恋愛が最高だという「共同幻想」

恋愛感情のない結婚について - 仕事は母ちゃん

『たいして好きでもない相手と結婚する』不思議 - 自意識高い系男子

未婚なのに結婚を語るなんて柄でもないし趣味でもない。
ただ「恋愛感情の無い結婚」について上記リンク、前者は判ったし、後者は判らないのが判らない。

つまり、結婚するかしないかは、個人の選択の問題であり、完全に自由なのです。その中で、あえて「たいして好きでもない相手だけど結婚する」という選択をする方は、何を考えて結婚したのだろう?それで幸せになれると思って、結婚したくて結婚したんだろうか?

このことが、私にはどうにも不思議に思えてならないのです

『たいして好きでもない相手と結婚する』不思議 - 自意識高い系男子

「自由恋愛による結婚でなければ幸せになれないのではないか?」
「好きでもない相手と結婚して幸せになんてなれるのか?」

と言う疑問には(幸せの定義にもよるだろうが)少なくとも
「自由恋愛による結婚と言うものが近代にあっては普通でもかつてはイレギュラーなモノだった」
と言う過去の歴史があって、では過去に存在した「自由恋愛を経ていない結婚」が全て幸せでなかったのか?と言うところに繋がる。
お見合い結婚にしろ全否定になりかねない。
恋愛を経て無きゃ、好きでなきゃ結婚しても不幸せでしょ?って言うのであれば、昔の方々のあらゆる時代の結婚のかなりの部分は不幸せで出来てたことになる。
「恋愛」と「幸せ」がなぜイコールなのか。
それらは別々のモノであって必ずしもイコールで繋がっているものではない。

「嫌いな相手なのに結婚する」のが理解できないならまだ判るが。
自由恋愛なんて昔から許されてたわけじゃない。


今でこそ自由恋愛は当前。
現代社会で自由に選べるのにも拘らずあえて好きでもない相手と結婚するなんて...と言うが、何に価値を見出し、重視するかにもよるだろうし

そんな私が夫と見合いしてセックスどころかキスも経験せずに結婚を即決したのは、第一に一緒にいて緊張しないからでした。お見合いは最初仲人を交えて会話をするわけですが、その後はふたりだけですごします。夫の車で適当にぶらっとしたのですが、そのときに助手席で居眠りした私…。出会ったばかりの他人とふたりきりで、こんなに緊張しなかったのは生まれて初めてでした。

恋愛感情のない結婚について - 仕事は母ちゃん

これって随分大きな要素だよな、と思う。
付き合い始めて、見栄を張り無理をして、自分を良く見せようと飾り立て、感情に振り回され相手のいい部分ばかりを見て結婚して、海外へハネムーンで旅行に行った途端見栄を張ることが無くなって相手の嫌な部分が見えて結局帰国して離婚する。「成田離婚」なんて一時期言われたけど、あれにしろ「恋愛して結婚を決めて」その結果があれなわけです。
生涯相手に恋愛し続けることは少ない。
なのに恋愛感情を重視して「好きだから」で一緒になることに固執しても、それは堅苦しい。
何かに縛られている。
「一緒にいて疲れないから」
それって素晴らしい理由だと思う。
恋愛感情よりも余程普遍性があって持続性がある。
「たいして好きでもない相手だけど結婚する」という言い方は恋愛を経ない結婚観に対しての何かしら嫌悪するニュアンスが出ているように感じて実際は「嫌いじゃないから結婚する」という心理であって(“仕事は母ちゃん”の方も「嫌いなところが見当たらなかったから」と結婚の理由を書いているが)、恋愛を経ずに結婚したからと言って「たいして好きでもない」という表現には棘がある。

「あの人のお金が目的で(そろそろ歳で死ぬし)」
よりよほど健全な理由だろう。
頑張れ、加藤茶

色恋沙汰は古代から絶えることはない。
ただ二十一世紀の日本では、恋愛が色濃く人生に影響を与えていて、誰しもが何かしらの恋物語を持ってることになっている。そういう世界に仕上がり、それ以前の風景が想像しにくい。いま、自由な恋愛を社会は邪魔をしないし、基本的に奨励されている。不自由な恋愛は、つまり恋愛が二重三重にからまってる恋愛は、みんなで話題にして消費するものとなってます。
たぶん、けっこうみんなヒマなんだとおもう。

