ウサギとはてなーは寂しいと死んでしまう

人はさびしいとおかしくなって「見せかけの優しさ」に吸い寄せられてしまうのかもしれない - 情報学の情緒的な私試論β


はてなで鍋をやると聞いて。
(...不参加に○、と*1
でもbulldra氏、inujin氏が、はてな女子をはべらせてどんちゃん騒ぎながら、
「わる子を追悼しようじゃないか。ゲハゲハ」
とビール片手に、少し酔ったはてな女子に
「キミのところブクマするからさぁ、これから二人きりで一緒にはてなスターのつけ合いでもしないかい?」
口説きつつidと電番を聞き出し、二次会へ行く途中に隙を見て二人で消えて行く「はてな鍋宴会サード」を柱の陰からヲチするのはやぶさかではありません(山手線沿線にして下さい)。
パーソンオブインタレストな監視をしてみます。


よく「心に穴があく」と言うけれど寂しいという気持ちは何かが欠落しているように感じる。
だからこそその穴を埋めたいと感じる。
人間は大昔、両面宿儺(顔が二つに手足が八本)でそれが切り離されて顔が一つに手足で四本になった。
だからその切り離された半身を探す*2、なんてロマンティックなんだかよく判らない話があるが、セルフィッシュジーン的に言えばスタンドアローンな状態の個体に「寂しい」と感じさせることで、異性と交配させ遺伝子を残そうとする、と言う化学反応は理解できる。

人の欲望に際限がないようにいつだって寂しさも際限がなく、さみしい気持ちは何を手に入れても続く。
いつかは必ずすべてが失われる。
メメントモリには生きられないからいずれ万人に等しく訪れる「死」を対岸の火事にして、観測範囲を狭め今を生きて足りない何かを求める。
求めて求めて埋めて埋めて、それでもやはり何かは絶対に足りない。
足りないから埋めようとする。

常に心にさみしさは存在するが、単にそれを意識していないから感じない。


さみしさは原動力の一つでもある。


ブログを書くのだってそうだろう。
承認欲求も「誰かに見られる、読まれる」「認めて欲しい」そういう願望が根底にあったりする。
欠落したこころを埋めたい。
ネットで無視され、ブクマされず、スターもつかず、拡散も一切されない。
それはとてもさみしい。だから言及しidコールし、鍋パーティーをしようとするのかも知れない。
例えキャッキャウフフと揶揄されようと、後日匿名のはてな女子にベッドの中でどれだけ情緒的だったか増田に書かれても。
「彼はベッドでとてもシャイでした。こじらせてなんかいません」
...うわー。そん時は、
[増田][これはあかんやつや][はてな女子][サードブロガー]
タグ付け、そっとタブを閉じることにします。


はてな鍋パーティを想像したら面白かったので書いた。
ただそれだけの記事。
勿論、鍋の描写はフィクションですよ。
パーソン・オブ・インタレスト〈ファースト・シーズン〉 コンプリート・セット [Blu-ray]

*1:元々、呼ばれて無いw

*2:魍魎戦記MADARAではなく