お笑いのベタとシュールと四つの型

・お笑い苦手な人間が、お笑いについて考えてみた/夜の庭から
http://meerkat00.hatenadiary.jp/entry/20131028/1382924950

今日は、ルー・リード死去のショックのせいか単なる寝不足のせいか頭が回らない。
元々よくない頭なので少しでも不調だと全くダメダメ。
そこで手前味噌で語れるようなお題を「夜の庭から」さんから。


元記事に張り付けてあるネタはとても好きで、当時腹を抱えて(ホント腹筋切れるかってくらい)笑ったのを覚えてる。

3週間ほど前に話題になったダウンタウン論。私もいろいろ書いたんですよ。でも、この2本の動画を見て書くのが馬鹿らしくなった。(でもクイズネタの面白さはよくわかりません……)
と元記事で書いておられるんだけども、このクイズネタの流れが、今の陣内智則辺りのクイズネタなんかに繋がっている。
他にも「“あ”研究家」のネタに見られるような。
いわゆる「ベタ/シュール」


笑いには「自然に漏れる笑い」と「定型の笑い」がある。前者は即興で生じるフロー型の笑い。後者は台本に沿って演じられる笑いです。ここでは台本ありきの笑い=漫才やコントをストック型と呼ぶことにします。


(中略)


また観客は舞台を見守り、演者は期待に答える。この二者間にはエンゲージメントが存在しています。コミュニケーションの骨格は問答で、内容は良し悪しの押し付け合いとも言いますが、お笑いもまた問答だと思います。観客は問を抱くと同時に答を想定している。演者は問を投げるのでなく、要求に見合う答を差し出す。


だから演者が繰り出す笑い<答>は、問を求めない人とって何の意味もなさない。


漫才やコント等の笑いが苦手な人は、様式美の理解と契約の有無がネックになり苦手意識を深めているのではと考えました。私の場合は学童期にお笑いに触れる機会がほとんどなかったため、笑いの素養が不足しているのだと思います

前提としてコンテクストが必要な種類の笑い。これは一般的に「ベタ」といわれる。
既存の用例などがあり「ありがち」「おきまり」と言ったところに落ちるので「ベタ」と言われる。
吉本新喜劇で島木譲二が繰り出す「パチパチパンチ」や「ポコポコヘッド」、帯谷孝史がフランスパンやポットに例えられ鼻水をすすると「あ、今ちょっと(お湯)出た」と言われる。
池野めだかジャケットを脱げば着るのは判ってるし(「いや、着るんかい!」と言うツッコミが入る)、ネクタイを外せばめだかと同じ長さと言うのも判ってる。
間寛平が老人の格好で暴れまくりながら出てくれば「わしゃ止まると死ぬんじゃ」という言葉を切っ掛けに全員が転け、池野めだかと一緒に舞台に上がればネコvs猿が始まって最後はフンをする猫のお尻をかいだ猿が臭いにやられると言うのも判ってる。

「夜の庭から」さんのいうエンゲージメント...コンテクストが前提として観客の既知として存在し、それを見ることで笑う。
伝統芸能などで役者が舞台で見栄を切るとと得られるのと同じカタルシスが存在する。



また「笑いとは緊張と緩和である」と故・桂枝雀師匠が言っていた。
桂枝雀さんの笑いの理論「緊張の緩和」
http://slowhappiness.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-aec4.html

桂枝雀師匠は、「笑い」に関して、「緊張と緩和」あるいは「緊張の緩和」という理論を持っておられました。

簡単に解説すると、「場の雰囲気が緊張している時に、その緊張をふっと緩和させると笑いが生まれる。」ということです。

(中略)
なお、桂枝雀師匠は、著書「らくごDE枝雀」の中で、人が笑う理由(笑いのメカニズム)として、落語のサゲ(落ち)を4つの型(「ドンデン」,「謎解き」,「へん」,「合わせ」)に分類して解説しています

らくごDE枝雀 (ちくま文庫)
枝雀師匠の提唱した四つの型とは
桂枝雀による4分類
桂枝雀は笑いは緊張の緩和によって起こるという理論を立て、それと平行して落語の落ちを4種類に分類した。観客がどこで笑いを感じるかに視点を定め科学的な分類を実現した。
・ドンデン
物事の展開がいったん落ち着きや一致を見せることによって観客の心理が一度安定に傾き、その後に意外な展開になって不安定な方向に振れることで、落差により笑いが起きる。逆のパターンが「謎解き」である。
・謎解き
物事の展開が観客にとっての謎を生むことで心理が不安定に傾き、その後に謎が解決して安定することで笑いが起きる。逆のパターンが「ドンデン」である。
・へん
安定状態を経由せず、通常の状態からいきなり物事が不安定な方向に逸脱してしまう作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「合わせ」である。
・合わせ
不安定な状態を経由せず、2つの異なる物事が合致してしまう安定化の作用によって笑いが起きる。逆のパターンが「へん」である

