クマの呪いと茶化したタヌキ

むかぁしむかし、あるところに。

とある村で、村人の一人が「荷馬車で山道を暴走した」と村の回覧板に書いたのだそうじゃ。
村人たちは「暴走した」と書いた村人がこれまでに常々様々な情報を撒いたり、冷静な判断をしているのを知っていたもんじゃから
「いやいや、あの人の事だからなにやら企んでいるのではないか?」
「また、あの人の悪ふざけじゃろうて」

そう思って茶化したんだそうじゃ。
するとそれを見ていたクマさんは村人らを見まわして
「人の生き死にが関わるかも知れないような事を茶化すな!」
「悪いことは悪いと言わんかっ!馬鹿者らが!!」

と大声で言いなすったそうな。
その言葉は村人に呪いとなって縛り付いたのだそうじゃ。


そんな様子を見ていたひねくれものの一匹の山猫。
「炎上した時、炎上させたヤツ*1も自分を正当化する時に同じことを言うよなぁ」
真っ当も真っ当。
真っ当過ぎて何やら腑に落ちないから呪いにもかからなかったらしい。


同じように影でこっそり見ていたタヌキがそんな様子を見て
「いやはやクマどんの仰る通りじゃ、さすがいい事言いなさる」
と褒めてから
「これもシナリオのうちですか。村長。そして保管が...」
とかなんとか言ったんじゃそうな。
何かの絵草紙(えゔぁ..とかいう)になぞらえたんじゃろうが、それを横で見ていた山猫は
「そうやって何かになぞらえて(事象全体を)つぶやくのも茶化してることになるんじゃないのかな?」
そんな風に思ったんだそうじゃ。
その途端、タヌキは苦しみだして泡を吹いて死んでしまったんじゃそうな。
「こ、これは呪いじゃ!!!」
山猫は慌てて家へ帰ろうと走り出した。
冷や汗かいて山道を一目散にビューーーーーーッと走り出す。

直接的でなかったとしてもその事象に対して茶化せばそれは同意ではないのだろうか?
直接的な場合のみ批判されるべきなのかな?
間接的であれば許されるのか?
ではどんな間接的表現ならいいんだろうな...?

果たしてどの範囲までが茶化した事になるんだろうか
実際に死人も出ていない危険な行為に対してすら「茶化すな」と言うのであれば、実際に死人が出ている行為に対して茶化すなど言語道断って言う事だよな
会った事も無い人間の行為に対してすらそれが適用されるのであればそれは人種や時代に左右されるのか
危険な行為や死に対して茶化すのはよくないと言うのであればそれはどのような行為やどのような死までが含まれるのだろうか
ではその対象の死の範囲がどの程度であれば言及してよくて、どの程度であれば言及してはいけないのだろうか
茶化した行為に対して皮肉を言えばそれも同意と言う事か。ではそれはどこまで続くんだろうか
対象がどの程度の行為であればそれは適用されるのか
それとも何か死や他者への危険が関わっていれば一切言及すべきではないと言う事だろうか
時系列、現実範囲、対象との距離感、クマの呪いは果たしてどの範囲まで届く呪いなんだろう?
明文化されずに漠然としているからこそ実効性があるように思えるが...

そう考えたそうじゃ。

“いんたあねっと”の上と言うのは別の世界に見えても繋がっている。
たとえ“ついったあ”であろうが“ぶろぐ”であろうが同じこと。
「人の生き死にが関わるような事を茶化すのはよくないのである」という呪いはどこで何であろうがどんな形であれ言及すれば同じ。

危険な行為には「危険だ!」と言い、危ない行為には「危ない!」と言う。
それ以外のおちゃらけやジョークや皮肉やニヒリズムは許されない。
人道に劣る行為でありもし犯さば人非人。
その相手の事を知っているかいないかなんて関係無い。
どこの遠い国の見知らぬ誰の事であろうが命がかかっているなら皆同じ。
クマの呪いを肯定した人間は、未来永劫金輪際人死にが関わる危険な行為に対して茶化さない、もし茶化せば呪いに取り憑かれてダブスタに縊り殺されてしまうんだろう。
考えても考えてもそれを肯定すればハマるしか無い底なしの泥沼。

なーんだ簡単な事じゃないか。
家に帰り着いた山猫はあまのじゃくだったもんで安堵した。
「よかった、呪いにかからなくて」
かかってもいない呪いを考えても仕方が無い。
呪いの事はかかった人間が考えればよい。
山猫は寝る前に物語として書き記す事にしたのだそうじゃ。
「むかぁしむかし、あるところに...」
書き終わると山猫は喜んで眠りについたんだそうな。
めでたしめでたし。
時空旅人 Vol.10 「大人が読みたい昔話」 2012年 11月号 [雑誌]
さ、寝よう。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません

*1:唾棄すべきネット自警団の方々