「先進国アメリカ」狩猟民族と農耕民族を比べても筋が悪い

・馬鹿が可視化される時代とどう向き合うか (アメリカ式)  http://nabokov.blog.jp/archives/1575163.html


いわくアメリカではこんなバカなVineの投稿も笑って済ませる。

実際にはこっちでも、飛び散ったミルクが不衛生だとか食べものを祖末にするなとか、考えうるあらゆるパターンのコメントは一通り出る。出るんだけど、何故かその不満や怒りが雪だるま式には膨らまず、わはは馬鹿だこいつーみたいな脳天気な肯定が最終的に勝利するんだよね。日本では秩序を乱すことに対する恐れや怒りが、アメリカでは自分には直接関係ないや的な無責任さが、それぞれ大勢を決定するんだろう

けしからん!って憤るか、自分と無関係に感じるかの差は、「連帯意識」がどの範囲まで拡張できるか、の違いだと思う。

アメリカは、馬鹿の可視化に関しては日本の相当先を行っている。馬鹿可視化先進国と仮に呼ぼうか。

馬鹿が可視化され尽くした結果として、ここアメリカではその「連帯意識」が拡張しにくくなっているのではないか。逆に言えば、日本のようにパブリックな場所でかしこまる/取り繕うことを求められる社会では、馬鹿に対する許容性が低くなる上に、その浸透範囲が広くなりがちなのではないだろうか。

相当先を行ってる、というかそもそも追従してないんだよね。
日本はアメリカを。
そもそも笑いでもアメリカではスラップスティックなものがウケるけど、日本はそうじゃなくって言語感覚やツッコミで笑わせる。
もう何を「笑えるか」「笑うか」と言う仕組みそのものが違ってる。
jackassなんて日本じゃ無理だし、そもそもウケない。
くだらない事、バカバカしい事に対する心理的な閾値がそもそも違う。

イギリス的なブラックな笑いとかも日本ではウケにくい。
昔っからおバカはあるけど日本ではウケないっていうのがずーっとある。
一部にはウケますよ、勿論。
モンティパイソンとか。


日本よりもアメリカが先進してて「おバカ」が日本に無い訳じゃない。
実際、おバカは通過してきた道。
もう日本だと「古い」と言われてしまう。
例えば浅草橋ヤング洋品店で借金まみれの畠山みどりが借金取りから逃げるのにロケットみたいに花火を付けて空へ飛んで行ったり(吊られて)とかさ、お笑いウルトラクイズでバスごと海に沈めるのもバカな番組。
考えてみりゃあ両方テリー伊藤だが。

昔っからバカの可視化はやってたんすよ。
ロンドンハーツでイタい素人女の家に突撃して家探ししたりとか、DQNいじりだってやってそれがバラエティとして成立してた。
別にアメリカがバカの可視化を先進してたなんて事はない。
昔のバラエティの方が過激でバカな事をやってた。
で、日本だとそーいう番組は「子どもの教育上よくない」「不謹慎だ」とか言われてしまう。
確かにそーいうのを見て育つと、こういうブログを書くようなおバカな大人になってしまうのだけれども。


日本とアメリカを比較してる時点でもうおかしいんだけれども、そもそもアメリカは銃社会なんですわ。
石の壁に囲まれてパーソナリティを確立した自分の事は自分で守りましょうの国。
日本はそうじゃない。
紙と木で出来た家に住んで銃も無い。
近代化したとはいえそういう根っこはまだ残ってる。
だからこそ社会性とか取り繕うって文化が発達する。
宗教だってキリスト教みたいな一神教でも無く、八百万の神がいる。

それを比較して
「バカの可視化はアメリカが進んでる」
と言われても同じ軸の上に居ない。
ベクトルが違うし、車線が違う。
バカ先進国アメリカ、では無くバカな文化に対しての向き合い方・捉え方が全く違う。
そういう細かい事を気にしないでざっくりひとまとめにして考えるのがアメリカ的なのかも知れないけど。

資本主義の下、個人の利益を追求し、銃を手に自分の権利を守り、バカをやり尽くした先にいるアメリカ的文化と、バカをそもそも許容しない日本的文化。
比較するのがおかしいし、日本がこれからバカを受け入れていく、なんて展開は無い。
民族性が違いすぎる。

電車内では大声で電話するし、子供が泣いてても誰も気にしない。電話をマナーモードにするなんて発想はもちろんないし、歩道はだいたい横一列に広がって歩く
それは「先を行ってる」んじゃなくって「違う」んだよ。
これから先、日本がどんどんそうなって行くって言うなら「先」なんだろうが。
日本的な感覚から美徳とか社会性に繋がってもいるわけで、一概に全てが悪いわけでもない。
いい部分もあれば悪い部分もある。


例えば日本の鉄道は分単位できっちり動くし数分遅れれば車掌が謝る。
そんな国はなかなかない。
じゃあアメリカにそんな時代があったか?これから先にあるのか?と言われればそんな軸にそもそもいない。
同軸に居ないのに先だの後だの無い。
個人主義の結果、アメリカはどれだけ凄惨な事件が起きても銃社会から抜けられないし人種問題も根深い。
そんな全く感覚も感性もシステムも違う国の話を持ち出して
「アメリカではそんな事に対してはもっと進んでるんだ。日本もさぁ...」
と言われても、いやいや余所は余所ウチはウチなんだよとしか思えない。
バカが可視化されているアメリカではこうだから日本でも...。
いやいや、日本はそれが当てはまらない。
肉食ってる狩猟民族と農耕民族比べられてもさ。そりゃあ違う。

なんかリア充のスポーツ系部活動の連中が
「美術部もさ、そんな文句ばっか言ってないでバカやればいいのに」
って言われてる感じがするのは気のせいかな 笑
いや、お前らみたいに生きてないから。


フランソワーズ・モレシャンの昔から「私たちの国では...」というパラダイムを唱えるのは見当違いってのが定番。

ふっと肩の力を抜いて空を見上げる、みたいな感じで、たまに馬鹿先進国アメリカを覗き見て一息入れる。そんな日があってもいいのではないですか
アメリカの銃乱射の事件を観る度に日本は銃社会じゃなくて良かったなと思うけどね。
銃に恋して 武装するアメリカ市民 (集英社新書)