もう書店は燃えなくなった

ゴーストライターがいるのは恥ではない:ぼくの本、半分くらい編集者が書いてますよ/イケハヤ書店(ウェブ魚拓)
毎度、おなじみ炎上書店の炎上芸。

世間の批判を浴びる時事ネタ→逆張り・煽る→燃える→PV上がる→ウハウハ

この循環をウェブでは「炎上商法」と呼び、無辜の市民の不評を買って儲けることが常道のマッチョな荒らし行為ですので当然忌み嫌われております。


ところが今回燃えない。

ホント燃えない。

「いいね!」87に対し、はてぶが10という過疎っぷり。

いつも通りの逆張り・煽り芸にも拘らず。
一時期は連日ホッテントリに登場していた方ですが、もう生活も安定して周囲からオワコン言われようがライターとして(実力はともかく)ニーズはあるのでしょう。それなりにハッタリは使えるのだし。

「ぼくの本、半分くらい編集者が書いてる」

と言うひとがライターと名乗っていいだけの実力があるのかどうかは定かではないですが、ハイパーメディアクリエイターと同じく自称なんて言ったもん勝ち。
方法はどうあれ文字を書いて金を集められるなら
「(自称)ライター」
なんでしょう。
サイゾーのゴシップ記事書いてる人物だって「ライター」ですから。


小説と小説家

作品は一言一句、作家本人が思った通りに書き出版されてるわけじゃない。
漫画家だって編集者とゴチャゴチャ、裏の事情が昨今バラされてたりもする。

口述筆記なんかの場合、作家は書いてないで行ってるわけでそれを文字起こししてるわけだが、それにしたって批判を受ける筋合いはない。

「作家は作品の○○%は創作しなければ、その作家の作品とは認められない」

そーいう法律はない。
作家自身が書いた部分だけボールド…になんてなってないし、ユーザーは作家・編集者の関わった部分がどこの部分なのかなんて意識しない。


世に出てる小説、マンガとかコンテンツの中で
「創作者のみの純粋な創造物」
がどれだけの割合を占めるのか。
※名前貸して「100%別の人間が書きました」アイドルの告白本みたいなモノの書き手が「ゴーストライター

漫画なら背景やベタはアシの仕事。
編集者がストーリーに口出しもしたりする。

いとうたかおじゃないけれどチームプレイも可能だし、その割合は表に出さなくてもよいのが小説やマンガと言ったコンテンツ。


今回のこのピアニストの問題は「耳が聞こえないピアニストが作曲」という世間の方々の感動を呼ぶ謳い文句で世に知れ、市場に出回ったにも関わらず、実際はそれらの曲を別の人間が作っていた上に涙々感動のストーリーが事実と異なる虚偽だったから世間から批判を受けたのであって、イケハヤが「ボクの作品は半分編集者が書いてるんですよー」は何の関係もないし、筋違いにもほどがある。

ゴーストライターと編集の水増し・改稿は違うって理解できてない?

みんなイケハヤが編集の手も借りずに独力で本を書き上げたなんて思ってない。

単に自身の創作者としての実力のなさをバラしてるだけ。

引用どころか転載上等のブログを読めばわかる。



ゴーストライター」と「編集」の差を理解出来ずに素で書いてる時点で充分「ライター」として疑問なわけだが、そういえば某若手炎上ブロガーも素っぽい方でしたっけ(消えたから別にいいけど)。

いまいち事実関係はよくわかりませんが、今回の騒動についても「この作品は共同制作で、わたしはここまで書いて、彼がここまで書きました。それはよりよい作品をつくるためです」というかたちで発表すれば、問題になることはあり得なかったと思われます
イ「なんかピアニスト批判受けてるけどボクも同じだし悪くなんかないよ」

「いや、事情が全然違うだろ……無視無視」

イ「ねーねー、ピアニスト悪くないってばー。みんなバカじゃないのー」

………。


今後、イケハヤの本を読んで記事にするなら、面白かろうがクソだろうが「※ただしこの本は編集者が半分書いています」と但し書きを付けて感想文を書かなきゃいけないってだけじゃないかな。

そーいえば前にどっかのブログに

「イケハヤの本おもしろかった」

「読みやすかったし文章上手い」

と書いてあったっけ...(察し)。


今回あまりにも違いすぎて、すっかり燃えない。

社畜と家畜を比較して燃え上がらせたあの手腕はどこへ…(今さらホントひどいな)。
ブログも引っ越して以来(いや、その前から)読んでないし、目にもしない。


五年後も今と同じく時事ネタにいっちょかみして
「ねーねー、ボクひどいこと言ってるよー?構ってよー?叩いて?叩いて?」
と相も関わらずやってるのかなぁ。
それともハッ●ル先生みたく路線変更するのか。

「年収150万円で生きるには家相が大事なんです!」


今日もネットは平和です。
部屋を活かせば人生が変わる