アイドルとコールと音頭とロックとハレ・ケのメモ

・ボカロ曲のリズム感について書いてるブログがおもしろくて、日本のポピュラーミュージックにはリズム感があったりなかったりするのかもしれないと漠然と考えた
http://mohritaroh.hateblo.jp/entry/2013/09/24/053921

以下、思う事をまとまりなくつらつら書いてみる。


AKB48恋するフォーチュンクッキー」の表打ち、というかあの「昭和歌謡然」としたメロディとリズムはBPM早めの今どきの曲群からするととても異質でしかし受け入れられやすいしとても聴きやすい。

◆以前にきゃりーぱみゅぱみゅなんだこれくしょんを発表した際、宇川氏がこんな事を書いてた。

僕は国民的ポップアイコンは絶対に音頭にたどりつくと思っているんです。音頭をリリースしているのはみんな国民的アイドルで、例えばドラえもんオバケのQ太郎、アラレちゃん、ちびまる子ちゃん、三波春夫、北島三郎、そしてTHE BEATLES(=金沢明子の「イエローサブマリン音頭」)、さらにはのりピー。ほかにもたくさんいると思いますが、要するに音頭というのは死者を供養する行事である盆踊りのための音楽で、独唱者は司祭であって、合いの手には老若男女、大人も子供もヤクザも商店街のおじさんもサラリーマンも参加する。皆がハレの日を共有するための音楽だし、そもそも祭り自体が感謝と祈りの装置ですし、ケの日常を耐え忍んでようやくはじける非日常の空間で、信頼における象徴がその空間を先導する必要がある。音頭にたどりついたということは、きゃりーもその地位に立っている証拠です。しかもこの「なんだこれくしょん」は音頭で始まって、途中からエレクトリカルパレードのように変調します。音頭でもありマーチでもある。しかもその展開が数十秒の間に行われるというまさに異形の楽曲です

http://natalie.mu/music/pp/kyarypamyupamyu06/page/6

◆音頭での「踊り」と言うのは独特で、音に合わせて踊り手が拍子を取り鳴らす(盆踊りなど)。その踊り手が「鳴らす」事で音との一体感が出る。音頭の表打ちのリズムは歌における「合いの手」等にも見られる。

◆呪術的・特権的だった歌や踊り→民謡など「過去の知恵や伝承などを伝える装置」を経て、「今の人の思いや感覚を共有したり観念を歌う」現代の歌に変化した

◆「チャライ合いの手」など「本来の歌詞にはない間の手を入れることで歌を茶化す」行為は、感覚的なハレ→ケへの変化を促すようにも思える

◆かつての民俗学的な呪術的「歌」や「踊り」がやがてエンターテイメントになり本来持っていた呪術的・儀式的な要素は薄れた。科学により「神は死んだ」し殺されたのだろう。

◆しかしその根底にあるリズムやメロディに対する根源的な快楽は生き続けていて、BPMの速い最近の音楽よりも音頭的な音楽の方がやはり聴きやすいのは確か。聴きやすい=受け入れやすい、か。

◆アイドルの曲における「コール」は一体感を促し、呪術的には祝詞ともいえる。ハレの場での象徴に対する祈り。メロディに合わせて「みんなの妹しおり~~ん!!」と叫ぶことの行為には、海外のバンドであれば(OASISなどに見られる)シング・ア・ソングと近似値に見えるが、シングアソングが「ボーカルと一緒に歌う(或いはボーカルの代わりにファンが歌う)」という一体感の代わりに「間奏の時にアイドルへの思いのたけを定型で叫ぶ」と言うのは、その立ち位置において大きな違いがある。(ハレの場で概念的に)神格化した象徴との観客との関係性

◆シングアソングは「バンド」と「観客」の疑似的一体感を促す構図があるが、「コール」は「観客」と「観客」の一体感を促す構図に思える。

◆バンドは人間であり観客と並び立ち、アイドルは(疑似的な)現神人

◆バンドは派手でゴージャスな生活風景を見せる事で「スーパースター」と言う事を誇示し、アイドルは私生活を伏せる事で「現神人」足りえる。スキャンダルや人間的な部分が見えれば見えるほど神格化されない

◆だからロックは「生き方」、アイドルは「生き方を見せない」事でアイドルをやる

◆旧来的な「アイドル」と現在の「アイドル」はだからこそ構造的に違うし、「地下アイドル」はアイドルだがアイドルでは無い。かつての「オタク」と今の「自称オタク」が言葉は同じでも実際の存在は違うように

指原莉乃→埒外なので好きな人の理由は知らない(ハイコンテクストな部分で、小嶋陽菜の藤波に対する長州力的な「噛ませ犬」な浮上の仕方をしている時点でわからん)

◆表打ち=土着的で、裏打ち=クールで大人っぽい(印象)

◆以前に女性に人気のバン○のライブを見に行ったら、ボーカルが歌っている時はノリノリの観客が、間奏になると棒立ちで「○○くーん☆」みたいな事になっているのを見た事があるが、あれにしても彼女らは歌っている「歌」を聴いていて、それは「歌と歌詞」であって、背後に流れるメロディや間奏はそもそもノルものでは無い。歌を聴いているが音楽を聴いている訳ではないので、歌が存在しない「音だけの間奏」をどうやって聴けばいいのかわからない

◆アイドルの「コール」を「間奏への救済措置」とも捉える事が出来る。曲に感想は必要だが、ファンは間奏を求めていないし、単に「歌が聴きたい」し間奏の間はアイドルを見ている。そこでコールをする事で、その「どうすればいいか判らない合い間」が埋まるし、やり方が解らなくても定型があるから乗り切れる→無ければ間延びしてしまうし、バラバラに名前を叫んでも一体感は無い

◆だが「コール」はそんな概念的な部分を独自発展し、その存在自体の解釈が変化してしまった。守らなければならない定型であると言う誤解や、歌の隙があればねじ込むような「コール」は本来的な意味合いとしては異質であり「アイドル(現神人)の歌に被せるコール」と言うものは存在からすでにコールとは呼べない

◆oiパンクの「oi」は、古いロンドンっ子の表現で「やあ」「こんにちは」みたいな意味があるのだそう

◆oiとアイドルの「うりゃおい!」に相関は無い
ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ハーシャム・ボーイズ