ロックンロールと承認欲求

シネマタイズ(映画化)
※ここでは内田裕也御大の言う「ロック」をベースにしてる
※特にオチはない

一部で「承認欲求」と言うワードが熱い。
とはいえ語源だのワズローだのそーいうのは興味が無いのでどっかにお任せする。

なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ!
なんかいろいろごちゃごちゃになってね?と思うがまぁそれはそれ。
承認欲求と言うワードを使い「他人にウケようと意識しやがって格好悪い」と罵倒するやつは、自分のアウトプットに自信がないのだ、と。


デマの人が言うところの
「アイドルの掲げる目標=承認欲求であり、ファンはそれを肯定している」
について。

この「承認欲求」というヤツを語るのに、アイドルがポイントになってる。
これがもし「ロック」だと必ずしもニアイコールになるんじゃねーか、と敷衍してみる記事。


それは“ロック”じゃない

内田裕也なんかが「それはロックだ/じゃない」とか言うが「ロックかロックじゃないか」っていうめんどくさい言い方を愚考するならそれは
「ロックじゃない=ウケることを考えるなんて格好が悪い」
という承認欲求の否定なんだと思う。
ロックにおいて承認はあとからついてくるもの。
他人の評価ではなく自分の追い求めるモノを追求する、他人の決めた枠組みから外れる=ロックである、と。
だから内田裕也は女装をしたり三つ編みにしたりして見せた*1


大槻ケンヂ「40代、職業・ロックミュージシャン 大人になってもドロップアウトし続けるためにキッチリ生きる、'80年代から爆走中、彼らに学ぶ「生きざま」の知恵」と言う名著がある。

40代、職業・ロックミュージシャン 大人になってもドロップアウトし続けるためにキッチリ生きる、'80年代から爆走中、彼らに学ぶ「生きざま」の知恵 (アスキー新書)40代、職業・ロックミュージシャン 大人になってもドロップアウトし続けるためにキッチリ生きる、'80年代から爆走中、彼らに学ぶ「生きざま」の知恵 (アスキー新書)
大槻ケンヂ

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バンドブームで出てきたさまざまなバンド。
大槻は、文化人や文筆業、サブカル枠で生き残ったが、多くのロックバンドをやっている人らはいわゆる「一般的な生活」からドロップアウトして、今はどうしているかと言えば、どこかでコミュニティを作ってたり、友だちの家に転がり込んで手伝いをしながら暮らしていたり、子供が出来たり、年金が気になったり、体の不調やライブ中は加齢で体力が持たなくなってきたり。
「ロックで生きる」っていうのは決して格好のいいことばかりではなくて、必ずしも稼げないかも知れない「ロック」っていうものを食い扶持として選び、それを糧に生活することを選択した。
いつまでも若いわけじゃない。
誰しもいずれ歳をとるし、ロックをやってればみんながみんなウケる訳じゃない。
みんな飽きるし離れていく。
ファンがずっと応援し続けてくれるわけでもない。
多くのバンドは解散し、就職し、田舎へ帰った。


ずっとロックを続けて、歳をとって人生半ばを過ぎて、それでも当然承認欲求はあるだろうが、もう現実的には「大ヒット」なんても縁遠いかも知れない。
もはやロックは生活の一部で、ロックと言うものをやることで生き続けてる。
「ロックをやってウケたい」よりも「ロックが好きだからやってる」の方が大きくなってる。
自分で自分を承認してる、誰でもなく自分が。
「オレのやってるオレのロックは正しいし面白い」
じゃなきゃ続かない。


サイタマノラッパー

映画「SRサイタマノラッパー」

SRサイタマノラッパー映画予告編 - YouTube
埼玉の田舎でラップをやってるユニット「SHO-GUNG」
周囲から認めてもらえず公民館の大人の前でラップを披露し静まり返った会場の聴衆から「両親はどう思っているのか?」「将来どうするつもりか?」と冷静に現実的な質問を突き付けられ叩きのめされる。
ラップで売れたい、ウケたいが埼玉の田舎では誰も認めてもらえない。
現実は厳しいし、夢を追ってる場合じゃない。
主人公を独り残し抜けていく他のメンバー。

