「炎上」と「死」と未熟な「責任論」

バイト先でふざけた写真をネットに上げる。
それを見つけた誰かが拡散し、それを糾弾する“善意の第三者”が叫び始める。
拡散拡散。
広がれば広がるほど“善意の第三者”は増え続け、理由も根拠もない脊髄反射の義憤は炎上と言うかたちを描く。


【ウロボロスの蛇】


それを見て素人論者は語る。
「最近の炎上事件を見ていると云々」
「若者のこういう行動は学歴の云々」
「うちらの世界が云々」

そしてその論者たちを見て別の論者は
「偉そうに語っている連中も似たようなものだ云々」
「無責任に語るが何を解っていると言うのか云々」

とその様子を上から語り、それが炎上する。

そしてそれらをさらに総括し語るこのブログのこの記事。
自分で自分の身体を喰うウロボロスの蛇。


誰もが自分の意見を発信出来るようになった。
文章の素養のないどんな素人でも。
インターネットにつなげる環境と入力できる端末さえあれば。
天才からキ○ガイまで。
誰でも語れる。


例え大人であっても、内面が未成熟な人間は多い。
大人には、誰でもなれる。
時間は放っておいても過ぎていく。

しかし内面は違う。
時間に比例して肉体が成長し衰えていくのに対し、精神や知性は比例しない。


【切り離される人格】


物理的な一般の社会ではそれは判りづらい。
物理的現実で付与される様々な情報...
社会的地位、名誉、資産、性別、話しぶり、関係性、香りや身なり仕草、外見。
それらが個人に結びついているためにその人格が大人なのか子どもなのかの判別は付きづらい。

ネットでは、人格や精神、知性がなんの付加情報も無く露呈してしまう。
思想思考がまずあり、たとえ実名でも社会的な付加情報の煙幕は薄い。
年齢に比例しない未成熟な精神。
しかし教養や知識だけは人一倍ある。
論理を理解出来てもいないのに論理を語ろうとしたりする。
責任が何かも判らず責任を口にする。


もし同じ内容の事を
「○○会社社長」と「フリーター、童貞歴29年(そろそろ魔法使い)」の二人が語ったとしたらどちらの声に耳を傾けるだろう?
もし「フリーター、童貞歴29年(そろそろ魔法使い)」の方が正しい事を言い、「○○会社社長」の方が間違っていればどうだろうか。
その時に正しい判断が出来るか否か。

「そろそろ魔法使いになる(いい年して社会経験も無いフリーター)ヤツが偉そうに言っててもねぇ...」
先入観無しで発言内容を判断できるか?


【ネットの上の責任】


1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての―がある」「―を果たす」

2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の―をとる」「―転嫁」

3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

Yahoo!辞書


炎上事件を語るネット上の論者。
それを指して糾弾する
「無責任に語り過ぎる。責任も取らないクセに何を偉そうに」
「まとめで吊し上げるヤツがいるがそれが原因で死んだら責任とるのか?」
「死ねなんて書いてそれを読んだ奴が死んだら責任はどうする?」
「偉そうに言ってるが無関係じゃないか」


責任責任責任。
関係無関係。
一見正しいように見えなくもない。
思考しない、疑わない、既成概念のまま。
何も考えずに正しそうな事を言っているから正しいんだろう。
責任をとれないなら語るな、と。
無関係なら語るな、と。


例えば危険な崖があるとする。
崖のそばで遊ぶのは当然危ない。
もし子供らが遊んでいれば「そこで遊んでいると危ないぞ」と声をかけたり、<<ここで遊ぶと危険>>と看板を立てる。
それは実社会なら自然な事だろう。
しかし「関係が無いなら言うな」論者の意見はつまり
子供らが遊んでいても関係が無いから無視して、注意喚起の看板も無関係だから立てるな、と言っているのとどこが違うんだろうか。

子供が落ちたら「そこで遊んでいると危ないぞ」と声をかけた人間に責任があるか?
<<ここで遊ぶと危険>>と看板を立てた人間に責任があるか?
「関係が無いなら語るな」と言う輩の方がよほど無責任だろう。
「責任をとれないなら語るな」と言う輩の方が無責任だろう。

子供らが注意を聴かずに崖で遊び、落ちたとする。
注意をした人間に責任があるのか?


