「文章力」とはどういうものか

伝わる・揺さぶる! 文章を書く (PHP新書)
※似たような事は書いてる
「文章力」という言葉をよく見かける。
文章の書き方について学んだこと、文章力の向上と文章作成の基本 - 生きる力と考える力!などのブログ
例えばこの記事。
数をこなしキーコンセプトを3つ出して繋げ、レジュメを作る。
ここでは「文章構成」のことを「文章力」と呼んでいる。
それは間違いではないけれど、ではこれが文章力か?といえば違う気がする。


「ブログでは読者に対してどのように書くべきであるのか?」
SEO初心者系(ということで稼ぐのが目的の)ブログ等で出てくる定番HOW TO。
それもすべて
「読者はブログは上から下に読んでいくので、まずは文の頭で~」
「まずはクリックさせるため記事は疑問形で終わるのがよい」

これらの小手先のテンプレートで身につくのは「定番の文型の作り方」であって、それは文章力とは違う気がする。

幾らSEOを学んだって短編小説すら書けない。
ところがSEO系ブログの言うところは「個性を出すことです」「読ませる文章とは?」などとのたまう。
「コンテンツを向上させることが一番のSEOなのです」
そういう判った風で語りながらも価値観がズレているのが気持ち悪いわけです。


先日どこぞで「よいコンテンツはバズるのだ」といった趣旨の記事が挙がっていて、また斜め方向への放言だったのでスルーしましたが、バズる(広く拡散される、瞬間的に多く読まれる、話題になる)ということとコンテンツの「良さ」は必ずしもイコールではないんですよね。
例えば「まとめ」
まとめ記事はツール(道具)としてはよく出来ている。
ひとつの記事で多くの情報が時系列で判ったり、さまざまなものをまとめてある。
ところがそれは「ツール」としてはよくても、文章としては下の下で他人のふんどしを借りてるに過ぎない。
ツールとしての文章は取扱説明書と同じ。
なにかの事象に対してそれらの情報を簡潔に箇条書きでまとめてあるだけで、そこには欠片の文章力も構成力も必要ない。
一行に行程度のコメントを付ければできあがる代物。
「(ツールとして)よいからバズるのだ」
とも必ずしも言えない。
バカバカしい まとめサイトの記事がさんざバズってる例は枚挙にいとまがない。


「文章力」という大枠はさまざまなものを含む。
あるひとにとってそれは「端整な文章」を作り上げるためのHOWTO。
あるひとには「いかに商品を売るか」のためのHOWTOだろう。
あるひとにとっては「文章構成」のことだし、あるひとには「個性を出すため」のHOWTO。
またあるひとにとっては「文章力」というテーマで記事を書くためのキーワード。


「個性のある文章を書くためには」
「読みやすい文章を書くためには」
「バズらせるための記事とは何か」
「最後まで読んでもらうための記事の構成とは」
「面白さを感じさせる文章とは」

どれもそれぞれ違う。
自分が求めている「文章力」とはそもそも何なんだろうか。
それが判らないまま無暗やたらと「文章力」を探したところで、そんなものは転がってない。
転がっていて手に入る文章力なんてたかが知れてる。
それで記事が大ヒットしアルファブロガーになったり、小説を出して入選してヒット作家になれるならこの世界にアルファブロガーも、人気ライターも、大作家ももっとごろごろ溢れてる。

自分が求めるモノは何なんだろうか。
ブログを書いたりSEO対策をしたりして一体何がしたいのか。
人気者になりたいのか、金を稼ぎたいのか、ただただ多くに読ませたいのか、一部の人間に熟読して欲しいのか。
有名になりたいのか、物語を作りたいのか、まとめをやりたいのか、アフィリエイトか。
まずそれがありきで、その次に来るのが
「ではそれを成すために必要な…自分に欠けているものを補充するためには」
という方法論で、そこで初めて「文章力」が出てくる。
それが必要な人とそうでない人もいるというのに。


思うのだけれど「文章力」は、「モテたい」とか「やせたい」みたいな漠然とした概念(欲求)でだから求めても尽きることがなくて、そういう欲求に付け込む商売というのはやっぱりいつの時代も無くならないのかも知れない。
大した文章も書けないウチが偉そうに言っても説得力はないが、少なくとも「金を稼ぐために」と言うひとなら転がってるHOWTOでもセミナーでもいいけれど、「自己表現」として記事を書いているひとには、良くても悪くても多く記事を読んで、多く書くしかないんじゃないのかなーと思うのだけれど。
そうすれば自分なりの「こんな風に書きたい」というモノが出てくるのではないのかな、と愚考する次第でございます。

久々の長文は、こんなものを手始めとし。