できるだけ何も考えずに生きて行きたい

※この記事が何分で読めるか知りませんが、とりま頑張れ(頑張っても商品はないけど)
※お馴染みキャリアポルノ的考察記事なので「あぁ、いつもの」と思ってください
自己啓発大好きな人は読まなくていいですよ、とっととタブを閉じましょう

究極のドラッカー (角川oneテーマ21)

「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」という記事に感銘を受けました - 僭越ながら
越ながら”さん記事への直接言及でもないんだけれど。

現代人はとても忙しい、のだそうで、
だから誰しもできるだけ考えずに生きたい、
できるだけ責任を取らずに生きたい
できるだけ判断せずに生きたい、という話。


※めんどくさい方は、以下まとめまで飛ばしても何となくわかった感じになります

キュレーター

代人はとても忙しい、のだそうだ。
真偽は知らないけれど。
ネットワークを日々流れる情報はとても多くそれをさばくのは大変。
Google Reader終了間際、情報効率化こそを至上命題とするライフハックマンセーの面々は口々に
RSSで情報を垂れ流しなんて無駄の極み。時代遅れだぜ、ファッキンアスホール」
「今の時代はストック型メディアじゃなくってフロー型だぜ、ブルシット☆」

とのたまい、FacebookTwitterなどのフロー型の情報メディアに移行した。

キュレーターだのキュレーションだの言われる情報のフィルター。
要は「情報通で有名な誰かが情報を拡散してそのおこぼれにあずかる」ことをそれっぽく格好よく言ってみた言葉(英語だとカッコいいでしょ?みたいな)。
その情報は、ただの情報ではなく
「あの有名な○○さんが選んだ情報」
だから価値がある、と。

最近バッシングされるGunosyにしろそうだけれど、情報の「取捨選択」というフィルターを機械化してアルゴリズムなり、人力で権威者なりに丸投げすることで効率化を計ってるんだ、と。
はてなのホットエントリーにしろそう。
多くブックマークされる情報=今話題の情報、という目安。

ところがそのフィルターは絶対的でもない。
アルゴリズムにはバグもあり、流すべきでないアフィ記事を流しもする。
それで激おこの某ブロガーもいましたっけ。
キュレーターであれば、○○さんのセンスによって偏るし、デマの拡散源になることも多い。
デマ拡散例は枚挙にいとまがない。
はてなで言えば、よい記事も悪くて燃えてる記事もどちらもホッテントリ
よい情報の目安ではなくあくまで「話題」の情報。


キャリアポルノ

代人はとても忙しい、のだそうだ。
だから多い情報を効率的に吸収したい。
そこで喜ばれるのが自己啓発書などのいわゆるキャリアポルノと呼ばれる本。

先日も増田に「読書として自己啓発書を100冊読んで」などと言う書き込みがあったが、自己啓発書というのは取扱説明書に近い。

例えば物語であればその裏に込められたテーマやメッセージ、それぞれの描写などを読み解く作業が必要になる。
著者が脳内の情報を文字にエンコードし書籍に記す。
読者は、文字をデコードし、脳内に著者の脳内で描かれた物語を再構築する。
その「デコード作業」を読書と呼ぶ。
書かれた文字をただ読んでいるのは、読書ではない。
電話帳(死語)や取扱説明書を読むことを読書とは言わないように。

キャリアポルノは判りやすい。
「○○は××するべきである」
「仕事ができる男は○○をしているのだ」
「○○を××と捉えることで業務が効率的に運ぶ」
そこにデコード作業は必要ない。
書かれた文字をそのまま捉えればそれでいい。
取扱説明書を読めばその機能がわかるのと同じ。
しかし機能をわかっても、機能を使わないなら意味がない。
キャリアポルノを読めば読むほど「○○は××するべきである」と言う知識は増える。
だがその一つ一つを実践せずにわかっているだけで、次のキャリアポルノに手を出す。

ドラッカーの考えは判った。
それを実践してドラッカー並みに考えられればそれで充分な筈なのに。
ドラッカーの考えをマスターすれば資本主義社会で大成功じゃないの?
なのに次に「できる男は長財布を使う」なんて本を読み始める。


