飛 浩隆「ラギッド・ガール 廃園の天使Ⅱ」

ラギッド・ガール 廃園の天使Ⅱ

人間の情報的似姿を官能素空間に送りこむという画期的な技術によって開設された仮想リゾート“数値海岸”。その技術的/精神的基盤には、直感像的全身感覚をもつ一人の醜い女の存在があった―“数値海岸”の開発秘話たる表題作、人間の訪問が途絶えた“大途絶”の真相を描く「魔述師」など全5篇を収録。『グラン・ヴァカンス』の数多の謎を明らかにし、現実と仮想の新たなる相克を準備する、待望のシリーズ第2章。

 



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廃園の天使シリーズ2巻目は短編集。
それにしてもKindleで44%オフの504円って、いつの間にセール……。
円城塔なんかも46%オフになっとるでわないか。
なんという……。
(河出「帰って来たヒトラー」が41%オフなんで積読覚悟で上下巻購入した)


第一巻「グランヴァカンス」が仮想リゾート”数値海岸”に住むAI視点の敵の侵略と戦いの物語だったんだけれども、この「ラギッド・ガール」はその数値海岸の成り立ちや、グランドダウンと呼ばれる仮想リゾート”数値海岸”が孤立した理由、そして「グランヴァカンス」に恐るべき敵として登場したランゴーニの詳細な背景が描かれる。
この二冊によって仮想リゾート”数値海岸”の欠けたピースがかなり埋まり、どうして異形の仮想リゾートが成立したのか、「グランヴァカンス」での絶望的なカタストロフの意味が少しわかるようになってる。

「私、思い出したの。『コレクター』を読んだときのことを」
(中略)
「私が本をひらくまでは、ミランダは紙に印刷されたただの活字。そのままにしておけば彼女は死ぬこともなかったわ。うかつにも私が読んだりしたばっかりに、彼女は”生きた”」
「”生きた”?」
「そう。本を読んでいるあいだじゅう、たしかにミランダは生きていたわ。私の中でね。でも、読み進めることで、どうしようもなく、私はじりじりと彼女を死に追いやっていくの。あんなに聡明ですてきな子なのに」

SF読みとしては、やはり飛 浩隆氏の”数値海岸”という発明の素晴らしさか。
素晴らしい発明であり虚構空間のリゾート”数値海岸”は、しかしその中に限りなくひとに近いAI(と、そこをリゾートとして過ごす人間の情報的似姿)が存在することで問題を内包してしまう。
”数値海岸”が生まれた時点で病的な感じを持っているのは、現行のインターネットが最新鋭の技術やアルゴリズムを使い作られているのにそこに日々書き込まれる言葉や行為は俗っぽく人間らしいものばかりだと言うのに近い。

どれだけ洗練された技術であれ、人間は限りなく俗っぽく「人間らしく」しか使えない。
ネットには様々な可能性がある。
なのに人はPV稼ぎだ、検索アルゴリズムを使って儲けるSEOだ、情報商材だ、自己啓発だ、とバカバカしく騒ぐ。
最新鋭の技術や機器は誰かの目先の欲望を満たすためにしか使われない。

先日書いた某記事はこの短編集の「クローゼット」を読んで書いた記事です。
そのものだったもんですから。

不確定性原理では、よく鉛のハコに入った猫の話が出てくる。
毒薬と猫をハコに入れフタを閉じると、ハコの中で猫が生きているか死んでいるかはハコを開くまで決まっていない。
生きている状態と死んでいる状態が両方存在しているコペンハーゲン解釈。
そしてハコを開けた瞬間に「生か死か」どちらかに収斂する。

小説を読んでいない時点で、その本に書かれた人物らはまだ生きても死んでもいない。
誰かがその本を読み、脳の中で再現をさせたそのとき、本の登場人物らは苦しみもがき笑い泣き生きて死ぬ。
隣の家の少女も、隅の老人も。
ホームズも、本を読むまでライヘンバッハの滝に落ちてはいない。
誰かが読み、その誰かが殺す。
誰かが読むことで食人族が襲いかかり、ハルヒは消え、魔法少女は殺しあう。

だとすれば、グランドダウンによってこの誰も訪れることのない”数値海岸”の運命を決めるのも、また読者ということになる。
劇中で人間が数値海岸を訪れることはないのだしAIらの運命は定まっていない。
鉛のハコの中のAIの運命は決まっていないけれど、続刊が出ればまた読んで、また運命を決めてしまうんだろう。読者が、読めば読むほどAIは苦しきもがき傷つき苦痛に喘ぐ。
それを解ったうえで読む。
”数値海岸”のAIらを歪んだ娯楽として使う人間らを蔑んで考えてしまうが、読者だってその苦しむ姿を読んで再現してしまうのだから作中の人間らと変わらないのかもしれない。

そういうメタな視点を思わせるのが作者の意図なのかもしれないけれど。
AIらには申し訳ないが、次巻が楽しみ。

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