クリーンな「ドラゴンボール」とダーティな「グラップラー刃牙」

DRAGON BALL カラー版 孫悟空修業編 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
※さっくりとした小ネタ
 

ドラゴンボールのクリーンさ

今日から期間限定で電子書籍版「グラップラー刃牙」シリーズが無料で読み放題(BOOKLIVE!とかニコニコ静画とかで)になってる。
久々読み返しているとアクがとても強くて面白いが濃い。
ドラゴンボールの読中、読後感とは全く違う。

ドラゴンボールでのパワー表現はすごい。
過剰なくらいにディフォルメされてる。なにせかめはめ波で月を破壊できる。
拳銃やバズーカすら効かない連中がバンバン出てくる。
そりゃあ打撃にもすさまじい威力があるんでしょう。
ところがドラゴンボールの戦いでは滅多に身体が欠損しない。
欠損してもその時は切り口がキレイに削れる。まるで粘土みたいに。
だから痛くない。
胸に穴が空いても即死しない。
なにせ宇宙人だから。
クリリンが死ぬときも跡形なく弾け飛んだ。
手首の一つも、眼球の一個すら落ちない。


刃牙での表現は痛い。
どうして痛いかといえば皮膚が剥がれ焼けただれ、骨が折れ、神経がむきだしになり千切れ、筋肉が裂け血が飛び散る。
人間の皮膚の下には何があるのか。
その傷口を見て、それを想像してしまうから痛そうに感じる。
無くなった目玉は無くなったままだし、耳をちぎられれば無くなる。
腕を切られれば片手になる。
当たり前、現実的なスケール感(愚地独歩は手首くっ付いてましたが)。
花山薫に至っては、頬が吹き飛んで歯がむきだしになった状態でも戦う。
骨が皮膚から突き出していても戦う。
傷の多さがダメージの表現とニアイコールになってる。
身体がボロボロになるまで戦い、どんどん身体が欠損する。
だから読んでいて痛い。
ドラゴンボールは宇宙人同士の戦い、SFで、刃牙も「一国の軍隊と戦える男」「氷河期の氷から蘇った原初人類」が出てくるSFなんだけれども、表現の違いが印象の差につながる。


ドラゴンボールにしろワンピースにしろ、ヤンキーが根本にある。
だから「戦いは一対一で正々堂々。素手喧嘩(ステゴロ)で」
これが基本になる。
武器や反則(人質をとる、1vs多数、女子供に手を出す)は卑怯で汚いやり口。
だから悟空はかめはめ波を出せる。
武器は使ってない。あれは「気」だ。
反則じゃない、武器じゃない。
素手喧嘩だけど、エネルギーが出せるんだから仕方ない。
ゴムゴムの実を食べてるから素手でも腕が伸びる。
だから正々堂々だし、敵は汚いから手の鉤爪に毒を塗ったりする。

刃牙では「使って構わないが勝てない」ところに帰結させる。
ダーティでも構わない。
武器を使っても最強にはなれない。
何せ最強は、素手で軍隊を壊滅させることのできる範馬勇次郎
刃牙の世界で一番強いのは「拳」。
粉じん爆発で道場を爆破しても愚地独歩の一撃には負ける。
正々堂々とした空手の一撃が勝利する。


強さ=ウンチク

魁!!男塾 第1巻
魁!!男塾 第1巻
posted with amazlet at 14.03.18
サード・ライン (2012-10-13)
余談だが、男塾には「民明書房刊」としてさまざまな虚構のウンチクが出てくる。
このウンチクが劇中に登場するネタの補強として機能する。
どんなにアホらしいものでも「民明書房」というよくわからない歴史のありそうな出版社の裏付けがある、という説得力(説得力を越えてネタと化してますが)。
テラフォーマーズ」でいえば虫のウンチクとか、相手(ゴキブリ、人間)の破壊の度合いによって強さを表現する。
筋肉がどーのこーのはゴキブリ側では多少表現されてるが、能力のウンチク差で強さが決まる。刃牙でも様々なエピソードをはさむことで(軍隊を出さないと倒せない巨象相手に素手で勝った範馬勇次郎だとか)強さを補強して伝える。
「こんなエピソードがあるくらい強いんだよ」
という敵に勝つことで強さを表現する。
画ではなくて知識や物語で強さを充填している。

ところがドラゴンボールにはそれがない。
だから月を吹き飛ばし、スカウターという数字で表現し、変身することで強さが増したことを表現する。
ドラゴンボールにはウンチクを出そうにもスケールが大きすぎて劇中難しい。
だからすべて「気」「サイヤ人」というところに強さが帰結するし、それより上は「界王拳」「元気玉」「フュージョン」とかいうつけ足しで返信しなくても強さが増すという補強をする。

古典的な手法、という意味では修業は古典の手法も入れてた。
修業すると一段階強くなる。
キン肉マンが特訓をしてキン肉ドライバーを編み出すエピソードは「キン肉マンがこれまでよりも強くなった」という理由づけになってたし、悟空も精神と時の部屋カリン塔で修行して強くなってた。


筋肉も強さを表現する一環。
ドラゴンボールなら子供の頃の悟空より、大人の悟空は明らかに筋肉質になってる。
考えてみれば子供のころから強い悟空が筋肉質でないのに、大人になって急に筋肉質になるのもおかしな話。
「子供で身体が小さく筋肉がないのに強い」
この理屈はあられちゃんや、更にさかのぼるなら鉄腕アトム辺りになるのか。

それと比較して敵は筋肉が増えると強くなる。
フリーザにしろ変身して大きくムキムキになる=強い。
魔神ブウにしろ変身すると引き締まり筋肉が増す。
“オーガ”範馬勇次郎とビスケット・オリバなんてとても分かりやすく筋肉量が多い=強い。
筋肉を越えて強さを表現する場合、刃牙の場合は「技術」や「武器・暗器」になる。
渋川剛気の合気とか柳龍光の毒手とかガイアの自然闘法とか。


まとめ

話を戻して、ドラゴンボールというのは終始クリーンに描かれてる。
殴れば痛いし、テーブルの角に足の小指をぶつければそれだけで涙が出るくらい痛い。
ところがドラゴンボールでは岩山を貫通するくらい殴られても、皮膚がめくれ骨が突き出すこともない。
子どもがドラゴンボールを見てかめはめ波を出そうとするのはカワイイが、ジャック・ハンマーの真似をして噛みついて肉を食いちぎろうとしたらやめさせるだろう。
本来ならかめはめ波の威力はジャック・ハンマーの噛みつきどころじゃない。
しかしドラゴンボールはすべてがディフォルメされたモラトリアムの世界で、あのセカイの中のパラダイムだからこそ強さも通用する。
そして表現もクリーンで柔らかく、遥かに現実的でなくウンチクがないから読者が文字部分でペースが落ちることもない。
血肉が多く描かれれば(掲載紙的にも)敷居がその分高くなるし、感覚が現実に近づく。

刃牙もディフォルメされた世界だがその表現は現実と地続きの価値観で構成されているから痛々しく血肉を感じる。
だからって読みづらいということもないけれど、でも誰にでも勧められるというモノでもない。
さて、急いで読まないと…。


この表紙のアクの強さ。
範馬刃牙(27) (少年チャンピオン・コミックス)