電車の中で新聞をバサバサやってる。

■電車の中で新聞をバサバサやってる。
混んでる電車でもお構いなし。
バサ、バササッ、バサバサッ。
マナーモードにしてない着信音もウザいけど新聞バサバサやんのもかなりウザい。
しかも心理的に風が来るとか、当たるとか、うるさいとか色々。
特に新聞の角が当たると結構イラッとする。


■新聞って「電車の中で読んでください」とキオスクで売ってる訳じゃなく「行きや帰りに買って下さいね」と売ってるんだろう。
人と人とが密着している通勤ラッシュの車内でわざわざ新聞を折り返すのに必死になって読むスペースが無いもんだから前のおっさんの後頭部スレスレのところに新聞を掲げて読んだり。そうまでして読まなきゃいけないものですか。


■今や電車で新聞を読んでるのを見かけると
「情報を得るのにとても前向きだね」
よりも
「未だに新聞とか読んでるのか」
っていう感じがする。
個人的に、だけかも知れないけど。


■新聞って媒体はコスト的にも生産的にもシステムが確立していて、発行者の都合よく造られているメディアであって、表面に文字を印刷した紙の束を折ったものが必ずしも読み手にとって良いメディアでは無いんだが、それが自然に感じてしまうくらい新聞という存在はハイコンテクストな領域にいるんだろう。
株価のページなんてゲシュタルト崩壊を誘発させる機能以外よく判らない。
株価知りたきゃあ検索するな。


■威厳ある父親は新聞を広げる一家の朝食。そんな普遍的な「日本の家庭の風景」だが、そんなイメージも「家長は新聞を読み社会に目を向けるべきなのだ」という考えが根底にあるのか。そういう装置としての新聞って言うツール。
しかし報道の偏向や中立性の無さは今さらだが浮き彫りで、新聞で「与えられる」情報に信頼性は高くても、そこに恣意性はあるし、「与えられる」のではなく「求める」事で情報が得られるようになった社会でただ「与えられる」情報の意味は何だろう。


■ライフハッカー連中がよく提唱している「情報のフィルタリング(キュレーション)」はそういう情報の偏向や恣意性を含む。