素人でも偉そうに語れる超映画技法:画面は語る

江頭2:50の「映画エィガ批評宣言」

マンガ文法 7つの鉄則
マンガを普段読むときに文法は意識しない。
そのくらい文法と言うのは自然に使われている。
時間や空間、音や動き空気や雰囲気や味といった様々な現実の感覚・事象を、動きのない紙の上に落とし込むためにマンガでは様々な方法を使う。

「しーん」
というのもその一つ。
無音には当然音がないが、無音を表現するために「しーん」という音喩が開発された。


画面の文法

映画などの映像作品でも同じことが言える。
現実世界の一部を切り取り、視聴者や観客にどうやって表現するのか。

今回は画面の作り方について。
映画監督と言うのは画面の作り方にとても気を遣う。
観客は役者を観ているだろうが、作り手はその役者をどう映すか、どのように見せるかを考えて画面を作っている。

押井:ようするにさ、ひとりのレイアウトは誰でも撮れるの。で、ふたりのツーショットというのもそれなりにレイアウトが取れるんだよ。
撮影監督もいるし。
で、ふたりの芝居というのは片方のどちらか一方は芝居をしてるわけだ。
片方はそのリアクションを取れるわけ。そこはプロレスだから。
3人になってくると、ひとりがなんか演じてるときにふたりのリアクションは同時に見れないわけだ。
どっちを立てるんだというさ。

これが4、5、6人になるにしたがってハードルがどんどん上がる。
そうするとさ、ひとつのフレームに5、6人入ってると、必ず棒立ちの人間が出てくる。
棒立ちの人間がいるというのは誰にでもわかる。
で、そこはイージーなカットだということになるわけ。だってやることないんだから。
棒立ちで立ってるだけなんだからさ。
動いてもいなければ、リアクションも起こしてない。
ひとつの画角で何人の人間をさばけるかというさ、これは演出家にとっては一番わかりやすい。

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第31号

最近は安易にカット割りをしているドラマがあったりするが(一時期ものすごいカット割りが多いドラマがあって吐きそうになったが)カットを割る、という部分にはそれぞれ本来的には「今までの角度ではなく角度を改める理由」がそれぞれ必要になる。
遠くから映していたのに手元を映し、顔を映す。その理由。
そのようにカットを割ることで観客に対して何を伝えるのか、画面で語る。

割らなきゃいけないところって理屈が絶対必要なんだよ。
「ここはどうしても割らなきゃいけない」という理屈が必要なんであってさ、「その理屈がなければ通せ」というのは死んだ師匠の口癖だよ。「なぜカットを割るのかをちゃんと説明してみせろ。
他人に説明する前に自分で説明しろ。自分がそのことに根拠を持てなかったら、他人なんか説得できるわけないんだ」というさ。
うちの師匠も割る理由がない限りは絶対割らなかった。アニメと言えども。
だから平気で長回しをやってたからね。
「ロッカーから宇宙服を出して着る」とか、うちの師匠は堂々と1カットでやってたからね。アニメーターは死ぬ思いをしたろうけど、だって確かに割る意味ないんだもん。
アニメーターはカット数を稼げればいいかもしれないけど、演出的に言うと服を脱いで、ハンガーに通して、ロッカーに入れて閉めるなんてさ、割る意味どこにあるんだよ。スッと袖が抜ける、ハンガーを通して、つぎのカットでは面倒くさいから(ロッカーに)入れる、ガチャンと閉めるアップみたいなさ、いくらだって割れるよ。うちの師匠の言い方だけどそこに一種のキャラクター性があるかないかって話だよ。
そのキャラクターというものを長々と見せたいわけだ、延々と。
とくに芝居をしてるわけじゃなくて日常動作を。いつもシートに座って「なんとかなんとかだ!」と言ってるだけでそれって映画になるのか。
アニメにはなるけど映画にはならねえだろうって。
それと同じで。どこまで通していいか、ここから先は割るべきだという根拠は絶対あるんでさ、その根拠は何だと言ったら一番わかりやすいのは「このシーンは誰のシーンなんだ?」ということ。
セリフしゃべってる奴にカメラを向けてたんじゃ意味ないわけ。
この人はセリフはオフにしておいて、むしろこのセリフを受けたときのリアクションを撮るべきであってさ。だからそういうことなんだよ。

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第33号


エレファント

画面の作り方には必ず意味が存在する。
例えばガス・ヴァン・サント「エレファント」という映画がある。

Elephant (Trailer) - YouTube
1999年に起きたコロンバイン高校での銃乱射事件をベースに描かれた作品なんだが、この映画は極端にセリフが少ない。セリフが少ない代わりにこの映画は画面の構成で様々なことを物語っている。

例えば登場人物AとBが学校の廊下ですれ違い、あいさつを交わすシーンがある。
画面は、まずAからの視点。
フォーカスは周囲の人物にも当たりくっきりした画面で、Bにも当たる。
時間が少し巻き戻り今度は同じシーンがBの視点から描かれる。
画面は、フォーカスが周囲の人物・背景に当たらずぼやけている、ところがAにだけはフォーカスが当たっている。

