さやわか「一〇年代文化論」で考えたゆるキャラとももいろクロ―バーZの残念さ

一〇年代文化論 (星海社新書 46)
2010年代の若者文化について、さやわか氏が「残念」をキーワードとして総括した一冊。

さやわか氏と言えばQJユリイカなどでサブカルを論じたりするのをよく見かけるし、最近ならアイドル語りも多い。
2010年代を総括といってもまだ2014年なのだけど、さやわか氏曰く次の10年で流行るものはその前からすでに出ているもので、別に「○○年代」と語るときにきっちり10年区切りじゃないだろ、と。
そりゃあそうだ。

ざんねん

この本を読んでいて「残念」の表現がいろいろと出てくるのだけど、個人的に連想したのはゆるキャラの存在。

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ゆるキャラのブレイクのきっかけになったのは2008年9月11日に放送されたテレビチャンピオン「ゆるキャラ王選手権」
これを切っ掛けに「ゆるキャラ」という言葉が世に知られた。
もともとみうらじゅんは、いとうせいこうと行っているイベント「ロックンロールスライダース」でこういう「残念」なキャラクターらをモチーフに(汚い公園の銅像とか地方の銘菓とか)スライドで紹介をしていた。
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さやわか氏は本の中で現在多くつかわれるようになった「残念」というキーワードを本来の意味よりポジティブになった、と論じていて、だとすればこのミッキーマウスやキティちゃんには無い、ゆるキャラに見られる独特の「残念な感じ」と言うのはまさにそれだろうと思う。

ももクロPerfume

クイック・ジャパン Special Issue ももいろクローバーZ ~Compass of the dream~ 2013-2014
読んでいて、さやわか氏が、ももクロについて数ページだけしか書いていないのに違和感を感じた。
「残念」というキーワードならももクロを論じる部分もある。

泣いてもいいんだよ/ももいろクローバーZ(NAITEMO IINDAYO) - YouTube
ももクロは、いわゆる従来型のアイドルと比較すればいろいろと「残念」な部分が多い。

かつてのアイドルはスーパースターであり、私生活が見えない、24時間アイドル。
イメージとしては郷ひろみとか木村拓哉とかを連想すればいい。
どこにも残念な感じがない作りこまれたアイドル像。

ところがももクロは、ずば抜けてルックスが良いわけでもなく、とびっきり歌が上手いわけでもない。
ただ全力で踊り、全力で歌う。
全力で踊ればそりゃあ歌も下手になる……止まっても上手いわけじゃないけれど。
だが、だからこそ支持される。



[MV] Perfume 「1mm」 - YouTube
Perfumeのパフォーマンスはとてもレベルが高く、そして独特。
ボーカルが加工されまるでボコーダーを通したようになっているけれど、それが前提の構造をPerfumeは持つ。
つまり歌声とパフォーマーは切り離されているのだ、と。
初音ミクのの歌が、すべて作り手(P)による「人間の声のようなシンセサイザー」として機能し、ダンス映像を別の人間が造ることで「初音ミクのパフォーマンス」が完成する。しかしPと初音ミクは同一ではなく、初音ミクはPにとってのツールとしての関係性。

Perfumeは口パクで踊り、加工したボーカルを合わせる。
それは歌がヘタだから、とかいう理由ではなく(ライブでは歌ったりする)Perfumeという存在が「さまざまなクリエイターの創造物の集合」という側面を強く持つからかもしれない。
……とはいえPerfumeよくわかんないんで、その辺は、この本でも読んでください。
この本でも読んでからまた考えますわ、その辺は。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?初音ミクはなぜ世界を変えたのか?
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さて、ももクロに話を戻して。

仮想ディストピア from「ももいろクローバーZ 春の一大事 2013 西武ドーム大会 ~星を継ぐも ...
ももクロは、口パクをやらない。
歌が「上手い」ということに価値を見出さず「全力で踊り歌う」パフォーマンスにとって歌と踊りは切り離せないからに他ならない。

Perfumeの歌は「歌」で、Perfumeから歌を切り離し、加工し、Perfumeに戻すことができる。
しかしももクロから歌を切り離して加工して、歌を上手く見せる理由が存在しない。

ももクロにとって、上手いことは必ずしもすばらしいことではない。
ももクロにとっては完全でない「残念」さこそが重要で、だから加工はしない。
加工のない、生だからこその不安定さやブレや欠落。
それこそが彼女らの魅力になり、多くのひとを惹きつけている。

もしも、ももクロのパフォーマンスが洗練され、息も乱れず、歌もぶれないとしたら?
あるいは口パクで踊りは完ぺきで歌も調整されていたら?

だったら多分、今ほどの支持は集めていない。
パフォーマンスが上手いアイドルならほかに山ほどいる。
可愛さにしろ、美容整...(自粛)。

ももクロには多くの要素が欠けていて「残念」。
ヘンテコだし、いろいろと「残念」に欠けているからこそ、そこに魅力があるし応援したくなる。
サブカルが多く引きつけられるのも、ももクロにさまざまな文脈を見て、しかもそれがいろいろと残念だからだろう。

応援とは、欠けている部分を支持したいと思うからこ起きるキモチ。
完璧なアイドルなら応援しなくても充分クオリティの高いパフォーマンスが出来るだろうし、それはあえて支える必要がない。
そういうアイドルの場合、ファンの向きあい方が大きく異なる。

ももクロと言う未成熟な存在

以前、ももクロ週刊プレイボーイの表紙になった。


この表紙を見ればわかるんだが、いろいろと残念。
化粧がおかしい、濃すぎる、胸パッド入れすぎ、セクシーの定義が古い。

始めて見たときに「お母さんが留守中に勝手に化粧しちゃった子供」みたいな感じを連想した。
あるいは安っぽいモノマネパブのマリリンモンローとか。

しかしこういう「残念」な感じをあえて出していくのがももクロで、AKBが半ケツや下着や水着をやる隣で、ももクロは頭にトゲトゲを付け、似合わない濃い化粧をし、坊主頭でグラビアを飾り、ライブで水着姿になればスクール水着を着る。
でもそれは、ももクロだからこそ。
成熟せず、セクシャルな面や洗練され大人びたことは見せない。
泣いちゃいそう冬/鋼の意志【ももクリ2013開催記念シングル】
「鋼の意思」のジャケット。
クリスチャン・ラッセンっぽいんじゃなくクリスチャン・ラッセンがデザインしてる。
いまどきクリスチャン・ラッセンが……。
ホワイトライオンに宗教団体のポスターのような*1デザイン。

平成の、現代の、それを上位に入るアイドルと言うには、いろいろとこの「残念」なジャケットがももクロというグループの見せ方の方向性を示してるように感じる。


欠けている、残念、というのは未熟であり完成していない。
完成していないからこそ努力をするし必死になる。
「残念」でいい、「残念」だからこそいい。
まだ先がある、上がある、それこそがモチベーションであり、汗を流し努力をする。


....ももクロ語り久しぶりだなー。
今日からのファンイベントいけないけれど(鬱)。

さやわか氏の本は、昨日の夕方に買って夜に読み終えたので、正味2~3時間で手軽に読める。
現代のサブカルに興味のあるひとにはお勧めの一冊。
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*1:ここはツッコミ禁止