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脳内空想抑制ギブスとしてのコンピュータゲーム

夢の宇宙誌 (河出文庫)
脳内補完トレーニング装置としてのコンピュータゲーム - シロクマの屑籠

なぜ、現代の青少年は二次創作や脳内補完をやすやすとやってのけるのか?その作法を、いつ、どこで、どうやって身につけたのか?

これを読んでて思ったのがその「二次創作」という作法が果たして現代のモノなのか否か、なんですよね。

いろいろ柳田國男翁が集めた民間伝承にしろ妖怪にしろそうですが、人間は闇を見ればそこに怪物を見出す生き物なわけですよね。


中学生のころは澁澤龍彦が愛読書で「黒魔術の手帳」「夢の宇宙誌」なんか読んでたんですが、たとえば深夜十字路に立ってニワトリを殺し地面に埋めると悪魔が現れるだの、悪魔も色々な種類の悪魔がいてベルゼブブだのマルデシャだの、世界は亀の甲羅の上に乗ってるだの、いやー、昔の人の想像力ってすげーなーと。

"Forbidden Planet" Trailer - YouTube
心は勝手に怪物も生みだす始末。

というか人間は想像する生き物なんですよね。
だから「悪魔」という概念を与えられればそこから具体的な様々な悪魔の姿や名前、エピソードを考え、その裏に暗喩を巡らせたりする。
羊飼いが空の星を見て星座を考えたように。
ゲームの荒いグラフィックどころか天の☆を数個繋げて「牡羊座」「さそり座」とか言っちゃうわけです。
ものすごい超絶想像力、二次創作ですよ。

今はコンテンツがコンテンツとしてあるんだけど、過去の時代のコンテンツは天の星や、風の音や、神様だったわけですよ。
そこで二次創作として妖怪や悪魔や、それらしいエピソードや、柳田國男の「遠野物語」に載ってるような話が作られる。

ただどうなんだろ。
現代の高度なグラフィックのゲームやアニメは、そういう想像力の広がりを補てんし補充すると言うより制限してる気もするんですよ。
今は天の☆を見上げても獅子には見えない。
「ドット雑すぎんだろ!」
って認識しか持てない。

ファンタジーなら魔法だ、ゴブリンだ。
本来、創作はもっと自由なのに、そういう決まりごとが何かを縛り付けてる気がするし、そこから抜け出す作品もあまり見ない。
別にトールキンのテンプレートを真似する必要もないのにどれもこれもオークだ、エルフだ、勇者だ。どれもこれも「ファンタジー」と言う既存のモノの二次創作。

ありものをどーこーするほうが楽。
観これだ東方だ、ね。
だから創作じゃなく二次創作なんじゃねーかっていう。


「脳内補完トレーニング装置」というよりも、近年の一次創作の完成度が「脳内空想抑制ギブス」として機能して抑え込んでる面もあるんじゃねーかな、という愚考はどーなんかねぇ…。

四部作らしいので、興味深い自論を見守ってます。
「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)