同じ時間、場面を二度描いて見せる。
Aから見た世界とBから見た世界は同じ空間でありながら認識が違う。
Aは、周囲の人間や学校などにも興味がある。
だからすべてにフォーカスが当たる。
ところがBは世界(学校)に興味が無い。
しかしAには興味があるのでフォーカスが当たっている。
こういう心理・関係性やキャラクターを、セリフでは説明せずに画面のフォーカス一つで表現している。
セリフで説明されないと理解出来ないなら、すべて言語化されてる小説でも読むほうがいい。

画面を理解出来なければ、冗長だが雰囲気だけはある映画だろう。


リンダリンダリンダ


リンダリンダリンダ 予告編 - YouTube
だらだらと盛り上がりもなく、長回しをするだけでリアリティなら、そんなリアリティはくそくらえだ。いろんな個所のカットも意味不明。本来なら次第に盛り上がるようにすべきところ、最後の最後までだらだらして、唐突に突然映画上のピークを迎える。
観ているこちらには、盛り上がりについて行けず、空回りするだけだ。
ストレスだけが残る最低の映画。
高評価している人の気がしれない。
「だらだらと意味不明」 リンダ リンダ リンダ/ユーザーレビュー - Yahoo!映画
山下敦弘リンダリンダリンダ」では少女同士の関係性を画面造りで描いている。

韓国からの留学生であるペ・ドゥナと他の人物には当然距離感がある。
ところが同じバンドを組み同じ時間を過ごすうち距離がどんどん近くなる。
本来であればセリフで表現されるべき「アナタが好き」「嫌い」「仲がいい」「悪い」部分をセリフでは無く画面の構成に置き換えることでこの作品は描かれている。
だからアップは少なく、ロングショット(全景)を多用していて、複数の人物を同じ画面に配置しその画面内での距離や行動で様々な意味を表現してる。

もちろんそれを読み取れなくても映画は観れるし偉そうに文句も言える。
観ることに才能や知識は必要ない。
ただそういう映画文法は、この作品に限らず多かれ少なかれ常に使われている。

学園を舞台にしたとは思えないほど淡々とした物語で、若い子特有の躍動感はほとんど描かれない。学校生活にはあまりふれず、多くは放課後彼女たちが集まってこまごまと演奏の練習をしているような、そんなシーンが延々と続く。この恐るべき地味さは監督(山下敦弘)の作風だから、この監督のファン以外はキツかろう。似たようなシチュエーションで2時間近くやるわけだから、この手のムードが苦手な人には苦痛以外の何物でもない。

登場人物たちは、時折はさまれるちょっとした笑いのために不自然な演技を余儀なくされ、しかもそれがすべっているという悲惨さだ。たどたどしい日本語でがんばっているペ・ドゥナをはじめ、とても魅力的な女の子がそろっているのに、そうした個性を生かすタイプの監督ではないから、見た目と演出がまったくかみ合っていない。人物に共感もしにくい。

超映画批評『リンダ リンダ リンダ』20点(100点満点中)

映画を語るのも、センスや教養ではない。
誰であれ語ろうと思えば簡単に語れる。
スクリーンの前に二時間座って、あとは文句にそれらしい理屈をつければいい。


アップとロング

登場人物の顔を画面いっぱいに映すことを「アップ」と言い、画面を引いていき周囲の風景や登場人物の全身を映すことをロング(ショット)と言う。
アップで人物が近ければ視聴者・観客は登場人物に感情移入しやすい。
ロングショットは登場人物に感情移入しにくい分、世界や物語に意識が向く。

具体的に例えてみる。
松岡修造が画面いっぱいに映しだされるととても暑苦しい。
しかし画面が引いてビルの屋上で独り叫んでいるとすれば松岡修造単体の暑苦しさは薄れ、ビル屋上の閑散としたところでこのひとは何をやってるんだと周囲の環境と対比してみることが出来る。
このように考えればいい。


ドラマに「アップ」が増えてとてもウザく(暑苦しい)なった。
多分トレンディドラマあたりからだと思う。

トレンディ~というものはシナリオが弱い。
そこで役者をアップにしてキャラクターに感情移入をさせることで物語の弱さを回避する。
ところがアップを多用するため役者に徹底して秀美が求められることになる。
演技が上手くないが容認できるレベルで、しかもアップに耐えられる。
そういう役者がテレビドラマで重宝された。
トレンディ~にアップが多い理由はそのためだし、テレビドラマを観ていてやけにアップが多かったりアイドルが主人公だったりすると、この手の事情が背景にあったりする。


画面・カットには理由がある。
それを判らなくても映像は観れるし、おススメ映画まとめだのなんだのを参考にして過去の名作を観るのもいいが、まずは今日常観ているドラマや映画の画面づくりを意識して見てみると少し違って見えると思う。
少なくともツッコミどころ満載で無理解な勘違い批評を書かずに済む。
そこがいいんじゃない! みうらじゅんの映画批評大全2006-2009