【急募】若手論壇ブロガーさんいらっしゃい【未経験歓迎】

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なぜ20代論客が少ないのか?/とある青二才の斜方前進

個人ブロガーが論客として力をつけるには/ウラガミ

大元の書店の記事は読みたくないので派生したこの二つの記事を読んだ。
特にウラガミさんの「ブロガーの論壇」について。


知識・知性・教養


ブログは何かの主張をするのに向いている。
昔であればニュースを読んだり聞いたりしてあーだこーだ思ってもそれを主張する場も無く、新聞を読んで考えた社会情勢に対する鋭い考察も、風呂場で「ユーリカ!」とばかりに辿り着いた真理も、家庭の食卓に聞く相手は存在しない。
旦那が奥さんに話しても
「へぇ...あ、そう。それより今度の日曜日にさ...」
と聞かれもせず、日常の彼方へと消え失せてしまう。
そんなものだ。

知識と知性と教養は似て非なるものだろう。

社会では教養(教育)が評価される。
何々大学何々学部を優秀な成績で...。
何々大学院で研究職に...。
知識は評価されるが貴ばれはしない。
林家ペーが幾ら芸能人の誕生日を暗記していてもそれは知識として覚えているだけ
「へぇー、すごいですねー!」
で終わる。
多くのデーターを脳に覚えると言う方法や覚えること自体は興味に値するが、蓄積されたデーターの価値と乖離があるから評価されない。
極端に言えば本でも読めば書いてある。
わざわざ覚えなくても良い。


知識は活用しなければ意味が無い。
知識の活用や発想、連携、ひらめき、それを知性(知恵)とする。
知識が無くても知性があれば「頭がいい」と言われる。
「頭の回転が早い」とも言う。

気が利く、なんてのもこの知性に準じる。
相手の様子を見て「こうであろう」と言う推測をして対応し行動する。
どのような行為がどのような行為を求めるか、繋がるかそういう知識が前提としてある。
意識しているかしていないかに関わらず。

教養があっても知性があるとは限らない。
教養は教育によって知識を得、順序立てて学びを得る。
しかし知性も教養と同じく育つとは限らない。


社会評価


社会では教養が評価される。
そして知識や知性は評価されにくいし、評価しづらい。
知性には目に見える指標が無い。
IQテストなんてもんもあるが、一概に全てを数値化出来るならそれだけやってりゃいい。頭の回転が早くて狡知に生き抜くのに長けている、しかしIQテストは低い、なんて人間もごまんといる。
必要な知性、必要な知識、必要な教養。
それ以上では無く、適度に適宜に。
多すぎても無駄で、少なすぎても良くない。
簡単じゃないから世の中ってのは難しい。

少なくとも社会・現場は学歴云々じゃない。
教養はあっても回転が悪くて、性格的にも難しい上席は山ほどいる。
そしてどこかで運用がこける。
効率を悪化させていたりするのはその部分だったりする。


ブロガー


ブログで主義主張を語る...ここでは「語り手」としようか。
それらが育つ/育たないと言う意味で言えば、まず現状のブログ界隈の流れを見ればわかりやすい。
今や「まとめサイト」「NAVER」が主流を占める。
その他はTwitterだ。
まとめサイトは他人の言葉と他人の知性を剽窃する。NAVERも然り。
Twitterは言葉が断片化し、語る場としては狭すぎる。
育たないのは当然だろう。
普段Twitterで最大140文字しか書いていない若者が
「一万語以上で何かを語れ」
と言われて即座に語れるものではない。


まとめサイトが評価される現状も要因の一つだろう。
個人ブロガーが、頑張って記事を書きこんだとする。
始めたばかりのブログにアクセスなんてほとんどない。
それでもアクセスが10pvあった。
翌日も頑張る。
アクセスが9pv。
さらに面白いものを書く。
アクセスが8pv。
どんどんわからなくなってくる。
アクセスが3pv....。

しかしまとめを作れば即座に数百~数万pvは容易い。
しかもその数値によってインセンティブが得られるし、自分の言葉は必要ない。
これでは何かを書こうと言う気にはならない。
「ブログを続ければアクセスは上がるよ」
なんてよく言うが実際のところ必ずしもそんな事は無い。

続けていたってアクセスに伸び悩むブログは多いし、アクセスを伸ばそうと言う事を考えなくなる。
書きたい事を書いて、アクセスがあればそれで良い。
ブロガーはそういうところに辿り着いたりもする(ただし「プロ」は除く)。


まとめはおもしろい。
まとめはお手軽だ。
でもそのまとめに引用される記事を書くのは個人ブロガーだ。
個人を差し置いてまとめばかりが評価され拡散される現状が、ブログ自体を下火にして言ってるのかも知れない。


