誰かが「はてな村は存在する」と思うならそれはウソでも虚構でもない

今朝、Massive Attackの「Pray For Rain」を聴いてた。


Pray For Rain~雨乞いの祈り。

As they learned to see through flames
And their necks craned
As they prayed for rain

Pray For Rain/Massive Attack

雨が降らないと、天に雨を降らせるようにお願いの祈祷をする。
効果があるのかないのか判らないが、結果的に雨が降ればそれを関連付けて
「雨乞いは必要だ。祈りが通じた」
となる。
雨乞いなんて迷信だ、そんなもの効果がある訳がない、とするのは簡単だが実際世界各地で雨乞いの儀式は偏在し、ある一定の効果(関連付け)があるから雨乞いは行われ続けたのかも知れない。

占いなんて嘘かも知れないが、心理的にそれに頼る人物がずっと存在し、その成功体験だけが脳に残る事で占いは「当たる」と言われて生き残ってきた。外れた占いの事なんて覚えてないし、外れたら占い師のところには行かない。
占い師は漠然とした未来を言い、言われた方が状況をそれに当てはめて「当たった」と思おうとする。
相手をロープに振って、跳ね返ってくる人間だけを相手にすればいい。


・「はてな村」なんて本当は小さい内輪の集まりなんでしょう?
http://muro3.hatenablog.com/entry/2013/10/19/183431
定期的に「はてな村はあるのか?」「はてな村では...」という話題がでる。

つーか、「村」の割にはあまりに境界線があいまいで、10年近く居座ってるのに、「村民」の実感が皆無なのってのもある意味ですげーし(誤爆)。

「本当はあんたらが言ってるだけのデッチアゲ」か「小さい内輪の世界を大きく言ってるだけのハッタリ野郎」なんでしょう?

と思っているんすけどね。

インターネットと言うモノはクライアント端末とサーバーのやりとりが主で構成されてる。
その網の目のような、蜘蛛の巣のような回線の集合。
「インターネットはどこにある?」
と言われればその回線全てを指すしかないが、ではその回線だけがインターネットか?と言えば繋がっているサーバーも端末もケータイや家電まですべて含めるかも知れない。
漠然とし、日々使いながらその全容を把握している訳ではない。

で、「なんで概念がわかんねーのかなあ」と、なんでかなあと、一瞬考えてみたんだが、mixiのマイミクとか、ツイッターのフォロー・フォロアーみたいな、そういうのと違って、横のつながりの実感がないからかなーと思うのだがね。なんか勝手にそういうカテゴリーをでっちあげられても…という気がする。逆にあれかな。一部の「横のつながりがある連中」が「俺らの小さい世界が、すべての世界だ!!」みたいな感じの「大言壮語」なのかもしれないなー。
例えば「町内会」と言えば近所の住人が回覧板を回し合ったり、近所であるという物理的な位置関係で明確に繋がりがありわかりやすい。
ツイッターのフォロワーは数値で見えるし、繋がっているのも一目で分かる。
マイミクも同じ。
しかしはてな村は見えない。
はてな村は物理的な位置関係でもなく、横の繋がりでも関連でもない。
では「はてな村」とは何か。
全く存在しないものか。


アルファブロガー」云々の時にも書いたが、ネット有名人はネットをやっていて、しかも特定のブログを見ていればわかる。
コンビニ店長が幾ら有名だからといって子育てと家事とテレビが中心の奥様には知られてない。
特ダネのコメンテーターとして出たりするやまもと氏もそう。
フルタのCMに出ている眼鏡ノマドも同じ。
ちきりん、家入、メイロマ、安藤美冬、はぁちゅう、徳力氏、小飼氏etc...。
ハックル先生はバラエティにも出てるが、世間的には「もしドラの作家」としか知られていないだろう。


でも知っている人にしてみれば当たり前。
「また家入が電番晒し祭りとかやっとるわ。信者もアホやねー」
「やまもと氏とイケハヤが年一くらいでバトって徳力レフェリーで定期イベント」
「え?高級有料サロン?...あぁ、はぁちゅうか」

それと同じく一部では知られる名前がある。
「最近hagexさん大人しいな...」
「あれ?Twitterもほぼやってない...村長失踪っすか?」
「TM氏の文章力が最近上がっていると聞いて...」

はてなでの有名な人々は、はてな外でも知られるがはてな内ではより知られてる。
そういう人物らが共同幻想の柱になる。


はてなブックマークというサービスはインターネットの上に被さるレイヤーとして偏在する。
どんなページであれブックマークし、コメントを付ける事が出来る。
更にコメントが付き、ある時はコメント欄をブックマークしコメントを付ける(メタブコメ)。
そんなコメント欄に顔を出す常連。
小粋なコメントではてなスターを稼ぎ、自分のダイアリーなりブログなりで記事を書きホッテントリさせるいつもの面々。
そんないつも見かけるもの同士がいつの間にか認識し合い「いつものあの人」を認識し合う。
横の繋がりは殆ど無い。
idコールや言及でブロガー同士は横に繋がるがそれは個人的な経験。
それ単体では「村」ではない。

雨乞いをして雨が降ればそれに意味を感じるように、はてなに関連した者同士がマッシュアップやブラッシュアップ...あるいは炎上やベタ足でインファイトを繰り広げたりブコメの塔を高く積み上げ、物見遊山でその高くそびえる塔に更にコメントをつける時、そこに「はてな村」は存在する。
占いはウソだと言われても占いが存在し続けるように「はてな村なんて虚構だ」と言われても存在し続け、いつも誰かの口の端にのぼる。
目の前にありながらもその全体像が見えないインターネットのように。
天上の神のように。

ウソであれ虚構であれ、皆がそれを知り、誰かが「それはある」と思うならそれはウソでも虚構でもない。


だが個人が全てを観察出来ている訳ではない。
観測範囲はとても狭い。
「あなたがはてな村と思うものがはてな村です。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません」
二日続けてこの言葉を使う。
だから漠然とし曖昧模糊とし捉えどころがなく確定できない。


追記:
・「はてなブログ村オンライン」が「はてな村オンライン」と交わる時、はてなブログ村言及スタイルが誕生する
http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/10/21/094807
情報学の情緒的な私試論βさんのこの記事が(お互いに意識もしてないのに)近々の時間にアップロードされてるこの共同幻想の恐ろしさ...(震え声)。
全ては「はてな」と言う見えざる神の掌の上。
インターネットを探して