落ち

「ベタ」は安心感の笑いであり、シュールとは「不安感→観客内での理解(舞台上での不理解との一体化、あるいは観客での事故完結による理解)」により笑いが発生する。シュールは不条理であって論理的ではない。
そしてそのシュールが論理的でないが故に観客に不安感が生じる。その不安感が解消される際に笑いになるわけだが、それを舞台上のシュールのパラダイムに居ない存在(キャスト・ツッコミ役)と一体になる事での安心感による笑いと、シュールを見た観客が自己内で既存のなにかに置き換え理解する事で笑いに繋がる場合がある。
シュールとは日常のパラダイムからどれだけ振幅を大きく離れさせるかだが、同時に解決を観客に与えなければならない。
解決の無いシュールはただの不条理な舞台で終わる。


島木譲二が「パチパチパンチ」を繰り出す。
この場合、舞台上の進行の中で必要がない...つまり枝雀師匠のいうところの「通常の状態からいきなり物事が不安定な方向に逸脱してしまう」作用が発生する。しかし「パチパチパンチ」自体は面白くもなんともない。もう一度言うが面白くもなんともない。
その後に「う~ん譲二ショック!」や「ちゅ~いんぐぼ~ん」と言った定番ギャグが続けざまに入る事で(もしくは他者による解決がある場合)笑いが産まれる。
ツッコミとは解決であり、吉本新喜劇で言えば「コケ」が解決に相当する。



キュートンのコントを見ながら考える。
まず登場する。この時点で観客はチャイナドレスの椿鬼奴やレースクイーン姿の増谷キートンを見ても何も判らない。
整列する。
すると曲が流れてポーズをとる。
この時点で観客は「こういうBGMと(アニメなんかに)ありがちなポージング」なんだと言う解決を自分の中で得ることで笑いが産まれる。つまり前提としてそういう知識がなければ笑いにはならない。
そしてこのようなポーズがカッコいいとされているモノであり、BGMもカッコいいがそれをやっている彼らは格好悪い、と言う不合理もある。格好の矛盾、キレの悪さ、そして選曲。
枝雀師匠の四つの型で言えば不条理→条理への変換は、“謎解き”が一番近いが、この場合演者が解決を与えるのではなくて観客が自身で解決を得る。。
だからもちろん前提として「曲がカッコいい」「ポーズがありそう」などのコンテクストがないと理解出来ない。
ベタにはボケ自体、あるいは舞台と観客の間に解決の解釈を容易にする装置があるが、シュールにはそれがない。観客は勝手に解決し救われる。



03のコントを見てみる。
まず冒頭。
角田扮する教師が飯塚に前フリをした上で教室に入る。
豊本扮する生徒に角田がハードルを上げまくった上で飯塚を呼び込もうとする。
この場合、まず前フリとして教室に入る前のやりとりで飯塚は準備が出来ていないことが知らされており、次に角田が教室内で不条理なくらいに飯塚の存在を持ち上げてみせる。
枝雀師匠の四つの型で言えば条理→不条理への変換は、“へん”が一番近い。


あくまで枝雀師匠が提唱したのは落語のサゲなのでこれは応用になる。
あとバカリズムの地理のネタは「ありがちな教師」というところから「持ち方」という不条理へ持ち込む

トツギーノ」もそうだが、画の場合、その画の力や画風にも左右される部分は大きい。
視覚的に判り易く、これは言葉では面白くなりにくい。
言葉では「持つ時はこう」と最低限の説明を行い、画で不条理を示す事で笑いに繋がる。


その辺を理解してみていくと鳥居みゆきは爆笑できる。
最近のネタにありがちなブリッジは安易な条理であり安定感であると言える。

個人的にはBODYが大好きなんだが...あまり同好の士に会わない。
この不条理なコンテクストを読み切った時の面白さはたまらない。
なぜ鞭と芋なのか。
最後のニュースに、脱ぐとその下にもう一枚全身タイツ 笑

椿鬼奴とコンビのバージョンは画質悪すぎるので外した。
キュートンDVD