個人ブログが偉そうに「エセ」評論家を気取る事について

どうすれば面白い書評が書けるか考えてみる/ウラガミ

624:【考察】書評について考える!の巻/真☆煩悩の赴くままに

「面白い読書感想文」をめぐる冒険(1)/いつか電池がきれるまで


今、ブロガーの間で書評ブーム!
..ではなく「書評語り」ブームなんだから面白い。
書評自体ではなく、書評と言う行為について語るメタな視点。
「真☆煩悩の赴くままに」さんと「いつか電池がきれるまで」さんは“書評”と言う存在に対して否定的~懐疑的なのも面白い。

「ブログで何かを評価する」ってこと自体「何様なの?」と思わなくもないし、「その評価ってどれほどの信憑性があるの?」って読者が思うだろうと考えると 一向に筆が進まなくなる。そんなことない?
(中略)
なんたって、ブログでいくら好きなことを書いても「それはボク個人が感じたことであって、あなたが同じように感じるとは限らない」という言い訳を前提とした個人的な感想という避難地帯に逃げ込むことを可能としているからね。

624:【考察】書評について考える!の巻/真☆煩悩の赴くままに

僕が他の人の「ネットでの書評」を読んでいて、これはつまんないな、と思うのは「書いている人が、エセ評論家になってしまっている書評」です。
「みんなはこう言っている」とか「客観的に評価すると」とか。
誰も、そんなものはあなたに求めていないのに。

そういうのは、専門家に任せておけば良いのではないでしょうか

「面白い読書感想文」をめぐる冒険(1)/いつか電池がきれるまで

「個人が好き放題言ってるけど素人に何がわかるんだよ?」
おっしゃるとおり。

でも、「専門家」とはなんだろう。


プロの野球選手を真似てもプロには遥か及ばないが、ネットで素人が書いた感想文がプロの批評記事を上回る事は往々にしてある。
既存の作品を見て/読んでそれを評価する。
それが正しくも無く大仰な場合も多い。
先日「マン・オブ・スティール」のプロのライターが書いた記事を*1素人ブロガーがツッコむ一件があった。
人間である以上、何かのコンテンツに対する意見は必ずバイアスがかかる。
絶対中立、膨大な知識を元に語る、なんてものはない。

「素人が観て、素人が楽しみ、素人が味わうため」
コンテンツはそのために存在してる。
どこかのマニアが勝手にプロと名乗って評論してるだけ。
「ラーメン評論家」なんているが、別にラーメンを食う事にプロかアマかなんて関係無いし、プロの評論家が美味いと思うから美味いんだなんて事も無い。別に国民投票で選ばれたわけでも信任されたわけでもない*2
海原雄山のいう事に価値なんざ無い。


素人とプロの差なんて非常にあいまい。
免許も無い、資格も無い。
エセ評論家なんて言えば、全ての評論家がエセ。


「この映画ってどうなんだろう?」
「この本おもしろいのかな?」

昔はそれが読まなきゃ、観なきゃ判らなかった。
そこで評論家と言うものが現れて誰かの代わりに読み
「この作品は暗喩的。そしてアバンギャルド、かつエキセントリックで...」
などと評論をした。

淀川長治日曜洋画劇場の冒頭に出て来て「この映画は...」とやる事で、視聴者は期待を膨らませその映画をこれから観ようかと言う気にさせた。本来はそういう「宣伝広告客寄せパンダ」の一面もあった。


個人ブロガーが評論をやることの是非だが、ウチは(過去記事を見ればわかると思うが)是だと思う。
売り込みたいわけでも無く宣伝広告でも無い。

真☆煩悩の赴くままにさん言うところの「個人的な感想という避難地帯に逃げ込む」であり、いつか電池がきれるまでさん言うところの「誰も、そんなものはあなたに求めていないのに」でも全く構わない。

残念ながら何かを望まれているから書いている訳ではない。
正しい主観を示したいわけでもない。
エゴとバイアスがかかりまくった記事を投下する。
金を貰っているプロなら非難もされるだろうが、素人ブロガーならアクセスが無いだけ。

それは大河の一滴じゃない。
大河に垂らすつもりもない。
ブログは承認欲求を満足させる場所ではあるが、過剰に期待しても仕方ない。
ウチを読んだ人らが納得してくれりゃそれでいい。

長くなったので「面白い評論って?」またいずれ。
Au revoir
淀川長治 究極の映画ベスト100〈増補新版〉 (河出文庫)

*1:ザック・スナイダーとノーランが嫌いな時点でバイアスがかかってんだろ

*2:単にテレビチャンピオンで優勝しただけ