稿が逆向けになってしまいエンディングから始まってしまう。
キャラクターは最後の場面から始まってしまったためキャラとしての設定も記憶も無く作中を彷徨い歩き、事件のストーリーで提示した生き残り人数に合わせるために作者が登場人物を殺そうと言うメタなミステリなんだが、その作中登場する作者もまた登場人物と言う二重のメタがある。

山口雅也『不在のお茶会』では作中人物らが自分たちの存在を読者が作品を読んだ際に活字を元に組み立てられる虚構の存在であると自覚し、作中から不可視の作外の読者、作者を認識しようとする作品。
ミステリであればそういった作中作外のメタミステリ的視点がある作品もある。

小森健太朗のローウェル城の密室なんてのもある。これは小説と漫画とミステリがメタに混ざった作品で...
例を幾ら挙げても解った風なバカロジック呼ばわりされるのでこの辺に。


ミステリからあと一つ。
竹本健治『匣の中の失楽』は、作中作によって章毎に現実を入れ替えて見せる。

Aと言う人物が1章で死ぬとする。
すると2章ではAは生きており実在する人物らが登場するミステリを書いている。その作中ではAが死ぬ。そして現実でBが死ぬ。
3章ではAの葬式。実在する人物らが登場する小説が書かれていて作中ではBが死ぬ。そして現実でCが死ぬ。
Cが死ぬと書かれた小説を読んでいる場面から始まる4章ではBの死について検討している...
といった具合。
実際のディテールは違うが大まかにはこんな感じ。章毎に直前の章を作中作であると否定しあう構造は作中人物が作品に対して自覚的ではないが、作品構造そのものがメタになっている。


漫画では作者が作中に登場する事がよくあるし、コマを使って遊ぶ事も多い。ただし作中に登場する作者はいわゆる『小なる作者』であり『作外の大なる作者』によって送り込まれたキャラクターのひとつでしかない。
魔夜峰央なんかは作者や編集者など登場するし、枠外を使ってパタハミなんてコーナーを展開したり、急に四コマ漫画で発明パタちゃんなんてやり出したり、かなり作品構造と作品内容との関係性やキャラのメタ視点に関しても自覚的。
九井諒子のショートショートの主人公はキャラの描きわけと作品構造が比例し、作中人物が作品構造を考えるって中身だった。

ひきだしにテラリウムひきだしにテラリウム
九井諒子

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作品によっては作中のキャラクターがコマを自覚し、それを操ったり移動したりする描写も散見する。
セガの『コミックスゾーン』ってゲームでは作品に入ってしまった漫画家がコマの間を移動し戦うアクションゲームだった。メタとは言えこの場合は漫画のメタをゲームでやったんだからメタなのかどうなのか微妙ではあるけれど。


ゲゲゲの鬼太郎の言霊使いの罠で、言霊使いは作中の妖怪を伝承の元になった存在に戻してしまう。ぬりかべは土壁に、砂かけババアは砂と風に。
作品の終盤、鬼太郎は『父さん、僕たちは本当にここに存在しているんでしょうか?』と自己の存在に疑念を抱く。
かつて日本人は、不可知のモノを理解するために妖怪と言う概念を使った。そしてそれを水木しげるはキャラクターとして昇華し、妖怪を一般的なハイコンテクストにした。
言霊使いの罠の脚本を書いた京極夏彦はそんなキャラクター化した妖怪を本来の概念に戻したとも言える。
ここに存在しているか?と問われた鬼太郎のオヤジは鬼太郎に『自分たちは自分たちがここにいるってわかっているし、誰かが自分たちをここに存在していると思っているなら自分たちはここに存在している』と答える。
我思う故に、誰か我を思う故に我あり。

水木しげる&京極夏彦 ゲゲゲの鬼太郎解体新書
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キャラクターとは読者、視聴者が認識した時、始めて脳の中に発生する擬似存在。
シュレディンガーの猫の生死と同じ。