まとめサイト

代人はとても忙しい、のだそうだ。
だからまとめサイトが重宝される。

トップには何かのニュース記事とそのリンク。
その下には、それに対する恣意的に選ばれた書き込みがまとめてある。
記事一つ読めばその事象とそれに対する世間(2ch)の考えが理解できる。

自分で考える必要がない。
みんながどんな風に考えているかが書いてある(それが恣意的だろうと)。
だからまとめサイトTwitterなどのフロー型メディアで広く拡散される。
読み込むことなく「こんな意見が出ているからみんなこれには反対なんだろう」というざっくりした印象で拡散する。
あるいはタイトルだけで拡散する。

サイトのまとめ主が右なら右の情報になり、偏った情報が拡散される。
まとめる、ということはその人物が何を取捨選択し、どのように見せたいのか、が必ず反映される。
まとめの大半にはさまざまな情報の偏りがある。

中身がデマでも、ソースを確認せずに情報が拡散される。
誰も考えない。
書いてあるからそれが正しい。
みんながそう書いているからそうなんだろう。

みんな考えているんだろうから、オレは考えなくていい。


考えないで生きるということ

イノセンス アブソリュート・エディション [Blu-ray]
代人はとても忙しい、のだそうだ。
だからできるだけ考えたくない。
人間は、オートマチックに出来てる。

押井:「やっぱり同じようなこと考えてるんだこの人は」ってさ。要するに「自分はほとんど人形として生きてます」っていうさ。自分を自分と思って、要するに「ここにもうひとりの自分がいる瞬間というのは、24時間のなかでたかだか1時間か2時間にすぎませんよ」というさ。あとは要するに習慣だけで動いてる。ものを考えて電車に乗って、職場に行って、働いて帰ってきてというさ。「ものを考えていたらそんなことできるわけないですよ」というさ。身体が動いてるだけで自分は置き去りになってるだけだよというさ。「自分を自分として意識してる時間なんてたかだか1日に2時間か3時間しかすぎないのだ」というさ。
(中略)
押井:人間とはだから脳に特化した生き物なんだとか、脳に特化した獣であるというだけだよ。脳だって胃とか肝臓とか筋肉と同じでさ、要するにデバイスのひとつにしかすぎないんでさ。じゃあ「人間の本質ってなんだ。脳とか神経系以外にじゃあなにが人間を支配してるんだ」というさ。僕に言わせればそれは具体的な肉体のことじゃない。自分の身体をどういうふうに意識化しているかというさ、要するに言ってみれば言葉なんだよね。人間を人間足らしめているのは、要するに言葉なんであってさ。その言葉が文字から獲得した言葉なのか、自分の身体から獲得した言葉なのかというさ、その違いがあるだけであってさ。

○紫の豚日記○ スタジオジブリと養老孟司 『唯脳論』を押井守が映画化?

テレビのリモコンがどこかに行ってしまう、なんてことがあるがリモコンを置く瞬間は意識しても次の瞬間に忘れる。
キャッシュのようなもの。
記憶に残らないからこそ脳はオーバーフローしない。
よけいな情報はいらない。必要なものを必要なだけ。

言葉はそれを超える。
時間や空間関係なくそこに残り誰かにその瞬間の思考・感情を伝える。
文字、言葉として自分の内にあるものをエンコードする。
だから言葉は大事だしエホバは下りて彼らの言葉を乱し、だから人と人は争う
みんながニュータイプで言語を越えて思考で繋がれば、だから平和なんだろう。
無理ならイデの力を発動させりゃいいだろうけれど。


簡易化のためのパラメーター

代人はとても忙しい、のだそうだ。
出来るだけ考えたくない。
そこで情報そのものではなくそれに付随するタグ、重みで判断する。
権威、有名人、感情、思い込み、肩書、経歴。
炎上、釣り、コメント、情報操作、思想、多数決、宗教、自己啓発
さまざまな情報のパラメーターに左右され、自分で考えずにひとは判断を行う。
ひとつひとつの情報や事物、事象を隅々まで考察して賛美なり批判なりなんてしてない。

