森博嗣「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」を読んで考える抽象思考

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(新潮新書)
森博嗣と言えば小説家で元名古屋大学助教授。
過去に「科学的とはどういう意味か」という本も出している。

「科学」と言う言葉を使う人は多いが「科学」という言葉を説明できるか?
その事に対して森氏は

まず、科学というのは「方法」である。そして、その方法とは、「他者によって再現できる」ことを条件として、組み上げていくシステムのことだ。他者に再現してもらうためには、数を用いた精確なコミュニケーションが重要となる。また、再現の一つの方法として実験がある。ただ、数や実験があるから科学というわけではない。個人ではなく、みんなで築きあげていく、その方法こそが科学そのものといって良い

再現性の必要な精確なコミュニケーション。
科学的とはどういう意味か

そんなロジカルで“科学的”なとらえかたをする森氏が、今書では「物事の抽象的な捉え方」について書いているんだから面白い。


抽象化とは何か。
とある事象があればそれを漠然ととらえてみる。
わざと焦点をずらしてみる。
曖昧にする事でディテールに左右されず捉えたり伝えたりする事ができる。

バールのようなもの」と表現することで、他者にだいたいのイメージを伝えることができる。それくらいの破壊力を持った道具らしい、という認識を比較的簡単に持ってもらえる。
(中略)
ここで注目したいのは、「バール」よりも「バールのようなもの」の方が集合として大きいということ。つまり、抽象化することによって、そこに含まれる対象の数が多くなる。
バールと特定しないで「○○のようなもの」と抽象的にすれば範囲が広がる。
バールでもあてはまるし、名状しがたいものでも当てはまる。
誰かに伝える時、具体的に「バール」と限定すれば「バール」を持ってくるだろうし、「バールのようなもの」と抽象的に伝えれば機能的にバールに近いものや名状しがたいものも持ってきてくれるかも知れない。
当然、そこにはメリットもデメリットもある。


フェルミ推定」なんてものがあるがあれも抽象化と言えるかもしれない。
具体的な問題を抽象化し、本質、構造をとらえた上でディテールを肉付けしていけばそれっぽいものが出来上がる。
→具体的な問題
→問題の抽象化(ディテールの排除と要求されるディテールの剪定)
→抽象からの具体化
→推定される答えを導き出す要素と式


多くの人たちが、物事を客観的に見ず、また抽象的に捉えることをしないで、ただ目の前にある「言葉」に煽動され、頭に血を上らせて、感情的な叫びを集めて山びこのように響かせているシーンである。一つ確実に言えるのは、「大きい声が、必ずしも正しい意見ではない」ということである

本の中で、原発や領土問題などについても書いているが、森氏の言う「抽象化」は言わば論理思考なのだろう。
具体的な詳細・情報にとらわれていると本質が見えなくなる。
感情や欲、偏見、エゴや人間的で理不尽な利己主義。
そういったものを排除しないと問題が歪む。


物事を「抽象的」に考えることで情報、ディテールに捕らわれなくなる。
世の中には様々な問題などがあるが、感情や思惑などが絡みあっていたり、さまざまな要因が錯綜しているからこそ複雑になっていることが多い。
「感情」や「欲」を取り払えば「本質」が見える。
お仕着せのテンプレートをうのみにして思考停止するのは簡単。

好むデータだけ信じて、気にいらないデータは頭から嘘だ詐欺だと否定する。
このデータは信用出来て、このデータは信用できない。
その根拠が「感情」「偏見」「先入観」ではお話にならない*1


抽象化とは別に「漠然と考えよう」ではなく、
「問題を曇らせる余計なものは見ずに、見なくてはならないものを見て考えよう」
そういう事なのかもしれない。
抽象的にとらえるためにはどのように考えればいいか。
そんな森氏流の抽象思考の指南本。
科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

*1:○○界隈とか書くと、めんどくさい方々がわいて出るので抽象的に書くが