多すぎる情報は、発想の脂肪になる

小さい頃から歩くのが、かなり早い。
自慢でも無くて、真冬でも汗をかき、姿勢よくスタスタ歩くのでかなり奇異な印象を持たれる事もある。
肥満に悩まされないのは利点だが。
歩数計をつけ歩くと「激しい運動」と記録されてしまう。


歩くと大勢を追い抜かす。
都内は最高気温29度なのにスーツを着込んで額に汗しながらジャケットを脱ごうかどうしようか迷っている鞄を斜め掛けしたサラリーマンとか、腕を前後にぶんぶん振る割にはハイヒールのせいで全く前に進んでいないOLとか。
スーツカンパニー辺りで買ったオシャレ(と思い込んでる)シャツを着た若いサラリーマンはイヤフォンを耳に突っ込みシャカシャカ聴きながら歩く横を早歩きでスタスタ抜かす。

そーいう人らの視線と言うのは、周囲せいぜい1m先。
10m先を見てもダラダラ歩いてれば追いつく事なくいずれ会社に到着するから関係が無い。
関係ないから見ない。

ところが、歩くのが早いとそうはいかない。
人を抜かすのが普通だと、詰まったりつかえるのがストレスになる。

「何ダラダラあるいとんのじゃク○ボケ!このファッ○ンサラリーマン!!道のど真ん中堂々と歩きやがってお前の脂○のせいで道幅が狭まt...」
...失礼。

これほどでなくても似たような事を考え付きそうなストレスは日々ある。
少なくとも前方の人と人の隙間と各人の速度を見て隙間が空きそうならそちらへ移動し、そうでなければ道の端から抜けないかと画策する。
10m先を見て旅行団体がいるなら別の道を選んで(間違いなく追いつくので)空いてるなら速度をさらに上げる。


今朝歩きながら
「思考の速度と発想力は比例するのかも知れない」
と思った。

素人の囲碁打ちは今の盤面で手いっぱい。
自分が打った石の周囲、局所の展開を定石を思い出しながら打つ。
盤面全体にまで思考は及ばないし、見ても仕方がない。

囲碁の名人は、現在の盤面全体を読む。
読みと研究した過去の棋譜を参照し、手筋を探る。
思考は深く、広く、記憶も情報も、新しい発想も必要。
殺す場所と活かす場所を考える。
最終的に半目勝てばいい。

その際の思考には当然速度が必用だろう。
速度が無ければ端まで届かない。


ダラダラ歩くサラリーマンは周囲1mだけを見ていればいい。
思考に速度は必要としない。

日々の仕事はルーチンとノウハウに基づいて踏み出す必要はない。
向上心は自己啓発書やネットを見て満足し、そこから想像力は伸びない。
最新ガジェットだ、EVERNOTEだ、クラウド活用やライフログをつけてもその本質や情報の利用は無く、目的と方法が入れ違ってることにも気づかない。
「使っていること」で満足してしまう。
ネットのニュースが違う事を言っていれば「また偏向報道か」「マスゴミだな」と裏付けも無く勝手に決めつけ情強だと思い込む。
常識の中で偏見で歪んだヘイトスピーチを語り、悦にいる。
自分と意見が合わなければ一考もしない。

そんな状態は思考の速度を鈍らせる、多すぎる情報は脂肪と同じ。


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「自由で柔軟な発想を持とう」
よく言うフレーズだがそれには情報は邪魔になる事も多い。
次々入ってくる情報に思考が振り回されるとその処理で手いっぱいになり、発想が伸びない。

本質を見る。
単純化が必要。
とある事象があれば様々なディテールが本質を覆い隠している。

まずはそのディテールをはがして単純化する。
その本質を元にして
「なぜそのディテールがあったのか」
「ディテールは意図されたものか」
「なんのためにそれがあったか」

それを判断する。

ディテールを考えないただの単純化は、間違った思考に繋がる。
ディテールと本質は繋がってる。
必要なディテールと必要のないディテールを考える。


ネットを見ていると「○○は××のようだ」と言うアナロジー(比喩)を目にする。

以前に「インターネットとは車のようなものだ」という
「(乗れば)気が大きくなって事故を起こす」
程度の繋がりしかないアナロジーを数か所で見かけた。
しかしこれは、ねずっちの「ととのいました!」謎かけの答えと変わりがない。

インターネットは老若男女使えるのに、車は免許が必要で講習もある。
事故を起こせばネットは本人の被害だけで済むが、車が事故を起こせば他人や物理的な被害も大きいし賠償責任や金銭も間違いなく絡む。
使い方を習わず事故を起こすネットと、教習した挙句事故を起こす車。
こんなに違う二つの事象をアナロジーに使っている時点で落第なのだが、これで納得してしまう人が多い。
一部分しか見ていないから違和感を感じない。


思考の速度があれば、周囲1mではなく10m先を見渡し考える事も出来る。
「○○は××だ」と聞いても、それ以外の可能性や、提示される事象への違和感について思考を掘り下げたり、自分なりにもっと良い答えを考えたりも出来る。
少しでも疑問に思うなら考える。
あるいは調べる。


「でも囲碁の名人は棋譜を沢山知ってる。情報が発想の邪魔になってないけど?」
そうではない。
名人は思考力が既にある。
既にあるから情報を活かせる。
生かせもしない多くの情報に振り回されて、思考の速度が上がらないのとは違う。
必要な情報を必要なだけ使っている。


日々ダラダラ歩きたければそれで良い。
それで満足するのも生き方。
ライフハックとSEO記事をブコメなしでブクマしてりゃあいい。
耳心地の良い「それっぽい事をよさそうに言ってる」記事を読んで満足して。
そして何も変わらない日々を過ごすのもそれはそれで。


それっぽいタイトルのいい事を言ってるような記事には気をつけよう。
コメント無し、ブクマが多い記事はロクなもんじゃない。
ブログとは...みたいな記事とかね(ホンマしょーもない)。
凡人として生きるということ