ま、ありていに言えば、恋愛が経済活動に組み込まれてしまっただけだ。だから奨励されている。
恋愛がその周辺を含め、きっちり商売になっている。

落語の国からのぞいてみれば/堀井憲一郎

海外に目を移してみると、現代でも妻を何人も迎えていい国なんてものがあるが、あれにしろ「恋愛を経ない結婚なんて...」と考えれば、かなりありえないシステムなのかもしれない(全員と大恋愛しているのだとしたらなんて気の多いひとでしょう)。


今は、個人の時代。
「自由恋愛」を選択することが出来る。
恋愛を行い結婚をすることが認められているのであって、恋愛をしないと幸せにはなれない、そんな相手と幸せな家庭は築けない、と言うのはおかしな話。
現代は離婚率も高く、恋愛を経て好きだったはずの相手と築いた家庭は幸せでもなんでも無く崩壊する例は後を絶たない。


ところで離婚と言えば、昔は離婚率が実は高かった。
亭主関白な時代。離婚なんてしない...と思われがちだが実際は

江戸から明治にかけては統計資料などから女性の離婚率は高いことが
分かっています。18世紀までの江戸時代の武家の離婚率などはイメージ
とは正反対に10%以上に達します。武家の場合、家督を継ぐ男子を作る
必要性や、女性側も実家が経済的に恵まれていることが多いため、一般
よりも更に離婚率が高かったのでしょう。
実はテレビなどの時代劇における結婚観というのは、江戸時代の社会の
世相ではなく、明治後期~昭和くらいの世相を反映したものなのです。
例えば1717年の「世間娘気質」という書物には「今どきの女は律儀である
ことより、他人からどう見られているのかだけを気にしている」と書かれており、
違う方ももちろんおられると思いますが、現代女性の気質とあまり変わりません。

(中略)

明治の民法は「家」制度を重視しており、貞操観や良妻賢母を理想とする女性像が理想とされるようになったことで、日本人の結婚意識にも大きな影響を与えたのです。
それ以前の日本では夫婦別姓実態として普通だっただけでなく、戸籍上も夫婦別姓でしたが、明治民法によって夫婦は同姓とされるようになり、そのことが離婚率の減少にも大きく寄与したのです。
夫婦別姓を夫婦同姓に変えたことが結婚観を大きく変えたものであったことは否定できません。最近、夫婦別姓を導入しようという論議がありますが、こうした過去の歴史を見れば、今の世相で夫婦別姓を導入したら再び離婚率の増加に繋がり、ひいては少子化を更に加速させてしまう懸念は払拭できません。

明治時代はなぜ離婚率が高かったのですか? - Yahoo!知恵袋

時代時代の当たり前と思われている常識...パラダイムは他の時代からすればおかしなもの。
「当りまえ」は実際は当たり前でもなんでも無く、その時代の社会通念や思い込みに捕らわれている面も多い。
命短し恋せよ乙女、今の社会は恋愛を貴び恋愛することは幸せで、恋愛は素晴らしく、大恋愛をして誰か好きな人と一緒になり幸せな家庭を築く、それこそが結婚の至上のかたちだ、と言う「共同幻想」を共有している。
でも実際はそんなものに依らず、それなりに不快感を感じない、そこそこ経済的に安定している相手と結婚することだって正しい。
「年収400万はゾッとする」とか書いて炎上した輩も居たけれど、金なんて何億あったって不幸な人間だっているし、共働きで何とか200万って夫婦でもそれは本人らが幸せと思えれば幸せなのであって、そこに恋愛と言う要素は必ずしも必要だとは思えない。

結婚に必要なのは愛情か、金か、他の何かか。
どれを選択したって「幸せ」と言う結果に繋がっているかどうかは人によるとしか言えない。
大恋愛で結婚して結婚直後は幸せでも五年後は不幸せなんてゴロゴロ転がってるし、リンク先のひとのように恋愛を重視せず結婚してそれで幸せな方だっている。恋愛はして困らないが、それに全てをかける価値があるモノでもそれほど重要な要素でも実際はない。
一円にもならないものに夢中になれる、それだけ豊かな時代なんでしょうが。

我ながら柄にもない話だと思いつつ記事を終わりたいと思います。

物語になるような恋は、大金持ちか、色里にしかない。それが江戸の昔の恋である。
金とひまがなければ、色恋に専念していられないってことだろう。恋愛は人生にかかわりがなく、金になるものでも無く、あったほうがいいけどなくても生きていけるもので、それは今だって同じだけれど、でもその意識はもっと徹底していた。
初恋はいつですか、という設問がふつうにできる世の中からは、江戸の恋は遠い

落語の国からのぞいてみれば/堀井憲一郎

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)