責任とは基本的に行為に対して発生する。
子供らは崖の傍で遊んだ(行為)→崖から落ちた(責任)。
関係性があれば(親と子、上司と部下、教師と生徒)当人だけに責任が帰結しない場合もあるが、ネットの上での行為の責任はほぼ本人に返る。


【電番晒しと責任】


先日、ツイッターで電話番号や銀行口座を晒す行為が一部で流行した。
それは危険じゃないかと言う記事が書かれた。

例えば、その晒した誰かが犯罪に巻き込まれたとする。
その責任は誰にあるかと言えばその本人にある。
そそのかした誰かでも無い、危険じゃないかと言う記事を書いた人間でも無い。
本人が、そそのかされなければよかった。
ただそれだけの事。

その事件を後に語る人間に責任は何も発生しない。
事件や現象を語る事に対してなんの「関係性」を必要とし何の「責任」を必要とするのか。
もしそれが必用なら世の中の報道は全て何の関係も無い事を語り、何の責任も取らない。

天気の予報を語っても、その結果に責任は持たない。
占い師が占いをしても、その結果に責任なんて持たない。
殺人事件の報道をするのに何の関係性と何の責任が必用なのか。

報道機関は、歪んだ報道をしても何の責任も取らない。
表向きとは違い、正しさ、中立性に対して責任も義務もない。
事実だけをそのまま、なんの加工も無くなどと言う報道は無い。
だから議員の発言の一部だけを過剰に報道したり、必要な部分を隠したりする事が罷り通る。


【炎上と死と責任と】


別の事件で考えてみる。

ツイッターで画像の無断使用があったとする。
それが見つかり第三者は義憤にかられメンションを跳ばしたり画像の権利者に連絡したりした。
その様子を、別の第三者がトゥギャッターまとめを作成した。
無断使用した当該ツイッターのアカウントが炎上。
山のようなリプライに疲れてアカウントを削除。
その後、その人物が死んだとする。
さて、この事件の場合、誰に責任があるだろうか?


まず最初の非は無断使用した当人にある。
これが無ければこの一連は存在しなかった。
画像の権利者に何か責任はあるか。
無断使用した相手を糾弾するのは正しく、止めさせようとするのも正しい*1

では、それを見かけてまとめた第三者に何か責任はあるか?
「まとめる」という行為はその事象に対しての責任を負わない。
連続殺人事件を追う記者が、事件の責任を負わないのと同じ。
まとめ主はまとめ記事に対しての責任はあるが、事件に対しての責任は無い。
造られた当初、その「まとめ」が「吊し上げ」になるかどうかはわからない。
そもそもそのまとめを誰も見なければ吊し上げにもならない。
まとめを見た第三者がその無断使用者に対し行為を起こした時点で「吊し上げ」になるのであって、まとめる行為自体が吊し上げになるのは後付けでしかない。

では無断使用者にリプライを飛ばし炎上に参加した人間に責任はあるか。
無関係な人間がリプライを飛ばす行為そのものに問題は確かにある。
義憤にかられて糾弾しようが、その人間には糾弾する権利も正義も無い。
代わりに責任も無い。
※糾弾する権利が無いのに糾弾する行為はまた別の話なので端折る

では「死」の責任は誰にあるか。
それは本人にしかない。
本人の命の責任は本人にある。
本人が何かを自分の命と天秤にかけ死を選択した。
死んだ原因が果たしてどれなのか、などと言う因果関係は本人にしか証明できない。

