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初心者のためのかんたんな美術鑑賞ガイド

小ネタ 語り 映画

初心者のためのかんたんな美術鑑賞ガイド
~あるいは考える力~

アイ・ウェイウェイは謝らない [DVD]
iTunesで「アイ・ウェイウェイは謝らない」のレンタルが開始されたので朝から観てた。

アイ・ウェイウェイの作品をひとつ取り上げその鑑賞法のガイドのようなもの、そしてその根本になる「考える力」について軽く。
アイ・ウェイウェイは中国の芸術家)
 

誤解のないようにしていただきたいのは、美術の鑑賞法に正解不正解はないと言うこと。
それが作者の意図であれ、そうでなかったとしてもそれは受け取り手の受け取り方が肯定される。

以下に書くのはあくまでも我流のめんどくさい「理解」です。

コカコーラのロゴを書いた骨董の壺

アイ・ウェイウェイの作品に「骨董の壺にコカコーラのロゴを書いた」というものがある。
http://www.flickr.com/photos/56008930@N00/8484135552
photo by Metal Chris
「なんだ、骨董の壺にロゴ書いただけでアートとかお手軽だなー」
「え?これで数千万とかマジで?!」

値段という貨幣に置き換え、見た目という印象で理解する。
これが表面の理解になる。

なぜコカコーラなのか

http://www.flickr.com/photos/39160147@N03/14048667226
photo by JeepersMedia

次にロゴの意味を考える。
なぜコカコーラなのか。
コカコーラは「資本主義アメリカ」の象徴としてカリカチュアライズ(誇張・風刺)として使われている。
つまり中国の歴史のある壺にコカコーラのロゴを書くことで「中国/アメリカ」と言う構造が見える。
そしてこの壺を象徴として捉えて「中国の古い町並みがマクドナルド(アメリカ資本主義)によって上書きされる」という見方もできる。

実際的には、とても中国の力が強いので、ベトナムの民芸品に中国的な飾りつけをする、なんてものが今っぽい風刺かもしれない。

時間の与える価値

元の壺は紀元前3000~5000年ごろのもの。
日本で言えば縄文時代の壺。
そういう価値のあるものに落書きをするわけですから、この「壺の価値」をロゴによって無効化していることにもなる。

古いから価値がある、それが当たり前。

ではなぜ古いと価値があるのか?
歴史を経ている、それ自体にどんな価値があるのか。

人間なら歳をとれば尊敬どころか邪魔扱いされ老害と言われ、歴史や時間に価値など無いと知る。
壺の価値は本来「水を入れる」道具としての価値なのに、骨董の壺は時間を経ることで価値が「水を入れる」ということから「鑑賞する」「歴史を感じさせる」に変化している。

長く残る、そこにある。それだけで価値が増す。
そう言う「価値」に対して落書きを行うことでアイ・ウェイウェイはNoを突き付けて見せる。
果たしてモノの本質的な価値とは何か。

さらなる価値の獲得

http://www.flickr.com/photos/31403562@N00/4865842762
photo by eSeL.at
ロゴは落とせばとれるのかも知れない。
もしかしたらとれないかもしれない。

「骨董の壺」はこれから「コカコーラのロゴを書かれた壺」として存在し続けていく。

紀元前3000~5000年ごろには、普通のありふれた壺。
それが現代まで残り「骨董の壺」として価値を得た。
しかしそれに「コカコーラのロゴ」を書くことで過去の価値は破壊される。
そして新たな「アイ・ウェイウェイの作品としての壺」になった。

もしこの壺が数百年数千年残ったとしたら、そのときこの壺はどのように理解されるのか。
またその時代の芸術家がその上にその時代の企業ロゴをさらに上書きしたら、その価値はどこにあるのか。

あいまいなコミュニケーション


見た目、値段。ロゴの暗喩、社会性、メッセージ。
骨董の壺である理由、ロゴの理由。
モノの価値への疑問。時間が与える価値の意味。
破壊と言う行為に対しての疑問。
価値を失い、新たに得た価値。

「骨董の壺にコカコーラの落書きをした作品」

この壺一つを理解するにはさまざまな思考が必要。
しかしどれが無くてもそれは正しい理解。
どれだけ深読みしてもそれが間違いではない。


芸術とは、抽象的な象徴を使うコミュニケーション。
そのあいまいさこそに意味がある。

あいまいでよくわからない。
だから意味がある。

鑑賞した人間はそのモノの意味、行為の意味、価値、理由を考える。
暗喩やメッセージや情動やさまざまなものをその対象に求める。
その理解しようとする行為が「鑑賞」であって、あいまいだからこそ正解はない。

あいまいさに意味を求めるのは鑑賞者が鏡を覗き込むような行為。
鏡を覗く人によって見えるものは違う、どれも間違っていない。

まとめ

考えるとは

「どれだけ考えることを続けられるか」
「ひとつひとつの疑問や事柄について考えるか」
「全てに対し疑問を持てるか」
「その思考を広げられるか」
「何かのパラダイムに立脚しているならそれを否定できるか」
「あるいは肯定できるか」

思考を続け、想像し否定し肯定し理解し広げる力が「考える力」を養う。
「考える力」が弱いなら考えるのをやめなければいい。
すぐに考えるのを止めるから「考える力」が育たない。
疑問を持たないから「考える力」が育たない。
価値観を根本から否定し、想像を広げないから考えられない。

「考える力」に正解も不正解もない。
補うのは経験や行動だけでもない。
「まず行動してみよう」という薄っぺらい提言にはがっかりする。
ねむい。


※タイトルの「初心者」と言うのはあえて。
「美術鑑賞に初心者もベテランもあるか?」という疑問を持って欲しい意図です。
※映画「アイ・ウェイウェイは謝らない」の感想は後日
アイ・ウェイウェイ スタイル