最後、ユニットから抜け就職したメンバーに向かって「夢を諦めるな」と主人公がラップをするところで映画は終わる。
※その後、劇中では二人はラップを続けるわけですが


作中、都会でAV女優をやって田舎へ帰ってきたみひろ(実際もそうですが)は、田舎でもAV女優として見られ、そこからも去っていく。
「そこにいていい」と認めてもらえる場所でないなら立ち去るしかないし、認めてもらえる場所、人を探すしかない。


ロックで生きる

周囲から承認されない「ロック」は格好が悪い。
舞台に上がり認められることで「ロック」は昇華する。
でも「認められたい」ことを前提にしたロックは、ロックじゃない。
ロッカー相手に「承認欲求」と言う言葉は罵倒のワードとして機能する。


かつて(今は知らんが)ナンバガと違ってアジカンが(一部から)嫌われていたのは、そういう「これをやればウケるだろう」が音楽に透けて見えると(一部から)思われていたこともあり、比して(ナンバガ)向井のやってる音楽って言うのは「ウケようがウケまいがこれが格好いい」という自分の音を貫いた結果、変則極まる変態ロックに辿り着き、そこにファンが「唯一無二の向井秀徳の音」を見るからこそ付いていってるし応援する。

ZAZEN BOYS - ポテトサラダ @ FREEDOMMUNE 0<ZERO ...
複数グループが出るイベントで、他グループのファンに「こんな変則リズムに乗れるわけねーだろ」「なんだこの変な音楽は?」と首を傾げられても、インプロバイゼーションでアドリブ満載のライヴ演奏に必死で踊りながらついていく。
「自分が自分のやってることを認められるかどうか」という自己承認だって大きいし、まずそれが前提としてあるうえで他者の承認を求める。


誰かに認められるからこそやれる。
自分でも誰でも、認めるならロックを続けられる。
日常と非日常のロックは相性が悪い。
現実的にはロックで生きることはとても大変だろう。
ロックと言うモラトリアムを追い続けるのを認めてくれるほど、周囲は甘くない。


自虐

大槻ケンヂは「受け狙いのロック」を皮肉って(自虐として)「タイアップ」と言う曲を歌った。

「ポリシーよりも彼女に服を!ロックなんか犬が食え!」とロックで飯を食うことの格好悪さを自虐気味に歌ってみせた。
理想は立派だが理想じゃ腹はふくれねぇ。
「オレを見ろ!アーティストだぜ」


「表現」と言うのは難しい。
ウケることを考えず、しかし周囲に承認されればそれは格好いい。「アーティスト」と呼ばれる。
ウケることを考え、周囲に承認されればそれは一部から「ウケ狙い」と揶揄される。
ウケることを考えず、周囲に承認されなければ「変わり者」「もっと現実を見ろよ」と言われる。
ウケることを考え、周囲に承認されなければ「ウケ狙いでスベってる」と見下される。


アイドルの場合は自身で曲を作り、自身で歌う訳ではない。
音楽だけではなく「アイドル」と言う自身の存在を周囲に承認してもらえるかどうかだが、ロックはそうではない。
自称「アイドル」の誰にも認めてもらえない「地下アイドル」「泡沫アイドル」は、認めてもらうことを夢見ていても承認されない限りは果たせない。
「ロック」は個人の生きざまやスタイルだが「アイドル」は周囲の現象や状況、応援するファンらを含めて呼ぶのだろう。
「プロレス」が観客を前提としているように、「アイドル」もファンを前提としている。
しかし「芸術」や「ロック」は必ずしも観客や対価を前提としない。


モラトリアムの住人

松本大洋の「花男」で主人公の花田花男は、30歳になっても野球に夢中で野球選手になること以外は考えていない。
しかし作品世界はモラトリアムだから生きていける。
花男は野球選手になることが出来るが、現実世界でそれは厳しい。
才能があっても認められずに消えていく「天才」も多くして、認められずに自分を信じたり、ひたすら好きだからと続けるのはとても難しい。
花男 (1) (Big spirits comics special)

*1:TBS「クイズ タレント名鑑」内にて