「語り手」を育てると言うならまず「面白い書き手」以前にブロガーが育たないといけないだろう。
数行の日記程度では無く、主義主張や論考や持論や、見解や様々な意見を書きこめる、そんな。
最初、論理展開が破たんしていても論理や構成が身に付く人は身に付くし、付かないやつは燃えるだけ(書店)。
そういう「語り手」が140文字に満足し、まとめを拡散して他人の知識を引用して悦にいってるからそりゃ育つわけもない。


ブコメ


どっかの「デマ云々」の管理人が
「自分が冗談で書いた記事がまともに評価されたりして落ち込む」
云々って事を書いてた。
実際「あの記事だろうなー」と言う心当たりもある(過去ログにあるけど)。

中身は完全に冗談ベースで、しかしそれっぽく書いているものだからブコメが
「これは素晴らしい」
「さすがだ、新しい!」

みたいなコメントが付いてて、いやはや全く記事を読んでない。
「記事を読む」のと「記事を見る」とは違う。
冗談で書いた記事に「素晴らしい」なんてコメントをつけて拡散してるやつは読み込みも出来ずに判った気になって「こんな素晴らしい記事だ」と拡散してる。勘違いなのに。

そんな記事に対するリアクションにも辟易だし、記事を読み込まれて無いと言う事は他の記事もニアイコールだと言う事を指す。
つまり冗談で書いた記事に「素晴らしい」とコメントをつけているバカは、まともに書いた記事にたしいても「素晴らしい」と言うコメントをつけて拡散するだろう。まともに書いても冗談で書いても同じなら、書いていると言う事自体が何なんだと言う事になる。
言葉の通じない外国で演説してるみたいなもんだ。

名の売れたアーティストが冗談でゴミをペンキに染めて出品して、オークションで数百~数千万の値が付けば「オレのやってる事って何なんだろう」と疑問に思うのは自然な事だろう。
ブロガーと言うのは自分の記事に対して懐疑的だし、その評価に対しても懐疑的でいる。
主張があればなおさらの事。
評価する側も育たないと、評価される側が育つわけがない。

記事の読み込みもろくに出来ないのに何がブロガー論壇だ、と。


実名の功罪


実名は素晴らしい、実名バンザイ、匿名ふざけんな。
そういう主張はあるが匿名だからこそ書ける事は多い。
ブログと言うのは*1誰にも邪魔されず好きな主張を書ける。
バカでもアホでもブログは書けるが、市井に埋もれた知性もそこには散見できる。
社会的地位や名声は関係なく、ネットにアクセスさえできれば誰でもその知性や知識や教養を披露できる。
自分で辿り着いた論考を記載できる。


論壇


一つテーマで語り手が様々に書きあげる。
色々な意見が出て、その意見に対して更に論考が加えられマッシュアップされる。
論考に次ぐ論考。

社会問題や政治であれば立場が違えば視点が違うし、絶対的な答えは出ず堂々巡りを繰り返し、だから論考は育ちやすい。
理想論であれ実際論であれ政治家でないならそれに対して意見を論じ考えるしか出来ない。
実際の社会を眺めて論考するしかない。
政治に参加できるのは手にした投票用紙だけ。
そして社会は動き続ける、良くも悪くも。
だから論考は延々と続く。


まとめ


さて長くて疲れてきたことだろうし、まとめに入ろう。

ブログには、教養は必要ない。
ブログには、社会的地位は必要ない。
知性があればそれなりのモノが書ける。
ただ文章力は必要になるが。


では実際「ブログでの語り手」と言うのはどの程度いるんだろうか。
もしいるなら是非とも自分のブログで
「ブログとは何か」
「ブログで語る事の意味」
「その他」

などのテーマで(つまり何でもいい)最低2,500字程度で(この記事は4000文字近いですが)語ってみてはどうだろうか。
短くて薄い記事なら誰だって書けるので、ね。
今や語り手が少なくなった、と嘆く前に実際どの程度いるのか是非知りたい。
どの程度の語り手なのかも含めて。


「若手論壇」
らしいので論すら書けないウチみたいな泡沫ヂヂイは脚をひっかける場所も無いが、もし自論を展開できるようなブログがあれば是非読んでみたいと思う。
もし我こそはと思う方がいらっしゃったら是非どうぞ。
別に論評はしません。
書いてくれると嬉しいなーって程度ですが。


若々しいブロガーが縦横無尽、大いに語りまくるのを楽しみにしております。
読み手としてはつまらんまとめはもういいよって思うんですよ。

*1:他人に迷惑をかけない限りにおいて