映像と物語と押井守と高畑勲

※この記事は、下部引用を貼りたかったから書いたのではありません
ユリイカ 2013年12月号 特集=高畑勲「かぐや姫の物語」の世界



作家 芦辺氏のTLで充分と言う感じですが。




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言及リンク先から一部引用。

僕は今までずいぶん映画を観てきて、ストーリーなどはおぼろげだが、シーンはいまでもハッキリ思い出せるという経験をしてきています。表現の仕方にこそ影響を受けてきた。そういう観方をしないのか。映画に期待しているものがまるで違ってしまっていることにショックを受けたんですよ。

現代は、どう表現しているのかがすっ飛んでしまって、お話の複雑さのほうにだけ感心が向いている、そんな時代なんだなということを、改めて思い知らされました。
(中略)
でもこれだけはハッキリと言っておきたいです。大事なところはそこじゃない。

大切なのは、小手先のストーリーなんかじゃありません。難解なストーリーばかり追ってたらダメですよ。表現も、目に鮮やかなアートだったり、ドンパチした表現だったり、エログロばばかりを追ってたら絶対にダメになる。少なくとも僕はそう思います。
http://inkyodanshi21.com/subculture/studio-ghibli/5047/

えー。
つまり高畑勲の『かぐや姫の物語』は映像表現的に素晴らしいのに現代の若者はストーリー偏重の視点しかないから、あんなハイクオリティな作品を評価できないなんて嘆かわしい、と。

ちなみにかぐや姫は観てないので以下、一般論です。
作品自体に関してどーこーは言いませんし言えません。



かぐや姫の物語 予告 - YouTube

ボクもずいぶん映画を観てきましたけれど、作品全体として物語と映像演出のどちらかが「0/100」と考えるかわからない。

「作品」と言うのは物語があり、そして映像表現がある。
物語のクオリティが高く映像表現が劣れば「作品」として評価は下がる。
映像のクオリティが高く物語が低調なら「作品」として評価は下がる。
当たり前。

物語/映像の両方が高い「映像70/物語80」だって存在するし、反対に両方低い「映像10/物語20」だって存在する。

物語と映像表現のクオリティは両立できるし、両方高ければ評価できる。
だから映像のクオリティが高くて、でもストーリーが陳腐な作品を

「映像がすごいから作品がすごい。物語だけを観てるなんて見る目がない」

という観点には錯誤しか感じない。

物語or映像表現とか物語vs映像表現じゃあない。
物語+映像表現=作品評価でしょう。
我ながら当たり前すぎて、なんとも……。

そんなもんは美術館で流しとけばいい。
娯楽作品としてアニメ映画として、消費されるべきコンテンツであるなら「映像がすごいから評価しよう」なんぞ的外れもいいところ。
面白くてなんぼ。それが娯楽。

若者論にされても、ね。
それは個人論ですよ。
映画は、アートじゃない。

アートなら
映像100:物語0
でも成立する。
だってアートは、必ずしも娯楽じゃあない。
それは個人の嗜好に帰結する。


ピンポン フルゲームの 1 (ビッグコミックススペシャル)ところで知り合いに松本大洋がダメだって人がいるんですよ。
絵が嫌いだとのことで。

クセが強いから。
中身云々ではない。
そう言うのはあると思うんですよ。
それで評価しないのは確かに勿体ないけれどもね。

でもだからって「最近の若者」とか「小手先のストーリー」とかいうと語弊しかない。


ところで押井守が、自著とメルマガでこんなことを書いてた
……引用しつつもウチ的にはノーコメントですが。

で、高畑さんが何をやってたかっていうと、陸軍の将軍みたいなもんだよ。地位はある。でも戦争できない。なぜなら、軍隊自体を維持することに失敗したからだよ。でも将軍ではあり続けるよ。
(中略)
今の高畑さんはもうエンターテイメントの「エ」の字もないから。完全にインテリになっちゃった。文化しか考えてない。

勝つために戦え!〈監督篇〉

――ちなみに押井さん、高畑さんの『かぐや姫(の物語)』はご覧になられましたか?
押井:見るわけないじゃないの(笑)。一片の興味もない。高畑勲という人間自体に興味がなくなったから。もう正体がよくわかったからね。
単にあの人を見てるだけだったらわかんなかった。氏家さんが『熱風』に連載してるあの聞き書きみたいな連載(『昭和という時代を生きて』)やってたじゃん?
 あれ読んで初めてわかった。「あ、このオヤジたちの正当な後継者だったんだ」というさ。
表現者というちょっと違う次元だったけど。このおっさんの正体はマルキストだった。
すごく古典的な人間なんだというさ。
それがわかった瞬間なんの興味もなくなった。

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第29号

 押井監督から見て高畑監督はどういう人物なのでしょうか?

《押井監督コメント》

(中略)

 一言で語るなら、高畑勲という監督は要するにインテリゲンチャです。
 良くも悪くも――というより救い難いほどに。
 さらに言うなら、彼は戦前から綿々とつづくマルキストの正統な系譜に連なる人であり、私見によれば典型的な農本主義者でもあります。
 要するに、この国をダメにしてきた統制主義者の末裔です。
 酷い言い方だと思うかもしれませんが、僕の言い方が酷いのではなくて、あの人が酷い人なのです。
 作ってきた映画を見る限り、おそらく「善意の人」であることを疑い得ないかもしれませんが、マルキストの「善意」が強制収容所に直結していることを忘れちゃいけません。
 まあ時節柄こういう書き方をすると、それこそ「世界の半分を怒らせる」かもしれませんが、思想的立場というものはシビアなものなのです。
 はっきり申し上げておきますが、僕は高畑監督および高畑監督作品を全く評価しておりませんし、今後ともそれは変わらないでしょう。若輩の頃は高畑作品から演出に関わる数多くのことを学びましたが、それとこれとは別の問題です。
 気分を害したかもしれませんが、悪しからず。
 言いたいことを言って生きることに決めたので。

押井守の「世界の半分を怒らせる」。第29号

ウチが言ったんじゃないですからね。
「そーいえば言ってたなー」って思い出しただけです。

物語vs映像表現……。
その視点もなんかマルキストっp……おや誰か来たよあzそhふぉSDFNLJXみゃNFdjaASZz
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勝つために戦え!〈監督篇〉