『恋するフォーチュンクッキー』と歌の物語


・『恋するフォーチュンクッキー』は、本当に恋しているか?
http://realsound.jp/2013/08/post-68.html

朝から録画しといた岡村靖幸のライブを見てて、岡村靖幸はやっぱり素晴らしくって、それを書こうと思ってたのになんでフォーチュンクッキーやねん、と。
しかもAKB全然詳しくないのに、と自分にツッコんでみる。

それにしても、だ。この曲を「物語性」という観点で聴くと、その歌詞はもはや「何も言ってない」のと同じだ。状況を描写する言葉は唯一「カフェテリア」だけで、風景が見えない。「ルックスに自信なくても前向きに。笑顔でいれば良いことあるかも」という低級な処世訓を演じているだけの5分弱。このフォーチュンクッキーは、まったく無根拠に「あなたとどこかで愛しあえる予感」がする程度で、全然恋なんかしてないのだ

70年代の歌謡曲黄金時代を担った作詞家、阿久悠はこんな象徴的な言葉を遺している。
「昭和の歌謡曲は映画的だった。近年のJ-POPはブログ的だ」

「ポップスの歌詞に意味は不要じゃないか」という冒頭の友人の嘆きについて改めて考える。もはや現代では、音楽に「映画的な感動」も「ブログ的な共感」も求めらていないのかもしれない。私自身もさっき「かわいい女の子たちが元気に歌っていればそれで良い」みたいなことを書いた。もう歌詞なんて全部「明日は明日の風が吹くと思う~」とかでいいのだろう。

(中略)

「リスナーに想像力を喚起させるスキル」と「感動を伝えたいという情熱」をバランス良く併せ持つ作詞家がたくさん登場すれば、J-POPはもうひとつ高い次元で新しい時代を迎えることができるのだろう


...岡村ちゃん語りを止めて、これを語りたくなるのも判ろうってもんでしょう。
アイドル好きの27歳ですか。
70年代生まれてないやんけ。
あー、そうですか。


これに関してはレジーの中の人も書いてるんだけど、あちらの記事は途中で方向がアイドル全般に向かってるし長いし...(ひとの事は言えない)。
アイドル界の握手による動員、ノリ至上主義、楽曲が中心なのでこちらはその辺はスルー。


◆◇◆◇◆


以前になんくろさんとメンションでやり取りした際、
「握手とか接触イベントがいかに大事か」
と言う話をされてて、自分みたいな邦・洋ロック→ももクロみたいな人間には理解しがたい世界だなーと思ってたわけだけれど確かにアイドルと言う総合エンタメにはそういうものも含まれていてその辺は「アイドルのいる生活」なんかを読むと面白くって、興味がある人は読んでみると「こんな世界があるのか?!」といろいろ興味深いと思うし実に業が深いわ。
【過去記事】ももクロ、エビ中に関してなんくろさんとのメンションと見解と
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/05/09/101220

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んで、「恋するフォーチュンクッキー」の話を...。


指原莉乃は、アイドルとして特殊だと思う。
ルックスもイマイチだし、だから「噛ませ犬じゃねぇ」って深夜から体を張って長州スタイルで昇って来て、人気が出て来たタイミングで、写真を売られて博多へ出向させられた。
\^o^/オワター

ところが、
「倍返しじゃない、10倍返しだ」
と言ったか言ってないかは定かじゃないが、HKTで活躍して、バラエティでも変わらず重宝されて、今や男の事をフラれても
「写真を売られたからです!」
と自虐のネタに出来るタフネスも身に着けた。

感動の舞台として定番だった総選挙で一位を取って「壮大なるオチ」とも言われて失笑を買って、それでセンター一発目の曲。
それが「恋するフォーチュンクッキー

この曲をもし他の誰かが歌ってたらそりゃあ風景なんて無い。
指原をセンターにして歌うからこそこの曲の意味がにじみ出る。
物語性?
物語は、ハイコンテクストで充分語られてる。


「歌」って、誰かが歌うからこそ「意味を持つ歌」って言うのもある。
例えば、ももクロmihimaru GTの「ツヨクツヨク」をカバーしてるけどmihimaruGTの「ツヨクツヨク」とももクロが歌う「ツヨクツヨク」では、リスナーの見えてる風景は違う。
ももクロが「いつか本物になる事を」と歌ってる時、それを聴いてるモノノフの脳内にはNHKホールの横で踊ってた風景とか電気屋の前で歌ってCDがランクインしたって聞いてみんなで抱き合って泣いてるところとかが歌に被さり再生される。
だから泣く。
そういうストーリーが、ハイコンテクストとしてももクロには付与されてる。

指原の曲だってそうでしょう?
指原をセンターに歌うからこそ出てくる意味。
それが見えなきゃそりゃ「物語性が無いよねぇ」なんて筋が違う見解になる。


歌の中に世界を描く、そりゃあ立派な事だけれど、そうじゃなく「歌の世界」としてパッケージされて押し付けられる世界では無く、その歌い手の背景を結び付けてリスナーが世界を読み取る。
そういう「物語性」だってある。
それが理解出来ないで「最近の楽曲って物語が無くて薄いよね」と、27歳の音楽語りが昭和の故人の言葉を持ち出して「昔は良かった」語りを始める。
なんだこれ?


◆◇◆◇◆


例えば一枚の絵がある。
キャンバスが真っ黒に塗られてる。
ある人は「なんだ真っ黒か、つまらん」と思うだけ。

でも更によく見てみるとキャンバスを塗る絵の具は何度も何度も執拗に塗られて高さがあり、乱雑で暴力的、偏執的な執着を感じる。
不安、狂気、暴力、何かの風景を見る人も居るかも知れない。
その画家が描きたかったのはその
「画を見た人間の不安」
その心理を沸きあがらせるために、あるいは不安を沸きあがらせるというためなんだと言う気付きそのものを描くために塗り込めた。
画が置かれる事で周辺の状況や雰囲気も変わるし、その画の存在そのものや周辺の状況までも変化させる画を描こうとした...。


そういう画だってある。
「歌の世界は、歌詞に細かく情景が書いてあればそれが物語」
なんて見解として単純すぎる。
キュビズムやシュルレアリズムには風景が無いって語ってしまうのと一緒。
近代芸術は意味が解らないから全て駄作だ。
いや、更に別のベクトルやレベルでの視点がそこにあるんじゃね?


◆◇◆◇◆


「歌詞からに想像力を喚起させるスキル」と「様々な視点」をバランス良く併せ持つ音楽評論がたくさん登場すれば、J-POP評はもうひとつ高い次元で新しい時代を迎えることができるのだろう


恋するフォーチュンクッキー」はドルヲタにはそんなに人気が無いんだそうだ。ドルヲタには、コールしたいって人間がいるし、そういう方々にはコールできないノレない曲はダメな曲だっていう観念があるんだろう。

せめて最後に岡村靖幸を貼っておこう。

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