音楽にはCDで聴いてるだけじゃ伝わらない部分がたくさんある

※当たり前のことを書いてる
昭和元禄落語心中」というマンガを読んだ。
雲田はるこ「昭和元禄落語心中」 - あざなえるなわのごとし
ふと思うんだがよくネットで
「バラエティはつまらない」
「あんな漫才で笑えねぇ」
などの発言を見かけるんだが、あれを書いてる人らは実際に生で、目の前で漫才や落語を見たことがあって、その上で「つまらない」と書いてるんだろうか。

「見たことある上で言ってる!」
そういう人も中にはいるだろう、そりゃ当たり前。
でも、お呼びじゃないんですよ。
そんなアナタ以外のことを言ってる。


落語とか漫談とか漫才とか、見たことあるけれども。
特に印象に残ってるのが笑い飯の漫才を見たんですよ。
「鳥人」のやつ。

笑い飯 鳥人 - YouTube
「鳥人」のネタなんてテレビで見てて、たまたま生で見たのも多分五回目とか六回目とか。
でも面白いんですよね、これが。笑える。
生で見るのとテレビとでは全く違う。
爆笑してしまった。

ついでに言っておくと、テレビ画像がハイビジョンになって、ディジタル放送になって、大画面になって、どんなにきれいになろうと、現実には迫れない。「花火を見に行こう」と言われたときに、古いテレビで見せてたら満足しなかった彼女が、ハイビジョンで見せれば「これで現場に行かなくてよかったね」とはならない。あたりまえだ。
つまりハイビジョンと古いテレビモニターは同じエリアにしか存在していない

落語論/堀井 憲一郎

周囲の空気とか、テレビではカットされたり画面が切り替わったりするけれど目の前の漫才は普段よりも長尺でずっと同じ視界の中。
それを飽きずに見せて笑わせる。
音楽だってそうなんすよね。

よくライヴ感とか言うけど、音楽にはCDで聴いてるだけじゃ伝わらない部分がたくさんある。
だからこそ遠路はるばるライヴに出かけて狭っ苦しいロッカーに荷物を押し込めてTシャツ一枚でもみくちゃになりながらスタンバイしてモッシュピットで暴れまくるわけだ。
ところが昨日のライター気取りの女性みたいに
「音楽なんてYoutubeで合法ダウンロードしてれば充分」
「買うほど価値を感じる音楽が無い」
「音楽市場なんて死んでる」

と言ってしまう人たちにとっての「音楽」と言うものは、鼓膜を揺らす音の事でしかない。
目の前で演奏しているその声やギター、フィードバックノイズやディストーションの荒々しさ。
ビッグマフかましてスピーカーの設定おかしいのかってくらいの爆音でノイズだらけの音を響かせるJマスシスは目の前で何の曲をやってるのかすら一瞬わからないくらいにジャカジャカ掻き鳴らして。下っ腹にごんごん響くベースラインに鳥肌を立てて、周囲の目も気にせず踊りまくる。
苗場の壮大なグリーンステージで人波を見下ろしながら音に包まれる感覚ってのはあそこに行かなきゃ判らないし、伝えるのに言語化は難しい。判りたきゃ行け、としか言いようがないが、行っても同じ感覚が得られるとは限らない。
良くも悪くも、すべてはその場でその時に自分が感じた感覚が全て。

「音楽業界(の出すCD)が死んでるから買わなくなった」に近い感覚です
2013年のヒット曲にみる「これが日本の音楽業界の現状です」 - コスプレで女やってますけど
いやーCDとかつまんないっすよねー。
金なんて払う気ないっすわーマジで。
え?音楽なんて無料でよくね?聴けりゃいいっしょ聴けりゃ。
音質なんてどーでもいいし。


音楽てのはただの「音」じゃなくて「音を楽しむ」から音楽。
「曲なんて聴けりゃいいや」
って言うのは果たして音を楽しんでるんじゃなく単に曲を聴いてるだけじゃね?
真の音楽好きはそんなんじゃねぇ(ドヤァ)なんて言うつもりはないが「音楽に価値なんて無いよね」という割にきちんと価値を考えたり感じようとしてる風には見えない。

松屋で牛丼並み盛りツユダク食って
「現代の日本の食って言うのは~」
とか嘆いてるような感じ。
よく判らないけど。


「アイドルなんてオタクが聴くもの」
と言ってしまう人らはアイドルの現場に行って一緒にペンライト振ってみりゃああの感覚が判るんだろうけど、そういうことを居丈高に叫ぶ人はそういう場所には行かない。いかないが判った気にはなれる。
「ドルヲタの中に混ざりたくなんてないし判りたくもない」
と言ってるひとには見えない光景と言うものがある。

プロレスが野蛮だというなら一度見に行ってみればいい。
肉と肉がぶつかり合う音がBGMもアナウンサーの実況も無しに耳に飛びこんでくる。
観客のヤジ、リングに叩きつけられる音、人気のあるレスラーへの歓声、拍手。
イメージしている「プロレス」を補完する要素が山ほど転がってる。

お手軽に手にできるテレビ番組やCDや、パッケージされたものって言うのは、パッケージする際に多くの情報を欠落させるが誰にでも手軽に、どこへも行く事無くリビングでその情報に触れられるようにしたコンテンツでしかない。
しかしその本質は情報の欠落の無いその場所でしか味わえない。
欠落した部分にこそ重要な要素が多く含まれている場合だって往々にしてある。
迫力とか空気とか感覚的で、非科学なモノは言語化しづらいけれど確かに存在してしかし自分で体感して初めて実感するもの。
それが無い視点で語るのはどれもこれも空っぽの片手落ち。


「落語なんて古くさくって...」
というひとに落語の面白さなんて解らないんだから、落語について語らなくていい。

落語は言葉の中には存在していないのである。

落語論/堀井 憲一郎

どーしてわからないのにそういう輩に限って語りたがるんだが...。


ところで昨日のライター気取りのひと
いじめやDVについて - Togetterまとめ
(※ニヒリズム横溢するまとめですね)
ライターなのか? 笑
いやはや、元々香ばしいひとなんだな。
真紀和泉もだが、ネット時代の“ライター”の劣化についてだね...
落語論 (講談社現代新書)