「理系と文系」に対する文系脳からの心証

理系にあって、文系にない「シンプル思考法」

生徒や学生の気質について「理系は理詰めで厳密さを求めるが社会性には乏しく、文系はその逆」というイメージを持つ者が散見される。同様の類型化に「理学や哲学等の基礎学系は理論や手続き重視で理屈っぽく、工学や医学や社会科学等の応用学系は結果重視で必ずしも厳密さを求めない」であるとか、「経済学専攻の人間は社会性があってつきあいやすいが、理工系は堅苦しい人間の集まり」というようなものがある。
しかし、この手のステレオタイプなイメージのほとんどがそうであるように、上記の論も統計にもとづいた科学的根拠が提示された事例がなく、また「理詰め」「理屈っぽい」「社交的」などという曖昧で連続性の誤謬をもつ表現による非論理的な物が多く、実相を表しているとは到底言い難い。結局の所、気質や性格は個人的差異による大きな幅があり、画一的な見方が当て嵌まることは少ない

文系と理系 - Wikipedia

「画一的な見方が当て嵌まることは少ない」が、このWikiは実に理系。


自慢じゃないが自他ともに認める文系のワタクシ。

会議で拘束された時、「THIS IS 理系」といった印象の彼が
「まず○○なんですが××と同じでまず△△が□□で...」
と一から十まですべて説明する。
効率・非効率では無く、オレだと
「えー、○○ですけど××と同じです。次に...」
と端折る。
だって同じなんだから判るだろ。
同じ事二回も言うのめんどくせぇよ。
わかんなかったら聞けよ、と思う。
使わないもの、隅々まで説明してもらわなくてもいい。


勿論
「理系・文系なんざ印象だ」
「理系脳・文系脳なんて血液型占いくらい当てにならない」

と言われりゃ確かに再現性もないただの心証。
しかし以前の上司から
「えーと、マトリックスを組んでプライオリティをキチンと付けて処理していかないとさ...」
とか言われると、適当に気分次第でサクサク処理してた自分からすれば
「うわー理系―www」
という印象はぬぐえない。
感覚と心証と経験則を優先して、漠然と把握してその中でそこそこプライオリティ付けて優先度の高そうなやつを適当に抜き出してサクサク処理する。
必要な部分だけが必用であとの枝葉末節はいらない。
まずざっくりと必要・不用をある程度きり別けて(境界は漠然と)その上で必要な部分のみに絞り込む。
漠然とした境界に関してはイレギュラーの場合は連絡を密に、管理はどうするのみ決めておく。
がっちり「ここからここまでは○○」「ここからここまでは△△」の決め方をしてしまうとどちらでもないものが出てきた場合の対応が遅れるし、境界外を気にしなくなってしまう。そこが漠然としてるからこそ意識も向く。
実際、境界をハッキリさせたせいで部門間で見落としがあってイレギュラーがそのまんまなんて事例が過去に...いやはや。

「理系は合理的」と言われるけれど、文系脳って合理的だと思うんだけどなー。
という偏見。