「批判を批判するオレ格好いい」という風潮

※この記事は一部フィクションであり、 実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません、多分
Renegades
最近たまに「批判をするやつサイテー」という記事を見かける。
こう言うことを書くヤツに限って批判と批評の区別がついておらず、自分で「他人の批判」を批判しているウロボロスの蛇であることに気づかず、自分のしっぽを追ってグルグルと回っている。


批評と批判

批評と批判は違う。
悪口と批判とは違うしヘイトとも違う。
なのにその切り分けができない。

批評に関してはエスパー真美のお父さんのセリフが有名だが、

魔美のお父さんは画家で美術の先生。 
開いた個展を美術誌上でとある評論家に酷評されてしまい、カンカンに怒るところから始まります。 
魔美もその評論を読み、自分のことのように腹を立ててその評論家に会いに行きます。

「批評を取り消せ」という魔美に、イヤミな評論家は何処吹く風。 
「批評というものに情けも容赦も無用。飲んだくれて鼻歌交じりに描いても傑作は傑作、心血を注いでも駄作は駄作」 
と厳しいけれど尤もなことを言って魔美を突っぱねる。 
魔美はあまりの悔しさから、得意の超能力を使って報復をします。

 家に戻り、「悪い人には天罰がくだるのよ」 と当の評論家を嘲笑う魔美に、「悪い人っていうのはかわいそうだよ」 と父は嗜める。 
「だって、あんなひどい批評を書いたじゃない」 という魔美と父の会話が以下の通り。

「マミくん、それは違うぞ。 公表された作品については、見る人全員が自由に批評をする権利を持つ。 どんなにこきおろされたとしても、さまたげることはできないんだ。 それがいやなら誰にも見せないことだ」
「でも、さっきはカンカンに怒ってたくせに」

「評論家に批評の権利があれば、ぼくにだって怒る権利はある。 あいつはけなした! ぼくは怒った! それでこの一件はおしまい!」

批評される、ということ。 ~その2|Meet in the sunset

誰かの目に何かを晒せばそれは判断される。
判断し誰かにその判断結果を表明する行為が「批評」にあたる。
それは時にはほめ、時にはけなす。
どれもこれもよいなどとは言われない。
けなされるのが嫌なら鍵をかけてシコシコ自分だけのものにしておけばいい。


昔は自分の中にあるものを外部世界へ向けて発表・表明する閾値がとても高かった。
マンガや小説であれば入賞したり雑誌に載ったり出版されたりそういう既存の仕組みを経由しなければ広く表明することはできなかった。
ところが今はインターネットがある。
素人でもプロでも関係なく自分の考えや作品を広めることができる。


本物とニセモノの閾値

一般人が簡単に自分の考えや作品をアップロードできるし、誰にでもそれは読むことができる。
評論家の意見が希少なのは彼らが知識を持ち専門的であり既存の仕組みの中にいたからに他ならない。
今や評論家の価値は落ちた。

ネットの語り手を「エセ評論家」「評論家気取り」と揶揄したりするが、では評論家と「エセ評論家」「評論家気取り」の差はどこにあるんだろうか。
単に金を貰っているかいないかだろうか。
逆に金を貰っていない分、無償の「エセ評論家」「評論家気取り」の方が信頼できるかもしれない。

あるいは知識や教養か。
しかしネットの「エセ評論家」「評論家気取り」が評論家よりも知識や教養が劣るとどうして言い切れるのか。
エセ評論家」「評論家気取り」は、評論家より何がどれだけ劣るんだろうか。
その境目は何だろう。


誰かにとっては美しい世界

誰かが本を読み感想文を書いた。
それをアップロードすればそれはどんな中身であれ「批評」と等価だ。
自分はその作品を読み何を思ったか、どう考えたか。
これがいいか悪いか。
企業は主婦の意見を参考にし商品を開発し、アマゾンにはユーザーの意見が並び、iTunesにはアプリの感想やヘイトが並ぶ。
世界は実にマッチョだが、そういう側面も存在する。

「批判をするやつサイテー」という批判は、アマゾンのブックレビューやぐるナビなどすべての評価を否定してる。
「批判をするのは悪いことである」というのであればすべて褒めなければならない。
悪いものには目をつむり、いいものだけをほめたたえる。
いいね!とはてなスターだけでできあがったポジティブでクリーンなインターネット。
それが彼らの理想なんだろう。
しかし「批判をするやつサイテー」という批判は、他人への言論・思想統制も含んでいると気付かずに口にする。

彼らが住みたいのは、瑕を見ない、嫌なモノは見ない、笑顔があふれ、ダメなモノは無視し、悪口はどこにもない、どれもほめたたえられている世界。
とてもクリーンで美しく統制されたインターネットの姿。

Oh what a wonderful place
For you
Not me

Beautiful World/RageAgainstTheMachine


ブーメラン

「批判なんて誰でも出来る後出しジャンケンだ」という批判自体が後出しジャンケンだが、そのジャンケンが勝てる手でもなければそれは意味がない。
簡単だ、というのであれば論理を組み立て批評し、それを証明してみればいい。

