ブログの書き手は言葉をコントロールできているか

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photo by Quinn deEskimo

※ブーメラン必至
燃える文体・萌える文体 - ロックンロールと野球とラーメン
お大事にどうぞ、と言うことで。

同じこと書いても、文体によっては評価されるレベルや炎上レベルも変わってくるだろうな、と最近ぼんやり思っている。例えば、一人称を変えるだけでも大分印象が違う。自分は今のところ「俺」を使っているんだけれど、最初の方は「僕」を使っていた。前者はちょっと近寄りがたいイメージ、後者は親しみやすいイメージを持ったりする。男性が使う「私」はフォーマルっぽいというか、余所行きというか、ちょっと仮面被ってるなコノヤロウ。とか思ったりする。その他にも、おいら、オイドン、自分、などなど一人称があるけれど、何を選ぶかによってあなたのブログ書きライフは変わっていくだろう。多分。
おいどんのこのブログは適当に書いているように思えるかも知れんが、言葉の使い方にはそこそこ気を遣ぅとる。
もちろん“そこそこ”の程度によるが、プロのライターほどではないにしろ、自覚的に「言葉」を意識してはいる。実際、出来てるかどうかは知らない。ただ距離感を間違うと痛い目に合うのは判ってる。


書き方には、書き手の人格が現れる。
「ボク」と「僕」は違うし、「オレ」「俺」も受ける印象が違う。
「ワシ」「拙者」「ウチ」「あちき」「あたい」「俺様」「ワテ」「ワタイ」など書き手が自分自身をどのように呼称するか、言葉の選び方によって読み手に与える印象はすっかり変わる。
自分の呼び方を変えてみるとまず据わりが悪い。
書いていて文体との整合性が気になる。
読んでいる方以上に。


私が歩いてると

オレが歩いてると

おいどんが歩いてると


先週の日曜日、ボクは奥さんと一緒にお祭りへ行きました。
縁日を見て回りながらボクは奥さんに綿アメを買ってあげました。

おいどんがネットを見ていてもオーソリティの方が言うところの承認欲求と言うものはどのような御仁にも散見できるものでごわす。

オレから言わせりゃテメェらみたいなクソはてな民とか言うゴミ連中が炎上させなきゃこんなクソ...

私の見たところ、はてなでの炎上が起因になっているのは動かしがたい事実であって...

先日、拙者の兄上が結婚したのでござるがそのご新造さんが別嬪で、拙者度肝を抜かれたのでござる。

みんなはそういうけど、ワタシやっぱりいいんじゃないかなかなーって思うの。

オラの言いてぇことはそー言うことじゃねぇーんだよ。

結局のところ、下手打って燃え広がっても、あちきにはあのお方の対処が悪かったとしか思えまへんのんや。

かくて、当方が牛丼屋で牛丼を食したとしてその後「格別の一杯でござった」と店員氏に対し言う言わんという些末な対応は問題の本質では無く、誤読をさせるに至ったその言葉にこそ問題があり、それに固執し...


呼称に文体が引っ張られることもある。
呼び方を変えるだけで随分と変わる。
「オラ」と書くだけでオラの頭の中では文を書きながら(CV)野沢雅子で脳内再生されっし、おいどんと書けば鈍重な文体になるったいねー。

(笑)

:)
wwwwwwwwwwwwwwww

そうじゃない
そうではない
そーじゃない

同じ言葉でも書き方で随分と変わる。
固い文章なら「そうではない」だろうし、軽~い文章なら「そーじゃない」だろーし。
その辺りの書き分けもセンスだし使い分け。
漢字と平仮名カタカナの使い分け。
やわらかい書きかたならひらがなを多くつかえばいいし、堅苦しい書き方を行いたいのであれば漢字を頻用するのも好いだろう。

バカ、クズ、ゴミ、クソ、ファック、うんこetc...
汚いビチグソみたいな単語だってクソ書き手が何を選ぶかでクソみたいに随分変わるんだぜ、わかるか?ファッキンアスホールなビチグソどもが死ね。


句読点の位置、一つ、に、し、ろ、随分変わる。

句読点が無ければ非常に読み辛くもなるし改行一つで随分と印象は変わるし読み手の読解の難度を考えることも無く自身の書きたいように改行もせずただひたすらに言葉を連ねて己の思考をダラダラ書いてるような記事ははなっから読む気もないしアクセスもしないしあの手のモノを持ち上げる読み手の思考もよく判らないが慣れてしまえば大丈夫なんていう指向や思考は評価として信用だに値しないとか何とか書いてれば行なんて稼げるもんだし実は書き方としてはこの方が書いてて楽だしだからこそひたすらダラダラ書いている記事は配慮を感じないし好まない。


一定の書き方で一定の記事を延々投下し続けるなら構わないけれども(構わないけども、構わんけど、構わないが)、言葉の集積が文章である以上、その言葉の一つ一つの指向や表現で文全体の印象が変わってしまうのは当然のことだろう(当然のことであろう、当然の帰結と言える、当たり前、明白である、三歳児にでもわかる、どんな低読解力のバカにでも理解できるに違いない、読んでくださっている方には今さら説明の必要もないでしょうが、...説明めんどくせ。どうせアクセスも無いのにわざわざ当たり前のことを書いててアホらしいわハゲ)。


書き手がどの程度記事や文字に対して配慮しているか、読み手は繊細に読み取っているし反応する。
選び方、事象に対する思考の程度、知識の深度。
言葉をコントロールできているか否か。
それとも単に書いているだけか。

記事の上手い方の文章は仔細にまで配慮が行き届いていて読んでいて詰まるところが無い。
スルスルと入って行く。
ウチみたいに、カオスで腐汁の溢れかえる脳髄から垂れ流すゴミと等価の駄文とモノが違う。


書いたものを読んだら、そら何かを思う。
「思ったから書く」しかない行動にはその読んでる人間が想像できてない。
そんなものが燃えたりするのは当たり前やし、道端で金切り声出して叫んでるキ●ガイのおっさんと変わらへん。
アホみたいに叫んどったら通りかかった誰かに
「おっさんうるさいねん!」
そら言われるわな。
「うるさいてなんやねん!聞きたないんやったら耳塞いどけ!」
そんな風に言うてなんぼ怒られてもキ●ガイが叫び続けるんは別に構わしまへんけど、そーいうんはいずれ飽きられて無視されて終るんがオチ。
実力で評価されへんもんやから必死で火をつけて回ってはる。
嫌やわぁ...。
その手の輩が、構ってもらってるのは実力でも何でも無く単に声が大きかったり、誰かを傷つけたり、誰かを怒らせたり、煽ったりしてるからこそ成り立つ今の状況が早く変わらんかなぁ、と思いつつこのしょーもない駄文を終わることにしますわ。
キ●ガイは構わへんのが一番やわ。
おおきに、さいなら(京都人っぽく毒を匂わしはんなりfadeout...)。
近代書き言葉はこうしてできた (そうだったんだ!日本語)