ひとは基本何も考えずに生きて、どこか一部だけで考える。

本来、知の根幹を養うためには、学校での教育が不可欠です。「こんな勉強がなんの役に立つのか?」という疑問を封印し、社会のニーズから隔絶された場所に身を置く経験こそが、「考える力」を養うのです。あのホリエモンも、収監中に1000冊の本を読んだそうですが、そのように社会から隔離された環境でこそ「知の涵養」は行われるべきです。

http://sclo.hatenablog.com/entry/2014/03/26/210654

それは確かにその通りなのだが、この意見は「知識」「教養」「思考」が切り分けられていない。

答えが明確に書かれたキャリアポルノで得られるのは「知識」というノウハウ。
実戦的で判りやすいから重宝されるしわかった気になれる。

「知の根幹を養う」というのは「教養」だ。
教養は実践的ではないが、過去のアーカイヴからひとが学んだ法則や理論が凝縮されている。
しかしその大半は人生の半ばを過ぎた人間にとってはもはや必要のないものが多い。
だからお父さん方はお手軽に「知識」が得られるファーストフードのようなキャリアポルノを読み漁り満たされない人生を拡充しようとする。

「思考」と言うのはキャリアポルノでは身につかない。
キャリアポルノで書かれる「○○は××するべきである」を生み出すための思索が「思考」であって、それが行えるならキャリアポルノは必要ない。
何かしらについて考え自分自身で答えを出す。
それには学校も必要ないし時間も必要ない。


まとめ

クリティカル・シンキング集中講座 「問題解決力」を短期間でマスター
代人はとても忙しい、のだそうだ。
出来るだけ考えたくない。
でも「考えるか否か」
考えずに判断できるものを、あえて考えることが思考に繋がる。

最近よく言われる「クリティカルシンキング(批判的思考)」のように、なにかしら「○○は××するべきである」というものを見かけたら書かれている通りに「なるほど確かにその通りだ!」と考えるのではなく「本当にそうだろうか?」と考えひとつひとつを検証する。
以下、具体例でやってみると


「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」という発想自体は言い方を変えれば「無駄でも体系だった学習こそがすばらしいのだ」という原理主義的発想なので考えとしては古典的だろうか…。

考えもなしに行動することの恐ろしさ

http://sclo.hatenablog.com/entry/2014/03/26/210654

と言うが、人間はほとんどの時間考えずに行動を行う。慣習やテンプレートを使い判断し決断している。
考えるか考えないかの閾値はひとによって違うが、その「考えるべき」ことを判断するその判断能力こそが問われている気がするし、果たしてそれに系統だった学習による教養が必用かどうかは疑問が残るな……。

といった具合だろうか。
人間一人の知見なんてたかが知れてるし、資本主義のパラダイムの中で成功した人間の方法論を学んだからって自分も成功できるなんて幻想を追い求めて自己啓発書を読み漁るのは憐れ。
両手を広げる分しかモノはつかめないし、半径数メートルの世界こそが自分にとっての世界でしかない。

とまれ自分が得た情報を自分で判断・思考し納得する。
その程度をできもしないなら幾ら経済の巨人の名言だろうが、天才哲学者の教えだろうが役立たないだろう。
自己啓発書を読んで成功できるなら自己啓発書の編集者は皆大成功している。
……あぁ、自己啓発書を買う方々によって懐が潤ってはいるか。
それは「SEOで簡単に金儲け」の方法論を唱えるピラミッドのてっぺんだけが儲かるのと同じ仕組みだけれど。

ま、できるだけ何も考えずに生きて行きたいね。
言われたことそのまま鵜呑みにするのは楽だもの。


おまけ

なみにだけれど、“僭越ながら”さんが褒めてる芦田宏直氏って
これとか




この芦田宏直氏ですよね。
あら懐かしい。

仮に何かしらの「いいこと」を言ったとしてその「言葉」を判断するのはその「言葉自体」なのか、それともそれを「言った人そのものも含める」のか「他での発言なども含める」のか。
どう判断するかで捉え方が全く違ってきますね。

私は人間ができてないのでこーいう方は「オマエが手荷物とジャケットを置いてシロップ入れてストロー自分で刺せや」と思うだけですけど。