雲田はるこ「昭和元禄落語心中」

マンガと言うのは二次元の世界。
画と台詞で出来てる。割られたコマで時制や心理、動きが出来上がり、それらのコマを自身で解釈し再現し楽しむ。
悩ましいのはそういう「紙に描かれた画」で表現できないもの。
例えば味と香り。
美味そうな味と香り、と言うのは画で表現できない。
だから美味そうにがっつくように食らう人を描く事で読者に
「ここに書かれたものは美味そうに見えるしいいにおいがするんだろう」
と思わせる。感情移入させてその感覚を疑似的に錯覚させる。

音もそう。
BECK(1) (講談社漫画文庫 は 2-13)
マンガ「BECK」でハロルド作石は、バンドの演奏場面で歌詞や「ぎゅいーん!」「ばばん!!」と言った擬音(オノマトペ)も使わず、それでいて読者に画に躍動する音を感じさせた。
汗や表情、観客の熱狂で読者に存在しない、聴こえない筈の音を聴かせる。

昭和元禄落語心中(1) (KCx ITAN)
昭和元禄落語心中」では刑務所から出所してきたハンパもの与太郎が落語家八雲に弟子入りをするところから始まる。
八雲は気難しく弟子をとらないと宣言していたのに与太郎は弟子入りを許される。


描かれるのは落語の世界。
落語と言うものは同じ噺(古典)をやってきかせるわけだが落語家(噺家)によって噺が全く変わる。
ある落語家なら能天気に演じるキャラクターもある落語家はその裏にある哀しみを前に出したりする。
同じ噺が人により全く変わるカスタム。
一代限りの技巧の芸は、言葉の職人。

落語は笑わせるばかりではなく時には観客を怖がらせ、泣かせ、様々な感情を抱かせる。
一人の人間が大勢の前で過去に完成された噺を己の技巧と微妙な表情で再現し、観客と共有する総合芸術。


最後の名人「八雲」。
艶っぽい噺が得意で当代一流の腕。
落語の噺は言葉だけで成立してるわけじゃない。
落語家の解釈により、その身体全体、言葉の端々、情感や間。
その噺の中に活きる人をいかに生き生きと描くか、その心理を表現するか。
観客の前で同じ空気を共有し、声にして話すことで初めて落語は完成する。

「死神」 三遊亭圓生- YouTube
そんな噺を画で表現する難しさ。
同じ噺の中で例えて見せも(福本信行なら「吊り橋を...」のセリフから、主人公がつり橋を渡っている描写になるような)せず、いかに落語家の表情や汗、観客の表情や空気でその噺を見せるかと言う部分にかなり力を入れてる。


八雲の兄弟弟子 助六との関係。天才と凡才。
話は二巻から八雲の弟子入り時代へと戻り、戦争を挟み「天才落語家 助六とその才能に憧れた落語家 菊比古(後の八雲)」の因縁話へと展開する。
無手勝流だが落語は上手い助六と懸命で真面目だが落語が上手くならない菊比古。
しかし素行が悪い助六は「八雲」という名前に憧れるが継がせてもらえず、菊比古は助六の才能より自分の方が劣ると思いながら八雲を襲名するように言われる。
この話の途中で現在四巻まで。


こわいねぇ、こわいねぇ。
昭和元禄落語心中」なんで大嫌いさね。
見たくもない、触っちまったらじんましんが出そうだよ。
...あぁ、今度は来年二月に出るってぇ五巻が怖い。

桂枝雀 饅頭怖い - YouTube