誰かが正しく理解してるかしてないかなんて知らない

・「分かる・理解する」って何?/増田
http://anond.hatelabo.jp/20130824144228

これを見てみると「分かる・理解する」とは、所謂主観によって定まり得るものである事が窺える。言い換えれば、当人は「分かる・理解する」と思っていたとしても、他者から見れば分かっていない事と同然であるように思える事もあるということになるかもしれない

私たちは物事を、言葉を言い換えただけで理解したり分かったりしたような気になってしまうこともあるのだから、私たちはこの事実を知り、自分の考えを今一度見つめなおす必要があるのかもしれない。

そりゃあその通り。

しかしその理解が「正しい/間違っている」を全て確認し、全てを「正しく」する事なんて出来やしない。
周囲にある事象を全て正しく本質的に捉え考える、なんて事は勿論無理。
だって目の前にある事象ですら人間は感覚器経由でしか認識する事が出来ない。
目、耳、鼻、口、皮膚。
それぞれの感覚器が「このようなものだ」と伝えてくるものを人間は受け取る。
じゃあその流れてくる情報が正しいなんてどうして言えるのか、と。


赤い色が本質的にも実質上も赤で、その赤が赤く、誰しも見て考え連想する赤が同じ赤だとどうして言えるのかと。
色は特定の光の波長を人間がそのように受け取っているだけの話。
人間、全部の色の波長の受け取り方が同じかどうかなんてわからないって言うのに。
では人間の感覚器を経ずにその実際の赤をどうやって捉える事が出来るか。
言葉とか共通言語や理解や概念は、あくまでも便宜上の共通概念として使ってるに過ぎない。
本質論なんて無駄だし「正しく理解する」なんて概念とお題目は立派だけども。


人間ってのは本質を捉えられない。
身体の中にいる限り。
とある事象があるとして、
それを誰かが正しく理解してるかしてないかなんて知らない。
自分の理解と同じかどうかなんて知らないし、正しいかどうかなんて知らない。
ただ自分が納得できる「正しさ」を信じて、それが間違っている場面に出会えばそれを訂正する。
そうやって補正して自分にとって「正しい」モノを増やせば、解ってるって事になるんだよ。
自分が自分にとって解っている、理解する。
それ以上は出来ない。


正しいのか合っているのか、それをどう証明するって言うのか。