「ボーっとする」のが解らない

「なにもしない」は心の栄養 - よもちかブログ
小さいころから疑問があって、
たとえば誰かに話しかけたとして、なぜか無視される。
で、もう一度呼びかけると
「……ん?あぁ、ごめん。ぼーっとしてた」
と応える。
この「ぼーっとしてた」と言うのが解らない。


自分を考えてみると常に何かしら考えてる。

誰かといれば誰かを意識しているし話しかけられて気づかない、なんてことはまずない。
ボーっとしてて気づかない、なんて自分史で過去に例が無い。

だから誰かに「ぼーっとしてた」というよくわからないものを使われてしまうと「あぁ、そうなんだ。ボーっとしてたんだから仕方ないよね」と納得せざるを得ないが納得したわけじゃあない。
だってよくわかってない。

未だにこの「ぼーっとしてた」という感覚が解らないしやったことが無い。
そういう状況になったこともない。
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「忘我の境地」とも言うけれど、座禅にしろやってみても常に何かしら考えていてとてもじゃないが解脱は無理だし悟りの境地に辿りつけそうにないし思考は止まらない。
床にごろ寝してボーっとする、と言うけれどあの「ボーっ」は「思考」なのか「無」なのか。

他人と「ボーっ」のすり合わせや申し送りをしたことが無いので他人の「ボーっ」が自分の考える「ボーっ」とどれだけ違うのか解らない。
そんな風に、ボーっとしようとしてボーっとするとは何なのか?と考えてしまうからボーっとできない。

そこで一度聞いてみた。
「え?なにも考えてなかったけど」
マジで?!!!
ボーっ=忘我の境地なの?!
すげぇ。
世間の人って忘我になれるのか。
心に虚無を、なんて出来ないし、やり方が全然わからない。


あぁ、ボーっとしてみたい。
誰ぞに呼びかけられて
「……あぁ、ごめん。ぼーっとしてた」
てへぺろ、って応えてみたい。


あなたのボーっはなんですか。

とはいえ死んでからなんぼでもボーっと出来るんだろうけど。
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