「この「死ね」というリプライが原因でオレは死ぬ」
遺書としてそれが残されるならその死とリプライの因果関係がはっきりしているし、そのリプライ主は糾弾されるかも知れない。
しかし炎上した結果で、死ぬか死なないかは解らない。
「まとめが無ければ死ななかった」
「炎上しなければ死ななかった」

それ以前に無断使用しなければ死ななかった。
それ以前に死を選択しなければ死ななかった。


よくこういう事件を「イジメの構図と変わらない」と語る人間がいる。
しかしそれは違う。
いじめは本人の原因を問わず周囲が主体となって「いじめ」の状況が発現する。
比して「炎上」は、本人が発端で状況が発生するのだから並べる事がおかしい。


先日、ブログが炎上した議員が自殺した事件があった。
あれを「ネットの炎上が原因で死んだんだ」と語る人間もいるが、そもそもの発端...原因はブログの記事。
ブログは炎上し、多くの人間が「議員やめろ」「死ね」とリプライした。
その後、マスコミが本人の家に取材をかけカメラを構え撮影し、議員は家の窓に段ボール紙を貼って塞いだ。
そして自殺した。

炎上が原因。
確かにその通りかも知れないが、炎上の発端は自分で作ったのだし、死を選ばなくても辞職でも選べたのにそれをしなかったのは本人の選択。
二時間ドラマの犯人みたく崖の上で動機をペラペラ語ってくれるわけじゃない。
誰かが「ネットの炎上が原因だ」と言うのは勝手だが何を根拠にしてるんだろう。
因果関係の証明も出来ないのに大声で叫ぶ。

引き金は何だったか。
炎上かも知れない。
「死ね」と書かれたリプライのどれかだったかもしれない。
マスコミの取材が原因で死んだのかも知れない。
ブログを読んだ知人の一言かも知れない。
家族かも知れない。
別の要因だったのかも知れない。
「死ね」と言われて「はいそうですか」と死ぬ人間は多くは無い。

それも判らないのに表面的に
ネットで燃えた→自殺した
としか捉えないのは、あまりにも思考が浅すぎる。
第三者には、すべて推測。


どこかのアホが偉そうに語る。
「“死ね”とブログに書いてそれを読んで誰かが死んだら責任が取れるのか?」
ではもし雄大な大自然の写真をブログに貼って、それを見た誰かがあまりの美しさに自分の境遇の不憫を嘆き自殺したとしたらその責任を取れとでも言うのか?
基本、命の責任はそれを持つ本人に帰結する。
ブログに「死ね」と書きそれを読んで死ぬかどうかは選択する本人にしか責任は無い。
誰が何を見てなにを考えなにを選ぶか。
そんなことに責任なんて持たないし、持てないし、そんなものはそもそも無い。


上手い料理を食って感動して死のうが、
まずい料理を食って絶望して死のうが
死ぬのを選択しなきゃ良いだけ。
料理人は料理に責任はあるが、食った人間が死ぬかどうかまでの責任は無い。


【おとなこども】


責任を取れ!
責任が取れるのか!
「責任」という言葉を覚えて偉そうに語るが意味も分からず使いこなせない。
論理を語ろうとするが論理も構築できずに破綻し使いこなせない。

実存の虚飾が無く、精神と知性だけが乖離するネットだから矛盾が露わになる。
年齢だけは大人だが、未熟で子どもの精神と知性しかない「おとなこども」。
そういう存在がネットには多く、だからこそ燃える。


大人とは、ただ年をとっていると言う事ではない。
年齢だけは重ねているのに、精神的な成熟も無く、論理も構築できず矛盾だらけで偉そうに知識や概念だけを振り回してそれっぽいフリしか出来ないバカには辟易する。

とっとと死んでくれ。
ただし責任は、一切とらない。

ネットのバカ (新潮新書)

*1:ただし個人の人格などへのヘイトスピーチなど攻撃は除く