キムタクが「パンツ」と言うのと蛭子能収が「パンツ」と言うのは違う

不快な下ネタ。楽しい下ネタ。一線はどこにあるのか? - それでもブログが好きだから
長くてウケない記事を書いたあとなので短くウケない記事を。
えーと、コトバと言うのは関係の間で取り交わされる意志疎通のためのコミュニケーションツールなわけですが、生理的な嫌悪や感覚と言うのは人それぞれに違うと言うのは当たり前の話。
なのでケーシー高峰のような下ネタであれそれを許容できるひとと出来ないひとがいて俗に「政治・宗教・野球の話題はタブー」と言いますが、下ネタにしろそういう人間それぞれに価値観や閾値が存在するわけです。
親しい間柄であればその辺りの「お互いの妥協点」をコミュニケーションによって「この辺までオッケー」と設定できますが赤の他人相手にそれは難しいし、だからこそ老若男女問わずマジョリティな笑いを目指す欽ちゃんは「下ネタはダメ―」というのも至極当然。
どっかで飲んでると隣の席から「この前お持ち帰りした女がさ―」とベッドでのパコパコっぷりを面白おかしく話し、それで笑うと言う光景もありますがあれにしろそれを許容する同士なら「ノリ」でよいのでしょうが、相手もいることなのだしとと考えるなら不適当だろうし、そういう話を受け付けないことを「空気が読めない」と同調圧力前提で否定し「ノリが悪い」「頭が固い」というのは単に自分の倫理観の欠落と浅薄思想を表明してるだけ、ということに気付かないバカ丸出しの輩はそこら辺に転がってます。
コミュニケーションと言うのは独り、コトバ単体で成立せず、その関係性や空間、話し手の他の情報に大きく左右され、だからこそ「あのひとの下ネタは面白い」「あの人が言うと生々しい」「ここでは不適当」などとなって、だから「○○とは下ネタの閾値」になりえないわけで。
キムタクが「パンツ」と言うと黄色い悲鳴が上がり蛭子能収が「パンツ」と言うと会場はどん引きして反応が違うし、出川哲朗がおっぱいと言うと女性が引くのに、スピッツがおっぱいを歌うと聴きこんでしまうのも違うというネタにマジレスでした。