もしもブログ記事の行間を補てんする機能があったら

このブログ、今週はおかげさまで広く読まれているようです。
いいんだか悪いんだかよく判りませんが。
広く読まれるということは色々な人間の目に触れるということでもあり、同じ記事にも拘らずどんな風に読み取るかは読み手によって異なる。
ウチに言及したり、似た感じに書いている幾つかの記事を読んだんですが、なぜだか
「こんな風に批判している」
「こんな風に悪いと言ってる」
という感じで解釈をされている。
ところが被言及記事には断定的なことは書いておらず、伝聞や第三者視点や実際に過去にあった事象などを引っ張って書いているって言うのにそれらがすべて
「こんな風に批判している」
に脳内で改竄されてしまっているんだから驚く。
勝手なバイアス効果。


○○がいい!
○○はダメだ!
○○をやめろ!
○○は間違ってる!

なんて書かない。
なのにそう書いてあると読んでしまう。

読めないひとというのは、きっと「そう読みたいひと」なんだろう。
そうであって欲しいからそういう風に読む。
そうでないと困るからそうやって歪める。

記事にない言葉、省略されている言葉を、読むときに補填するわけだけれど、それは人によって異なる。
しかし、それらが全て足された記事は回りくどくなりやすいし書きづらい。

文章というのは読むのも書くのも難しいものだ。




※行間補填機能オン


このブログ、今週はおかげさまで(色々な方に)広く読まれているようです。
(このブログにとって)いいんだか悪いんだか(今のところ)よく判りませんが。
(このブログが)広く読まれるということは色々な人間の目に(このブログが)触れるということでもあり、(このブログの)同じ記事にも拘らず(このブログの同じ記事を)どんな風に読み取るかは(このブログの)読み手によって(理解が)異なる。
ウチに(ブログやコメントで)言及したり、(このブログと)似た感じに書いている幾つかの(ブログの)記事を読んだんですが、(言及先ブログでは)なぜだか
(このブログが)こんな風に批判している」
(このブログが)こんな風に悪いと言ってる」
という感じで(言及先ブログではこのブログの記事を)解釈をされている。
ところが(このブログの)被言及記事には(文章表現として)断定的なことは書いておらず、(記事の書き方は)伝聞や(ネットで散見する)第三者視点や(ネット上で行われ、その様子を見かけた)実際に過去にあった事象などを(インターネットの他の場所から)引っ張って(このブログに)書いているって言うのにそれら(考えて書かれているはずのこのブログの記事)がすべて
(このブログが)こんな風に批判している」
(言及先ブログの書き手に)脳内で(記事の中身が原文にない方向に)改竄されてしまっているんだから(私は)驚く。
(言及先ブログの書き手による)勝手なバイアス効果(が起こってしまっているのかも知れない)


○○がいい!
○○はダメだ!
○○をやめろ!
○○は間違ってる!

なんて(このブログでは)書かない。
なのに(このブログの記事には)そう(断定的な批判が)書いてあると(一部の読み手や書き手は勝手に歪めて)読んでしまう。

(このブログ記事を歪めて)読めないひとというのは、きっと「(このブログ記事を)そう(自分の思うように歪めて)読みたいひと」なんだろう。
(このブログ記事が)そうであって欲しい(と、一部の読み手が思う)からそういう風に(一部の読み手は)読む。
(このブログ記事が)そうでないと(一部の読み手が)困るからそうやって(一部の読み手は)歪める。

(ブログの)記事にない言葉、(ブログの記事から)省略されている言葉を、読むときに(読み手が言葉やニュアンスを行間に)補填するわけだけれど、それ(らの読み手が読むとき行間に足してしまう言葉やニュアンスと言ったもの)は人によって異なる。
しかし、それら(省略されている言葉やニュアンス)が全て足された記事は(読み手にとって)回りくどくなりやすいし(書き手にとって)書きづらい。

文章というのは(読み手として)読むのも(書き手として)書くのも難しいものだ(と思いました。では、また来週)


心を操る文章術 (新潮新書)
清水 義範
新潮社
売り上げランキング: 6,931