飛 浩隆「グラン・ヴァカンス 廃園の天使 I」

グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ

「いちど観てみたいわ、春を。ここには夏しかないものね」 ぼくは柔らかい春の雨を想像した。美しく残酷な夏の終わりに―― 日本SF大賞受賞作家の初長篇、待望の電子書籍化。仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の区界〉。南欧の港町を模したそこでは、ゲストである人間の訪問が途絶えてから1000年、取り残されたAIたちが永遠に続く夏を過ごしていた。だが、それは突如として終焉のときを迎える。謎の存在〈蜘蛛〉の大群が、街のすべてを無化しはじめたのだ。わずかに生き残ったAIたちの、絶望にみちた一夜の攻防戦が幕を開ける――仮想と現実の闘争を描く〈廃園の天使〉シリーズ第1作。

女性と「ターミネーター2」を観ていたときのこと。
シュワルツェネッガー扮するT-800が自身で自身を修理すべく腕を「剥く」場面がある。
人間らしく見えるT-800は機械。
腕の肉を「剥く」とシリンダーなどで出来た骨格が露わになる。
その「剥く」場面を観て女性が「痛そう」と言った。

 



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この飛 浩隆「グラン・ヴァカンス 廃園の天使 I」にはAIが登場する。
世界は、すべてバーチャルにプログラミングされた世界で出てくるのはすべてAI……人工知能。
だが彼らAIにも疑似的に苦痛が与えられている(なぜか、というのは作品の根幹に繋がる)。
感情や苦痛といった人間を成す人間らしい要素が与えられたAIの住む「人が訪れることがなくなったリゾート地<夏の区画>」
そこに謎の敵が現れ、AIらは自分たちと<夏の区画>を守るべく戦う、というのがストーリー。

AIらは人間ではなく実態もないプログラムの集積。
しかしそんな彼らがより残酷に(そういう描写で)苦痛を受け、その苦痛を感じる(小説に表現する)描写に読者は、AIらに感情移入する。
苦しい、つらい、痛い、きつい、折れる、きしむ、砕ける、溶ける、弾ける、つぶされる。
小説の中の人間と機械の差は、ほとんどない。
作者がそれを読者に感じさせようと企み、機械に感情移入を促せばそれは容易に行える。


Spike Jonze Ikea ad - YouTube
スパイク・ジョンズが撮ったIKEAのADフィルム。
これまで大切に使われてきたスタンド。それが捨てられ、雨に打たれる。
部屋には代わりに新しいスタンドが置かれ、光を放っている。
それを雨に打たれ路上から見上げる古びたスタンド。
しかしそこに男が出てきて
「スタンドに感情があるわけないだろ。電気スタンドに同情なんてバカなの?新しいものがいいに決まってるじゃないか」
などと言う。
すべてが演出。
人間は悲しげな音楽やカメラワーク、シチュエーションによって感情移入する。
誰も道に落ちているゴミを見て「かわいそう」とは思わない。
鼻をかんで捨てられているティッシュペーパーを見て「なんてかわいそうなティッシュなんだろう」と涙を流すひとはかなり変わってるだろう。
スタンドも捨てられればただのゴミ。
ただ演出によってそれをかわいそうに思わせたにすぎない。
ターミネーターの腕は、「剥いて」も痛くなんてない。


人間のようなAIが、人間のように振る舞い、苦しみ、戦い、傷つく。
人の感情と感覚をエミュレートしたAIらにとっては虚構の空間の苦痛は現実のもの。
感情、感覚、自我をエミュレートできるのであれば、そこに擬似的ではなく魂は存在するのか。

<夏の区画>に隠された秘密、それぞれのキャラクターの奥に秘めた影。
謎の敵に蹂躙され残虐に残酷に虐殺されグロテスクに積みあがるデジタルで虚構の苦痛。

「廃園の天使」シリーズの1作目なのだそうだけれど2作目の長編はいつになるんだろうか(小川一水氏どころじゃないくらいの遅筆)。
次は「ラギッド・ガール」を読んでますが「グラン・ヴァカンス」を補完する短編集なのですよね。

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