AはDの言うことを否定していないことがCには理解できないし、Eは文句を言いたいだけなのでAは途方に暮れる

抽象的な話は伝わりづらい。
しかし伝わらなくてもいいので書いておく。
以前から不思議に思ってることが一つある。

例えばDさんが「××は△△だから正しいんだ」といったとしよう。
それに対してAさんが「いや△△はおかしい」とDさんの主張の一部を否定した。
△△がおかしいことは、Dさんの「××が正しい」という主張全体を否定するものかどうかはわからない。
主張の根幹を支える事柄だったら結果的に××も否定しているかもしれないが、だからといってXXを否定していない。
△△でなくても何か他のことで主張を肯定できるかもしれないとAさんは思っているからこそXXは否定せずに△△のみを否定したとしよう。


さて、ここへCさんが登場する。
Cさんは、DさんとAさんの話を聞いて思う。

「AさんはDさんのXXという主張を否定してる」
いやいや、必ずしもそうじゃないですが...。

「AさんはDさんが嫌いなんだ」
いやいや、必ずしもそうじゃないですが...。
というか嫌いという感情論がどこから出てきたんだ。


どうしてCさんはこういう風に曲解してしまうのだろう?
ネットでこんなCさんをよく見かける。
CさんにとってAさんの「△△への否定」はDさんの主張全体、そしてDさん自体への否定と繋がっている。

全体が見えていない。
構成要素が判っていない。
ロジックやディテールも見えない。
主張の結果しか理解出来ない。
根幹が理解が出来ていないから、一部への否定が全体の否定としてしか理解出来ない。
論理と感情が分離できない。


こういうCのような人は主語が大きくなる。
Dさんのいう「XXが正しい」という主張を支える要素として幾つものことがらが存在して、その中の一つが△△なわけだ。
ところがCさんにとっては「××は△△だから正しいんだ」という主張のみしか理解出来ない。
主張を構成する要素を否定する→つまり全体を否定するに繋がる。


1がダメなら10がダメ。
そんなバカな話は無い。
1がダメでも残り9ある。
検証もしていないのに残り9を否定するのは無理な話。

ましてや好きとか嫌いとかって何の話なんだろう。
AさんにとってはDさんに対しての感情なんて関係ない。
「いや△△はおかしい」と言っただけ。
CさんはDさんを好きだから、Dさんの主張の一部でも否定されれば即「嫌い」というレベルの判断しか出来ないのだろうか。
それじゃあ宗教団体の熱狂的な信者と同じだ。
好きとか嫌いとかの感情と、論理の正誤は別の話。
それを混同してしか考えられないCの思考能力の限界。

しまいにはどこからか
「Aというヤツは偉そうにDを否定するがAはひどいやつで...」
Aさんに対して、Aさん自体への個人攻撃を仕掛けるEさんが登場したりするから世の中無茶苦茶。
かつての因縁か何かでAさんを嫌いなだけのEさん。
Dさんの「××は△△だから正しいんだ」とか△△の正誤なんて関係ない。
筋違いも甚だしい。
そもそもお前は誰なんだ 笑


Aさんの主張は「いや△△はおかしい」なのだから△△の正誤以外の議論は筋が違う。
ところがCもEも△△の正誤とは違う感情論や個人攻撃しか展開していない。
こんな簡単なことすらわからない。

ところがCとかEみたいなヤツが平然と偉そうに持論を語ったり、そんなものをありがたがったり喜ぶ信者もぶらさがり、そこらじゅうに転がってる。
なにせCとかEが話すレベルで納得できるんだからそりゃあその信者もたかがしれ。

だが本当に多いし、こんな風な思考だから論理も通じない。
DさんとAさんはまだしも、CとEは同じ土俵に立ってない。

だからAさんは、途方に暮れる。
そしてCに無条件で支持されるDさんはこの状況をどう思うんだろうか。

...CとかE嫌いだわー(感情論)。

「なんだこの記事?」
「そんなヤツいないだろ」
「何が言いたいんだよ???」
「わかりにくい」

と言われても、以前から思ってたんだからしかたない。
たまに見かける光景。


こうやって途切れた文脈を書いても繋がらないだろうからあえて書いてみた。
個人だとか政治だとか国だとかはてなとか、適当な固有名詞が色々当てはまる。
そんな漠然とブーメランで無意味な記事をもって今週はこの辺りで終わることにしたいと思う。
ご清読ありがとうございました。
論理思考の鍛え方 現代新書1729 (講談社現代新書)