ビブラートの冒険

博報堂が生んだ天才デザイナー佐藤可士和さんがデザインしたコーヒーメーカーの七変化から見るビジネスで結果を出すためのUI・UX改善の考え方http://blog.marketing.itmedia.co.jp/kurosu/entry/498.html佐藤可士和云々の話は飽きたのでどーでもいいんだけれど、
「あったか~い」
「つめた~い」

の「~」

人間ってのは文字を見ると脳内で再生をする。もしくは口に出す。
その時にこの「~」を見ると人間ってのはビブラートのかかった
「あったかぁぁい」
を想像する。
「あったかーい」だと何か腑に落ちない。
ビブラートの無い「あったかーい」は「あったかい」とさほど変わらない。
ビブラートのある方が何やらぬくもりを感じるように出来ているらしい。
正確に言えば「俗っぽさ」かも知れない。


しかも「あたたか~い」ではなく
促音のある後者の方がさらに暖かさが増す。
暖かい<あたたかい<あったかい<あったか~い<あったか~い
の順でより「俗」っぽい印象を受ける。
温もりって言うのは感覚で、感覚は俗。


漢字よりもひらがな、カタカナよりもひらがな。
黒よりも赤、「ー」よりも「~」
もし「バカルディ」が対決で負けた時に「さまぁ~ず」ではなく「サマーズ」に改名してたら、今みたいなゆるい雰囲気は無かったかもしれないし、ラーメンズとか鳥肌実みたいな存在になってたかもしれない。
よく棒読みというがフラットに抑揚を付けないことで人間性が出ない。
逆に言えば抑揚を付ければ人間性が出る。
この「〜」にはそんな人間らしさがある。


ビブラートといえば演歌では、こぶしやビブラートを多用する。
民謡とか。
オペラも情感たっぷりにビブラートを入れる。

でも賛美歌ではビブラートを使わない。
フラットな歌唱法は人間性を少しでも排する。
人間味がある歌い方は賛美歌と相性が悪い。イエローサブマリンイエローサブマリン音頭くらい変わってしまう。


月亭可朝
「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで〜〜〜♫」
と「嘆きのボイン」を歌ったが、あれにビブラートがなければボインに対する思いが伝わらない。
しかも歌詞は東京弁ではなく、より野卑な大阪弁。
ビブラートと大阪弁が混ざったからこそこの名曲は歴史に名を残した。


ところでボインの語源と言うのは

月亭可朝のこの曲をして「うれし恥ずかし昭和の日本語」と歌われたボインという言葉の生みの親は、『野球は巨人、司会は巨泉』で知られる大橋巨泉といわれている。当時の人気テレビ番組11PMの撮影中、朝丘雪路が水着でプールに飛び込んだ際に、ビキニが取れてしまい、豊かな乳房が丸出しになってしまったのを見た大橋巨泉が「ボイン」と表現したのが始まりといわれる。しかし、現代では死語となっており、巨乳という言葉に取って代わられた。
ただし、可朝本人は「遊園地のプールで営業していたときに、水着のお姉ちゃん見てたら胸がボインボインとしていてそこからひらめいた」と発言したこともある。

嘆きのボイン/Wiki


ボインと言うのはどこの国の言葉〜♪と歌ってるその言葉は出来立ての造語だったらしい。
大橋巨泉と月亭可朝が作り上げた言葉と言える。


一時期宇多田ヒカルの歌には1/fゆらぎがあるとか言われた事もあった。
揺らぎと言うのは人間に対して安らぎとか暖かみを与えるんだろう。


言葉の印象って言うのは繊細なもの。
だからこそデザインや言葉選びは重要で、だから佐藤可士和のあのデザインはどうしようもなく「使っている人間」が想定出来ていない。
「企業が打ち出したい(利用客に伝えたい)イメージ」に寄って「実際に使うユーザーの利便性」を見ないとあんな風になる。
利便性は俗を求められるが、企業イメージは俗から離したい。
俗に寄せればヴィレッジヴァンガードドン・キホーテみたいになる。


たかが「~」「ー」
この一本の差で印象は変わる。
音の一つで印象は変わる。
語の一つで印象は変わる。
ブログで延々文字を書くなら、イメージが変わるのも当たり前の話。
「であろう」「であった」「なのであろう」「やんけ」「です」
語尾一つ、文章の枝葉末節は読み手の印象に大きな印象を与えてる。
なにもデザインや言葉選びはプロのデザイナーだけの話じゃない。
話じゃない、話ではない、話ではないのだ、話ではないのである。

ネットに文字を書き込むのが当たり前になった今は誰にとっても影響のある話。


まぁ~、個人のブログなんてほとんど口語体でおもったまんま書くのが標準だろうけどね~~~~~~~(笑)
文体のはじっこまでキッチリ考えて書いてるのかしらん~♪
そんな気をつかってないって~?\(^o^)/wwwwwwwwwww


それではよい週末を。

佐藤可士和の超整理術 (日経ビジネス人文庫)