「書評」の事を考えたら浜村淳のすごさに改めて気づいた

・どうすれば面白い書評が書けるか考えてみる
http://akio6o6.hateblo.jp/entry/2013/10/06/074446
ウラガミさんにこんな記事があった。


関西には、浜村淳という語り手がいる。
昔から映画紹介がとても面白くて有名。




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ポセイドンアドベンチャー

ある時、浜村氏がポセイドンアドベンチャーという映画の紹介を始めた。
「こんばんは、浜村淳です。今日ご紹介します映画はポセイドンアドベンチャーといいまして...」
巧妙で実に京都らしい柔らかい話し方。
映画「ポセイドンアドベンチャー」は、豪華客船が海の真ん中でひっくり返り、炎が吹き上げ水没し続ける船内から乗客が脱出しようと右往左往する話。

たとえば彼は映画の登場人物すべてに大阪弁でしゃべらせる。『ポセイドン・アドベンチャー』のジーン・ハックマンは「みんな、最後まで希望を捨てたらあかんで!」「希望を捨てへんもんだけが、救われるんや!」と説教する。もちろん実際に見た映画では、ジーン・ハックマンは英語でしゃべっていた。当たり前だけど。当時、まだまだ青かった僕は「浜村淳の解説と、なんか違う…」と不思議がった。

 擬音が多いのも、浜村淳の特徴だ。何百メートルの津波は当然「ドッバ~ンという勢いで」襲いかかることになる。『燃えよドラゴン』の解説の時など「ウォ~リャ~!アチョ~!」「ヌンチャクの音、ビュンビュンビュン!」と、効果音だけで90分の映画を最後まで語ってしまった。

 しかし浜村淳がそこいらの映画評論家と一線を画しているのは、なんといっても「ストーリーを最初から最後まで話してしまう」という彼独特の解説法である。本来、映画解説とストーリー紹介は別物のはずだが、浜村淳の解説は、ストーリーをきちんと追って、最後の最後まで紹介してしまうのだ。

 『ポセイドンアドベンチャー』でも、主人公が死んでしまったあとも、浜村は語ることをやめない。

「船底にようやくたどりついた一行。こんなとこに来たって、どうせ助からへんわ!絶望する乗客達。けれど一人が励ました。みんな、神父さんの言うたことを忘れたんか!諦めたらアカン!底板を叩いて開けるんや!みんなが船底をガンガン叩く。ちょっと待て!聞こえるか?気がつくと、外からもコンコンたたき返す音がしている。あっ、誰か外におるんや!助かるかもしれへん。それ、がんばれ!するとバチバチバチっと音がして、船底が焼ききられた!やった、青空が見えた!」

「まぁ、どうなるの?」(無責任な女性アナウンサーの合いの手)

「さぁ、それからどうなるでしょう。あとは映画館でのお楽しみ!」

◆『オタクの迷い道』#72 浜村淳の解説でエヴァを聞きたい!

映画の99.8%くらいは語ってる 笑
あとは船底に空いた穴から出てエンドロールが流れるだけ。

浜村淳というキュレーター

でも許される。
なぜかといえば面白いから。
どんな映画でも、浜村淳が語ると面白そうに聞こえる。
映画が浜村淳と言うフィルターを通す事で別物になって興味をそそられる。
「浜村さんがこの前言うてはった映画観に行こ!」
そして観た後で解説の方が面白かった、なんてのはざら。

軽妙で耳心地の良い語り口調。
特に下の動画は浜村淳の話芸が素晴らしい*1

即興でアウトライン、バックグラウンド、こぼれ話。
きちんと上岡師匠との掛け合いでオチまで持って行った。
ただの解説じゃなくってこれぞ「話芸」の域。
(ただ文珍のあの感じがなぁ....)


書評とは「本を紹介する」事。
あまり好きではないんだけども引用に頼りたくなる。

でも引用は本来必要ない。
自分が読んだ本の事を紹介する時に「これが良いな」と思ったら自分の言葉にしてしまえばいい*2
浜村淳の映画解説で全員が関西弁になってしまうように。

「この本にはこんないい事が書いてありました」
もし原文を知りたいなら読めばいい。

さて、『スタートレック2』の解説をはじめたハマジュン、なんと「今回の映画では、ミスタースポックが死んでしまいます!」と、ラストの秘密を最初からバラして、クライマックスの宇宙戦闘シーンまでテンション上がりっぱなし。

「来たか!それ!そっちや、撃て!ちゃう!敵は上や!下や!それ撃て、いま撃て、ミスタースポック、フェーザー砲、フェーザー砲!あかん、はずれた!また見えへん!上や!下や!ミスタースポック!フェーザー砲!フェーザー砲!」

 4才の子供に、昨日テレビで見たポケモンの話を聞いているようなものだ。何がどうなっているのやら、さっぱりわからない。とにかく、そのシーンでは盛り上がったんだなぁ(浜村淳は)というのだけは、よ~くわかった。

 番組には、相方としてアナウンサーのお姉さんがいる。しかしハマジュンは、この大熱演。口をはさむ余地などない。当然、お姉さんの発言はすべて、おざなりな合いの手になる。

「しかし、ミスタースポックはその時すでに、死んでたんですわ」「まぁ、たいへん」「船員全員の涙に見送られて、惑星ジェネシスで永遠の眠りにつくミスタースポック」「かわいそうやわぁ」「しかし、惑星ジェネシスは既に再生が始まっている!」「どないなるんやろ」「このあとは、映画を見てのお楽しみ」

 浜村淳の熱弁とセット聞くと、実に「ええ味」なのだ。
◆『オタクの迷い道』#72 浜村淳の解説でエヴァを聞きたい!

面白い書評と正しい書評は違う。

よく小説の感想文で、あらすじとか登場人物の行動を抜き書きしてるだけの記事を見かけるが、そんなものは面白くもなんともない。
わざわざ説明してもらう必要はない。

そうではなく
「その本を読んでなにを感じたか」
「どこが盛り上がって面白かったか」
「読み終わって何が残るか」
「言いたい事はなんなのか」

小説なんかはそれで良い。
その人がどう思ってどんな風に読んだか、それが一番大事。
面白く読んだっていう事が伝わればそれは充分魅力的。

読んだ人の人間っぽい感想。
それで味が産まれる。
大まかなあらすじなんて本の裏に書いてある。


最近、森博嗣の本なんかの書評を書いてて思ったが、ビジネス書とか自己啓発系は
「この本で言おうとしているノウハウの一番の骨子は何か?」
それさえわかれば半分しか読んで無くても書ける。

どこぞの炎上書店が「1記事15分で書ける」と吹聴してるだけの事はある。
小説みたいに情感やメッセージみたいなものが無い本は、システムを抜き出して、それにあとは具体例を肉として付ければ体裁が整う。
小説よりも圧倒的に簡単。

ああいう書評に引用を山ほどくっ付ける炎上書店のレベルの低さはさすが。
なんの芸も無い。


今まで色々書いてきたが、上の動画にある浜村淳が即興でやってる映画解説より面白い記事を書けた事はない。
自分で要約したり書く側になるとあれがどれだけすごいのかよく判る。
何度推敲したってあれには敵わない。

あー、おんちかった。淳ちゃんの名作映画をありがとう―洋画ベスト100 (イグザミナBOOK)

*1:中島らもとノック師匠もいる

*2:自分が言ったことにするんじゃない