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自由恋愛の先「結婚と幸せな家族の肖像」の崩壊

小ネタ

ガタカ [DVD]
「男は年収」の婚活事情に物申したい - ぼくら社Blog

「私は普通でいいのです。自分が育った家庭のような、普通の。」

と、大抵返されます。

でもね、その「普通」は、経済成長していた日本の、お父さんの給料が上がっていった時代の特殊な「普通」であり、今ではもはや特権階級なの。と、おばちゃんは言うのでした。そして、若いお嬢さん方に置かれましてはこれから、「専業主婦」という立場は「貴族」と思った方が身のためです。

私が、結婚を無駄に二回目もして思うのは、(推奨しませんが)

どんなに経済が不安定でも、夫婦が共働きで、家事も育児も節約も一緒に頑張れば、何とかなるものだなぁという事です。

ぼくら社ブログだからまた炎上か、と思いきやまともな話。

こういうぼくら社の方のイレギュラーな件は置いとくとしても
経済的に安定しない→結婚できない
を言い出すのであれば少子高齢化は今後もまったくもって改善することもないのだろうな、と。


かつての社会は個人では生きづらかったのだけれど、今の社会と言うのは個人が自由を謳歌できるように変化してしまったのですよね。
個人で生きづらいしロールモデルとして家族と言うモノがあった。
コミュニティで独身男がいると長屋の長老さんが縁談話を持ってくる。
そこは恋愛じゃなくって「独り身の女性がいるから結婚しないか?」と言う話が湧いて出るわけで、別にテラスハウスでめんどくさい共同生活送るわけでもなく顔を合わせて親同士が気に入れば祝言を挙げるわけですよ。

個人の自由意志よりも、社会・共同体の維持が上に存在する時代。
今は、自由意思で生きているからそういうものを「不幸」と感じる。
別に当時の人々が不幸だったかどうかは定かじゃない。

あなた-小坂明子 - YouTube
明治時代ころに自由恋愛が輸入された。
高度経済成長→バブル経済を経て、いつのまにか自由恋愛どころか、恋愛至上主義が一般化して「好きでないひとと一緒になるなんてありえない」「一番好きな人と結婚する」が普通になった。
旦那にお金があるから好きな人と結婚できる。
バブリーな時代っぽい発想で、ねるとんだのトレンディドラマが作られて「自由恋愛は素晴らしいのだ」とインプリンティングされた。
ナンパだの遊びだの、モテだの非モテだの。
複数の男女で共同生活をしたり、同じバスに乗ってくっつくだの離れるだのやってみせ、それが娯楽コンテンツとして昇華される。


いや、あんた昔はお見合い結婚でっせ、と。
好きや嫌いではなく、社会と言う共同体を維持するために結婚と家族という構成員数のシステムが存在しただけで、別に恋愛の帰結として結婚が設定されてたわけではないのにいつの間にかそうなった。

「おれとかかあは、くっつきあいだい」なんていうのが自慢となるのは、男女の恋愛が少なかった江戸の庶民の事情を
よく現しています。
江戸の街は武家が開いたものであり、大阪は商人が開いたもの。武士を中心とする江戸の街は住宅面積も武家屋敷
が中心街にあってね。庶民は限られた地区に押し込められていたようです。
江戸は男女の人口比が圧倒的に男性が多くて、その意味でも自由恋愛は成立しずらい。お見合いで結婚するというのが多かったのでしょう。
大店では番頭から丁稚まで男衆と女中たちがいますので、男女間の恋愛トラブルが多かったように思えますが、
実際は厳しく取り締まられておりまして、寝るところも自由に行き来できないようになっていました。

http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/sanmai_kishou.htm

好きな人、しかも経済的に安定をしていて年収は600万円以上、専業主婦になって幸せな……そりゃあ結婚はほど遠い。
ましてや子供を作る、となればさらにハードルが上がる。

