『ヨハネスブルグの天使たち』を『盤上の夜』よりもイマイチと思った理由につきまして

ヨハネスブルグの天使たち
拝啓。
id:kanose さん、お元気でしょうか。

先刻、ARTIFACT@はてな系の記事にブコメした件につきまして
『ヨハネスブルグの天使たち』は素材は好みでも料理方法が好みでなかった - ARTIFACT@ハテナ系
ブコメ欄では短く、
また「これもネタになるな」と考える以下、ブログ書きの業でございます。
少々お付き合いくだされば幸い。


宮内悠介の長編第二作『ヨハネスブルグの天使たち』は発売当時、
ヨハネスブルグの読者たち
などという増田まで投下される『伊藤計劃以後』という混迷するSF界の神輿の上に乗って(乗せられて)いたことはご存知かと思います。

墓の上のワルツを今すぐにやめろ。
目障りでやかましいステップを停止しろ。
お前は何ひとつ自分の頭で考えちゃいない。
彼は神ではない。
彼は救世主ではない。
お前を輝かせるための装飾品ではない。
お前はお姫様ではない。
ただの惨めで愚かな豚だ。
歌って踊るだけのこの世の屑だ。
臭い口を閉じろ。
キーボードを叩き割れ。生きる資格など無い。
彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。
生きて、素晴らしい小説を書いたからだ。

伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

もともとSF読みでもなくどっぷりとミステリ読みないち読者の私からすれば、SF界の『伊藤計劃以後』というキャッチフレーズには、確かに軽薄な印象はありながらも、海外ドラマ「SHERLOCK」のベネディクト・カンバーバッチ景気に乗っかりミステリマガジンが特集を組みフェアをしかけ、あるいは今や活気づいているラノベに愁眉を送るなどの軽薄さを隠そうともしない日本ミステリ界の現状からすれば(異端であったはずのメフィスト界隈が生命線とはなんとも……)よほど頑迷な反応に見えまして、これまでに作家の死をネタにフェアを行うなどは出版界でよくある下衆な手管であって、ジョブズの死に際して誰もかれもジョブズジョブズジョブズジョブズとマカー以外にもスティーブ・ジョブズの名前は広く知られたのは記憶に新しいところでございます。
潔癖さと商売は相性が悪い、と言うのは自明の理。
ミステリだって生き残るには「奇跡の新人」「次世代の担い手」を売りださなければ業界がおまんまの食い上げでございます*1


ヨハネスブルグの天使たち』は「伊藤計劃以後」のパッケージのせいで貶され卑下されるほどクオリティの低い作品ではないと思います。


もともとミステリ読みとして昨今SFを読んでいる身としては、古典や教養の部分をすっ飛ばして最新形を美味しいとこどりで*2読んでいるわけで浅薄な読み方しかしておりませんが、SFの魅力と言うものをその「奇想」の部分に感じてしまうのでございます。
天冥の標VIII ジャイアント・アークPART1 (ハヤカワ文庫 JA オ 6-22)
小川一水『天冥の標』に見る巨大なスケールで描かれた宇宙での人類史と文明の崩壊と再生。
神林長平戦闘妖精雪風』のジャムと言う未知の存在との観念的、あるいは物理的な戦いに手に汗を握り、
飛浩隆『グランヴァカンス』『ラギッドガール』で虚構のAIと人との境界や存在を再認識し、
野尻抱介『南極点のピアピア動画』に発想の豊かさと広がりの楽しさを感じて。
現代の日本ならではの国家のかたちや国防意識をSFで体現した芝村裕吏 『この空のまもり』『富士学校まめたん研究分室』も興味深く読みました。

どれもSFならでは、独自の「奇想」に溢れたそれらの読書体験が近々にあったうえで『ヨハネスブルグの天使たち』を読むと、前作『盤上の夜』にあった観念的な、現実と盤上に世界の縮図を対比投影させ、過去の様々なボードゲームの逸話から多元的に事象を描く構造に受けた驚きやその奇想を、あまり大きくは感じなかったというのが正直なところです。
とはいえ自爆テロ犯が、自分の意識を機械に写し、生身の自分は爆死する(でなければ神の御許に行けない)という発想には感心しましたが。
そしてビルの中を落ち続ける、と言う儚く美しい描写も印象深く覚えています。

ミステリにおいても『トリックが良かった』『ドラマがいい』『人間が書けてる』など評価軸はさまざまありますが、SFにおいても評価軸はさまざまあってそれもひとにより違いますので一概にどれが優劣とは申せませんし、そもそも駄作でもないですが増田の言うところの

「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
いつからSF読者こんなに気持ち悪くなったの?
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。

ヨハネスブルグの読者たち

という辟易とした感覚は少し納得してしまいました。

なのでネットの絶賛感想を見て『うおー……書くのやめとくか』と若干引いたのは内緒でございます。
『盤上』→『ヨハネス』と言う読書順もあるかもしれません。

少々長くなりましたが宮内悠介ヨハネスブルグの天使たち』を『盤上の夜』よりもイマイチと思った理由につきまして、をここに終わらせていただきます。
長々と、お目見汚しでございました。

敬具。
盤上の夜

*1:舞城王太郎がブンガクに行ってしまったのは痛手です

*2:ドイル、カー、クイーンをすっ飛ばして京極、米澤を読むような