ところがそういう幾つかの記事でいつも見かけるのは、
「批判するやつは格好が悪い」
「批判するやつは不幸だ」
「批判するやつは悪い」
「批判するやつは嫌い」

となぜか批判自体の是非や正誤ではなく、その行為自体を「格好悪い」「不幸だ」「悪だ」「嫌い」と感情論や心証に落とし込む。
批判するやつを批判するオレはカッコいい。
批判をしているヤツは間違っている、格好悪い。
正誤ではなく好き/嫌いで判断する。
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批判を批判するのに論理ではなく感情論に頼る。
これはおかしなことだ。
もし批判と言う行為そのものがおかしいというのであれば「何が論理的におかしいのか」をブーメラン承知でまず批評を批評するところから語ってみればいい。

コンテンツ→開示→批評→批判
コンテンツ→開示→批評→賞賛

コンテンツ→開示→ヘイト、悪口

批判は、批評の先にある。
なにかを誰かの目にさらす。
そしてそれがよいなら賞賛される。これはいいね、素晴らしい。
もちろん全員が全員ほめるわけではない。しかし概ね褒められればそれは賞賛だろう。
逆に中身に瑕があったり、おかしかったりすればそれを批判される。
批判されるのは、当たり前のことで批判する行為が「間違っている」わけではない。
間違っているのは、批判ではなくその晒した中身の方にある。

批評を経ずに論理的でなくけなす行為は悪口だったりヘイトだったりする。
そういう行為は、そのコンテンツの中身を鑑みないで貶める行為であって唾棄されるべきだろう。

批判を批判する、というのはその「批判の先が何か」「なぜ批判されているのか」を一切鑑みず行動自体を批判している。
単なる悪口と同一視している。
批判を批判する際、
「一度も罪を犯したことのない者が石を投げなさい」
というテンプレートが使われるが、テンプレートを使う主はこれまでに一度も批判をしたことがないのか。
大概ブーメランが額に突き刺さったままでそれを叫び、自分のことは棚に上げているのが愚かしい。


不毛な争い

ネットで議論()
この増田の文脈はどうでもいい。一部分を使う。
ネットで議論するのはバカバカしい。

議論になるのは知的レベルが違うか、価値観が違うか、だいたいどっちか。

知的レベルが違うなら言うまでもないんだが、価値観が違っても分かり合えるこれ幻想。

自己正当化したいんだろうね。私は理解してますよ~って顔で殴ってくるやつがほとんど。

ムダじゃん。一番良いのは、こいつと話してもムダだな、って奴はどんどん切ってくこと。

だってさ。論点ズレてる奴に反論したいと思う?

正しいから正しいとしか言わない奴と話す価値があると思う?

言い返す価値すら感じられてないんだな、って自覚した方が良いと思う。

「批判を批判するオレ格好いい」と叫ぶ人間にとっての正義は自分にある。
誰かから「お前のその正義おかしくね?」と批判されれば途端に「批判するお前は間違ってる!」と自分の正義に閉じこもる。
批判が正しいか間違っているか、ではない。
他人を批判する行為はよくない、という論拠の無い正論に閉じこもり思考停止する。
批判が自分に、あるいは自分の信じるもの・ひとに突き刺さるからその行為そのものを糾弾する。
しかしそれは論理ではない。


ここが多分フィクション

逆張りして誰かの批判をけなす割には、その根本となった事象をまともにも捉えておらず、いったい何が原因なのか?どのような批判がどの部分に向けて行われているのか?一体何が原因なのか?行われているのはヘイトなのか?批評か?批判なのか?という批判の矛先の見定めも出来ていない。
先入観で決めつけ、主語と認識が大きくずれているのに自分では正しいと思っている。
主体と客体、感情論と論理の切り分けも出来ていない、途中の論理展開がおかしい。それは敷衍できない。
テクストが読めてない。
後出しジャンケンの一番後ろで、自分は正しい正義を掲げているつもりになって批判を批判しテキストをアップロードする後出しジャンケンの最後尾。
SNSでは自分の意見を補強するために似たような記事を捜しRTしたり、過去の批判を批判する名言をRTして自分の自意識のポジションを確保する。
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もしも、そんなひとを見かけることがあれば、何を言おうが聞く耳もないし伝わらないだろうし、そっとタブを閉じてからいろいろ書いたり消したり、書きあげたものがガチガチすぎて公開をやめて下書きでお蔵入りにしたりするのでしょうね、きっと。
無駄なので、多分。フィクションですがね、えぇ。
だってさ。論点ズレてる奴に反論したいと思う?

正しいから正しいとしか言わない奴と話す価値があると思う?

批判するのって格好悪いという批判を批判するというクロスカウンター破りに対抗するトリプルクロスカウンターみたいな記事はこちらになります。
主語は、すべてフィクションなので読み違えしないようにね☆