しかも二人が結婚して家庭が一つ出来て子供が一人じゃあマイナス1だし、二人でもトントン。
最低でも三人子供を作らないと少子化は防げないんだから気が遠くなる。

離婚率が高い、結婚する率が低い。
しかも子供も作らない、作ってもひとり。

利己的な遺伝子 <増補新装版>
今生きている人は、個人として生を謳歌。
娯楽としてのセックス。
子供を造ることが日本や人間の未来社会への貢献に……なんて考えない。
セックスが気持ちよくて子供がかわいいのは、DNAが種を存続させる根本だからなんだけれども(セルフィッシュジーン的に)、ゴムと言う発明でセックスが手軽な娯楽になった。
セックス→気持ちいい→子供が出来る
この「子供が出来る」に誘導するはずだったのに
セックス→気持ちいい→(ゴム)→子供が出来ない
という「気持ちいい」ところだけを娯楽として抜き出したんだから始末が悪い。
人間の発想が遺伝子の仕掛けを上回った。
意識や思考と言う大脳の電波ノイズが種としての存続よりも個人としての娯楽を選びとるから生物の仕組みとしておかしな流れになる。

ましてやAVの発達で「セックスすらめんどくさい」なんて話になってきた。
そりゃあ毎度毎度体力使ってパコるのは大変ですけどね。現実はそんなにきれいでもないし。
「出会って4秒で~」とか観てる方が、そりゃあ楽です。
柚月あいみたいな娘と、出会って飲みに誘ってくどいて関係性築いて、ホテル連れ込んでパコって~、よりもビデオ観るほうが時間もお金も楽だもの。


ましてや「年収は600万で~」だとかなんだとか。

大切なのは、「家族になれるかどうか」の資質。

一緒に作っていく「家庭」というものへの価値観が合い、お互いにコミットできる力があるかどうか。

男性は女性の「顔と若さ」、女性は男性の「年収とステイタス」を絶対的大前提にしてしまうのは、間口を狭めるだけじゃなく、非常に危険なお相手選びであると思います。それらは何れ無情に失うものばかりだからです。

ルックスは衰える一方、年収はこれからの社会でどうなるかも解らない。
そういうパラダイムがあいまいな世界で生きていくうえで、果たしてどうしたいんだろうか。
もう「家族」と言うシステムが今の社会に生きる人間の思考に合ってない気がして仕方が無いんですよね。

内閣府特命担当大臣少子化対策担当)がいろいろとやってるけど、なにか焼け石に水と言うかそもそもの社会の変質に追いつけていなくてだから実行力が充分に発揮できていないし少子化が止まることもない。
そりゃあ産みたい人には優しい社会を、は素晴らしいけどやっぱり現代はまず個人があって社会がある。
自由恋愛を至上とする社会においての結婚と少子化対策は世界が安定していればまだしも、震災で「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」すら危うくなり、本来なら社会システムの変革や個人の思考にあわせて変化して行かなきゃあならないだろうに、そんな部分は旧時代的なところを踏襲していくしかないフットワークの鈍さ。
明治以降、高度経済成長までの間は自由恋愛と資本主義が上手く回っていたんだけれど、ほころびが生まれつつあってだからこれが止まるのは難しい。
こうなるとSFによくある試験管ベビー的な体外受精での「社会構成員を作成する」しかないのか。

村や集落などの共同体においての子育てとは個人個人が子供を育てる、のではなくて集団として「その集団の未来を担う」子供を共同体として育てた。家族という同じDNAから派生した個体はもちろん結びつきは強いけれども、近代化につれて「社会」「共同体」という結びつきが弱くなった……書きながら宗教的共同体っぽくていやだな、と思うが実際、少子高齢化を止めるのは、もはや「子供を産み・育てやすい社会」という個人の意思を尊重して場を与えるのではなくて「社会を担う構成員を増やす」という社会維持作業しかないのではないのかな、と思うのですがね。

自由恋愛、資本経済社会、ひとの尊厳、さまざまな「人が人として生きる」と言う自由意志を優先させれば社会が破たんするのは当然。
だって個人が個人としてただ生きてただ死ぬには、この世界は充分なんだから。

社会と言うシステムは単に資本主義を元に「複数の人間で出来た共同体をどうやって運用するか」にすぎず、「人が人として生きる」ことを前提として作られてきたわけじゃないから(それは近代的な思想だけれど、でも種の存続はまた別)今の社会構造のまま「少子化対策」を謳ってもどこまで効果があるんだか。
デザイナーベビーを公式に認めるとか……倫理、尊厳を叫ぶ団体が反対しそうだなー、これは。
ガタカの世界ですかね。


そして人は、60歳になると謎のホームに連れていかれて安楽死させられる、と。
これも社会を維持する、という視点であればおかしくないのか。
緑色のビスケット美味ぇぇ~。
人間がいっぱい (ハヤカワ文庫SF)