書き言葉と「チャウチャウちゃうんちゃう?」

以前、ブログの記事を一部関西弁で書いたら
「中途半端に関西弁使いやがって!」
といった揶揄をされた事があります。
ところが生まれも育ちも関西圏(都市部)の自分は、確かに今は東京で働いてもいますが普段は未だに関西弁。
中途半端も何も本来はそちらが正当。
だから本来であれば書き言葉も関西弁にしたいくらい。
しかし記事は関東弁(標準語)で書く。


関西弁は昔から商人の言葉と言われているように、ニュアンス、イントネーションでの表現や「にゃ」「ちゃ」など拗音が多い。
有名な犬のチャウチャウの話は知っている人も多いでしょう。

「あそこにチャウチャウがいますね」
「ん?あれはチャウチャウじゃないんじゃないですか?」
「チャウチャウじゃないですか?チャウチャウだと思ったんですが?」
「チャウチャウじゃないですよ」
「チャウチャウじゃないんだ」

こーいう会話があった。
これを関西弁にすると
「あれチャウチャウちゃう?」
「チャウチャウ?チャウチャウちゃうんちゃう?」
「チャウチャウちゃう?チャウチャウちゃうか?」
「チャウチャウちゃうよ」
「チャウチャウちゃうか」

こうなる、と。


書き言葉だと非常に書きづらくニュアンスとイントネーションが重要な関西弁。
音の高低でチャウチャウとちゃうちゃうを使い分ける。
書き言葉には向いていない。
仕方ないから関東弁で記事を書く訳です。


せやから関西人がこうやって文字に起こして思考を記事にするときには脳内で言語変換をしてるわけです。
一回普通に関西弁で思うたことを「関東弁やったらこないに言うやろな」いうことに当てはめる。
逆に言うたら言語変換をとものぉてる。
昔やってた「ビッグスリーゴルフ」の時のタモリが英語禁止ホールでさんまに向かって
「喋る前に一回脳内で喋る事をまず考えてから喋らんかいな。あんたみたいに口先で喋ってるからそないに罰金ばっかりになるんやんか」
っちゅう言葉を思い出す。
変換する時に「あれ?なんかおかしいとこあるなこれ?」「変やなぁ、なんやろうこの違和感」思うてその原因を自分の文章に捜して「あぁ、なるほど、これがおかしかったんかいな」と腑に落ちる。
口先だけ...記事を書くんやから脳とキーボードだけ直結して書くんやったらやっぱりその辺は飛ぶんやろう。
せやから関西人の書く記事言うのんは推敲がいっぺん多いっちゅー見方も出来るわけです。
変換ソフトがアホやから関西の言い回し入れて変換しても変な漢字になったりするんもめんどいし。
せやけど最近は書く時に関東弁にするのが自然になって来てるもんやからあんまり意識せんでもえぇようになってきた。
東京の人らは誤解してると思うんやけれども、関西の人間言うのんはテレビとかで関東弁を日々耳にして書かれたものを読んでるから、関東の言葉(標準語)にするのは簡単な訳です。
せやけど自分の話し言葉をそれにすると気持ちが悪なる。
せやから使わへん。

ほいでまた、この「標準語」言う言い方が気ぃ悪い気ぃ悪い 笑
なんで標準やねん!
標準ちゃうっちゅーねん。
標準は関西弁や。
うちらの標準とあんたらの標準は違うねんで。
せやから意地でも「標準語」言わへん!
...そう言う文化が昔はあったんですが、今はどうなってるんかなぁ。


まぁ、これは別に関西の人に限ったもんではなくて地方の言葉を使うてる人にはめっちゃ当たり前の事なんでしょうけど、改めて考えるとやっぱりそういう細かいルーチンとかが文章に現れるんとちゃうんかな、と思うたりもするんですけどね。
変換の時に「どないな感じの言葉にしようかなぁ」と考える。
なにせ思ってる言葉と違う言葉で書く訳ですから。
せやけどめんどくさいからたまにぶわーーっと関西弁で書いてまうときもある。
そんなん一部やったらかまへんやろー思てね。

せやから意識と文体は切り離せるし、結構自由なんでしょうな。
どない思わはります?
そんな事もあれへんのかしら 笑

ホンマあんた、勝手な話ばっかりえぇ加減にしやなあかんで!
そない言われるかもしれませんのでこの辺で。
ブブ漬けはいりまへんで。


あ、あとあれチャウチャウちゃいまっせ。
ほな、おおきに。
関西弁講義 (講談社学術文庫)