半沢直樹が感情的で福家警部補が無感情な理由

先日、「最近、感情表現の薄い主人公のドラマが多いんじゃないか?」と言う記事に対して「いや、それは筋が悪い」という記事を書いたのだが、我ながら文章がヘタ過ぎ、読んでいても痛々しいので改めて書いてみる。

物語構造の違い

元記事では最近始まったドラマ「福家警部補の挨拶」をとりあげて
「あぁ言う感情表現の薄い主人公を据えたドラマが多いが最近のドラマと言うのは..」
云々と語られており、比較として半沢直樹などの名前を上げている。

連続もののミステリードラマと、ストーリードラマを比較している時点で随分と「物語」の捉え方を勘違いしているのが判る。
一つ一つ見ていく。
まずは、物語の構造の違いから。


ストーリー物のドラマと言うのは主人公を中心に物語が進行する。
主人公、すなわち語り手であり観察者であり、様々な事件・事柄は主人公を中心に起こる。
下図a.
半沢が働く銀行の中のパワーバランスや圧力と戦う様が描かれる。
上司より理不尽な行いがされることで半沢は正義になり、視聴者は半沢に感情移入することが出来る。

これは「あまちゃん」でも同じ。
主人公アキがアイドルを目指し上京するも震災によって秋は再び田舎へ帰る。
すべてアキを中心に回る。
感情表現が豊かな主人公だからこそ視聴者は感情移入する。

対して、福家警部補や相棒などの連続ミステリー(刑事)ドラマの構造を見てみる。
福家警部補の物語の主人公は福家警部補ではない。
物語の主人公は犯人であり被害者であり、その人間関係がメインになる。ミステリにおける物語=事件。
福家警部補はその物語(事件)に介入し、謎を解明し、視聴者に向けて論理的に提示...解決して見せる。論理的におかしい、矛盾を暴きだしそれを提示することで物語の中の非論理が論理に帰する。
事件を解体し再構築する。

それは相棒でも変わらない。
下図b.では(馴染みのある)相棒にしてみたが、物語は物語として存在し、杉下とその相棒、および他レギュラーは毎回変わらず物語(事件)だけが変わる。
杉下と相棒は物語に関与し解決に導くが、それ以外のレギュラーは必ずしも関わらない場合もある(コーヒーを飲みに来て、ヒントを提示する役割を担う場合も多い)。
※適当に作ったので天地逆とかスマヌ
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これはコロンボであろうが古畑であろうが変わらない。
物語(事件)に介入し、論理的に整理するために探偵(刑事)は存在している。
視聴者は杉下や探偵に感情移入しない。
物語そのものや犯人の心理などに感情移入する。
感情表現の少ない主人公(探偵・刑事)は視聴者の感情移入を阻む。


物語の中心にいればいるほど感情的に演出されている。
これは物語での行動・動機が感情によるものだからだし、半沢で言えば一円にもならない「DOGEZA」がキーワードになり、相棒や福家警部補で言えば犯人の動機になる。

物語(事件)の外から介入し、論理的に解決する探偵(刑事)に感情は必要ない。
感情に踊らされ、感傷に迷う、それでは論理的解決を提示できない。
「犯人の動機は、感情としてはわかるが犯罪は犯罪である」
だからこそ感情を切り離し、論理的なキャラクターを探偵(刑事)に据え、人間離れした超越的推理力を与える。
もし感情的な「半沢直樹」で殺人事件になれば
「警察に突き出す前に!まず土下座してもらおうか!大和田!!!DOGEZAだ!!!」
なんてことになり、論理性よりも感情が先に立つ。


キャラクター演出の違い

次にざっくり作ったグラフを見てもらいたい。
縦軸は「感情的」「否感情的」、横軸は「天才」「アホ」になってる。
別に侮蔑的な「アホ」ではなく知性を感じさせるキャラ演出になっているか否かと言うだけなので他意はない。
じぇじぇじぇをバカにしていない。
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エルキュール・ポワロ潔癖症で感情を出しやすい(特にデヴィッド・スーシェ版)のだが、それ以外のキャラクターは比較的感情を抑え、論理的に思考を働かせるために左下に多くなる。
古畑やコロンボなどの探偵も左下に近い位置に入るだろう。
逆に探偵の相棒役は、探偵役の天才・論理性を際立たせるために知性を下げ、代わりに肉体派にしていることが多い。

ちなみに福家警部補は、連載中の新作「未完の頂上」で元世界的クライマーについて平然と山を登っているので肉体派でもある(ホームズもボクシングが得意と言うのは有名)。


そして右上であればあるほど視聴者の感情移入はたやすい。

よく話し人間的で感情表現が豊か...それが肉体派の典型的な演出であり、寡黙で理知的...それが頭脳派の典型的な演出と言える。

物語性の違いやキャラクターの演出法によって演出・構造は全く違う。
この二つを比較するのはてんで的が外れている。
作り手側が誰に感情移入をさせたいか、なにを意図しているのか、どれを見せたいか。
それが違うんだから違っていて当たり前。

主人公が否感情的な場合は物語を見せたい、他のキャラクターに感情移入させたいと作り手が意図している。
そう覚えておくと解りやすい。

誰でもわかる、今さら初歩中の初歩の演出論。
こんなこともわからなくても偉そうに色tゃいpRJAO+SF+JASIOPFJzFP..